曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 五馬 三馬 二馬の竒談(7)
〇かさねていふ、松前の老侯は、をさをさ、馬を好み給へば、「乘(のり)くら」のかへなども、大かたならず、と聞えたり。さればにや、寬政中[やぶちゃん注:一七八九年~一八〇一年。]、鍾愛の駿馬あり。老侯、みづから、これに名づけて「一瞬」といふ。蓋(けだし)、「一瞬」は『瞬目(またゝく)の間(ま)に走ること、いくばく里にか、及ぶ』の義なるべし。この馬は前薩摩侯(さきのさつまこう)【中將重豪公[やぶちゃん注:島津重豪(しげひで 延享二(一七四五)年~天保四(一八三三)年)。]。】より贈られし。その封内(ほうない)なる「喜入野(きいりの)の牧(まき)」より出でしものなりとぞ。かくて、亨和元年[やぶちゃん注:一八〇一年。]の夏、「一瞬」、病(やみ)て、死せり。實に五月九日也。老侯、則、その尾をもて、拂子(ほつす)とし、又、その鬣(たてがみ)を駒籠(こまごめ)なる吉祥禪寺に送りて葬らしめ、その上に碑を建つるに及びて、碑文を山本北山子に徵(もと)め玉ひき。かの寺の學寮のうしろなる「一瞬冢(いつしゆんづか)」、是、のみ。江戶にて、駿馬の碑を見ること、いとめづらかに覺ゆれば、錄すこと、左の如し。
駿馬一瞬碑文
良馬世多有。然傳爲者無ㇾ幾何也。非下遇二良主一知中其能上。不ㇾ得下奮二其力一而盡中其用上、主亦或有三爲ㇾ之輝二揚威悳於一代一。關侯赤兎。翼悳玉追是也。若能傳ㇾ後長存者。在二辭以文一ㇾ之。漢武蒲稍以二樂府一。楚項烏騅依二悲歌一。享和元年五月初九。松前老侯愛馬一瞬。病死二于廐櫪一。侯雅善ㇾ騎。無二駿稱一ㇾ意。聞三薩摩國出二良馬一。求二之薩摩重豪(シゲヒデ)[やぶちゃん注:前の二字へのルビ。]公一。辭云。吾不戊敢欲丁若丙少年輩所ㇾ愛。鬃毛如ㇾ油。髀項如腴。步驟恊二聲律一。馳驅合乙曲度甲。唯神速若二掣電流星一則足矣。至二旋毛古凶。尾鬣疎密。毛色驥黃一。皆非ㇾ所二拘論一云。公壯ㇾ之。贈二封内喜入野所ㇾ出駿馬一。一瞬是也。亡ㇾ論二眼如ㇾ鈴。蹄如一ㇾ鐵。形色大小。不二更細說一。人望知三其爲二神駿一。自二薩摩一至二江戶一。路程數千里。跋二涉嶮岨一力不二少罷一蹄不二少損一。精神自若。無ㇾ異二常日一。於ㇾ是乎侯喜可ㇾ知也。試二其能一。繫二紅練於尾後一。驅而奔ㇾ之。一匹練長引不ㇾ墮。如二紅虹絰一ㇾ天。脚下颼颯。只聞二風聲一。瞬目間盡調二馬上一。力猶有ㇾ餘也。侯鍾二愛之一。朝夕撫養以爲ㇾ樂。及二其死一。不ㇾ能ㇾ割ㇾ愛。乃取二其鬃一。瘞二于江戶駒込吉祥寺後山一。取二其尾一爲二拂子一。朝夕手執ㇾ之。寓二愛惜之意一。又欲下求二北山信有辭一。以傳中于後上。嗟呼。一瞬遇二良主一。幸也夫。
享和元年辛酉夏五月北山信有撰
文化の末にやありけん。老侯、ある日、興繼に告げてのたまはく、
「我、曩(さき)には、只、馬に乘るゆゑをのみ知りて、馬を養ふみちを知らず。さるにより、彼(かの)『一瞬』に乘る每(ごと)に、色衣(いろきぬ)なんどを引かするに、その絹の地に着(つ)かで、いと長くひるがへるを、興あることに思ひしは、甚しき誤なりき。若(もし)、さる事をせざりせば、彼の馬をば、殺すまじきに。今に至りて、三折(さんせつ)の效(かう)を悟るも、甲斐なし。」
とて、いとをしみ玉ひしとぞ。
此ごろ、使者をもて、予に、「馬尾(ばび)の拂子」を見せさせて、
「いまだ、この拂子の箱、書(かき)つけ、なし。何とか、かゝすべき。」
と問はせ給ひしかば、
「『驥拂(きふつ)』とや、あるべき。『孟反拂(もうはんふつ)』なども、しかるべからん歟。」
と答へまうしき【右、「二馬」之一。】。
[やぶちゃん注:駒籠(こまごめ)なる吉祥禪寺」曹洞宗諏訪山吉祥寺(きちじょうじ)は東京都文京区本駒込三丁目に現存する(グーグル・マップ・データ。以下同じ)が、ネットで調べる限りでは、「一瞬塚」はないようだし、碑が残っているかどうかも判らない。ただ、サイド・パネルを開くと、大きな碑が数枚立っている画像があり、或いはこの中に現存しているのかも知れない。いつか、行って調べてみたい。
「封内(ほうない)」領国内。
「喜入野(きいりの)の牧(まき)」鹿児島県鹿児島市喜入町(きいれちょう)はあるが、ここかどうかは判らない。
「山本北山」(宝暦二(一七五二)年~文化九(一八一二)年)は儒者。信有は本名。二十代から三十歳代の著作「作文志彀」(さくぶんしこう)・「作詩志彀」で古文辞学の詩文観を批判し、清新性霊の説を唱えて、漢詩文界に大きな影響を与えた。博学で天文・兵学・医卜などにも通じた。「寛政異学の禁」では、異学の五鬼の一人に挙げられたが、自説を曲げなかった気骨の人でもある(平凡社「世界大百科事典」に拠った)。
「駿馬一瞬碑文」「重豪」のルビ以外は返り点のみである(吉川弘文館随筆大成版も同じ)。我流で訓読してみるが、一部で返り点の掟破りをしている。読み易くするために段落を成形した。
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駿馬「一瞬」碑文
良馬は世に多く有り。
然れども、傳へ爲(な)す者は、幾何(いくばく)も無きなり。
良き主(あるじ)に遇ひて其の能を知るには非ずして、其力を奮して、而(しかれ)ども、其の用を盡くすことを得ず。
主も亦、或いは、威悳(いとく)[やぶちゃん注:威厳と勇猛なることを誇示すること。]に於いて、一代を輝揚し、之れを爲さしむるは有り。
關侯の「赤兎」、翼悳の「玉追」、是れなり。
若(も)し、能く、後に傳へて、長く存する者は、辭に以つて、之れを文にする在り。
漢の武蒲、稍(やや)、「樂府(がふ)」を以つてす。
楚の項(こう)、烏(う)にて、騅(すゐ)、悲歌に依(よ)せり。
享和元年五月初九、松前老侯愛馬「一瞬」、病みて、廐櫪(きうれき)に死す。
侯、雅(が)にして、騎を善(よ)くし、駿が意を稱(はか)ること無し[やぶちゃん注:「駿馬の意志を探らなければならないということは一度もなかった」の意で採った。]。
薩摩國に良馬の出づるを聞き、之れを、薩摩重豪(しげひで)公に求む。辭に云はく、
「吾れ、敢へて、少年の輩より愛せるは、鬃毛(そうまう)、油のごとく、髀(はい)[やぶちゃん注:太腿。]・項(うなじ)、腴(ゆ)[やぶちゃん注:脂(あぶら)。]のごとく、步驟(ほしゆう)せば、聲律を恊(あは)せ、馳驅(ちく)すれば、曲度に合はせるがごときをは、欲せず。唯、神速にして、掣電流星(せいでんりゆうせい)のごとき「則足」なり。旋毛、古くして凶(あらあら)しく、尾・鬣(たてがみ)の疎密にして、毛色は驥黃(きわう)に至れば、皆、拘論する所に非ず。」
と云ふ。
公、之れを、
「壯(さう)なり。」
とし、封内「喜入野」に出づる所の駿馬を贈る。
「一瞬」、是れなり。
眼(まなこ)の鈴のごとく、蹄(ひづめ)の鐵のごときは、論、亡く、形・色・大小、更に細說せず。
人、望めば、其れ、「神駿」たるを知れり。
薩摩より江戶に至るに、路程、數千里。嶮岨を跋涉して、力、少しも罷(つか)れず、蹄、少しも損ぜず、精神、自若として、常の日と異なること無し。
是れに於いてや、侯の喜び、知るべし。
其の能を試むれば、紅(べに)の練(ねりぎぬ)を尾の後(うしろ)に繫ぎ、驅けて、之れを奔(はし)らせば、一匹の練、長く引きて、墮ちず、紅(くれなゐ)の虹(にじ)の天(そら)を經(ふ)るがごとし[やぶちゃん注:「絰」では意味が通らないので、ここは吉川弘文館随筆大成版の『経』に代えた。]。脚下の颼颯(さうさつ)、只、風の聲と聞けり。瞬目の間に、盡く、馬上にて調(てう)して、力、猶、餘り有るなり。
侯、之れを鍾愛し、朝夕、撫でて養(か)ひ、以つて、樂しみと爲す。
其の死に及んで、愛(かな)しみを割(た)つこと能はず、乃(すなは)ち、其の鬃(たてがみ)を取り、江戶駒込吉祥寺の後山に瘞(うづ)み、其の尾を取りて、拂子(ほつす)と爲し、朝夕、手にて之れを執り、愛惜の意を寓(よ)す。
又、北山信有が辭を求め、以つて、後に傳へんと欲す。
嗟呼(ああ)、「一瞬」、良主に遇ふ。幸ひなるかな。
享和元年辛酉(かのととり/シンユウ)夏五月 北山信有 撰
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正直、言おう。この訓読は楽しかった。
『關侯の「赤兎」』曹操が関羽を懐柔するために与えた「赤兎馬」(せきとば)。「三國志」及び「三國志演義」に登場する馬で、「演義」では西方との交易で得た「汗血馬」といわれている。「赤い毛色を持ち、兎のように素早い馬」の意ともされる。ともかくも「赤兔馬」自体は固有名詞でなく、そうした種群を指す一般名詞である。詳しくは参照したウィキの「赤兎馬」を見られたい。
『翼悳の「玉追」』同じく民間伝承で、張飛の愛馬の名前が玉追であるとネットにあった。張飛の字(あざな)は「翼德」であるとあるから、恐らく、この誤記であろう。
「漢の武蒲」不詳。ただ、漢の武帝は宮中の音楽署「楽府」を創設し、そこで盛んに楽府が製作された。しかし「帝」の誤記にしてはおかしい。
「楚の項(こう)、烏(う)にて、騅(すゐ)、悲歌に依(よ)せり」項羽は最後に烏江に追い詰められ、愛馬「騅」だけを渡し場の亭長に託して郷里楚へ帰そうとした。しかし、項羽が川岸で討ち死にするや、騅は、一声嘶き、舟から烏江へ身を投げて死んだ。「悲歌」は垓下で虞美人と別れるに臨んで彼女と騅を詠んだ有名なあの一篇を謂う。私は漢文であの烏江の最期のシークエンスを教えると、つい涙が出そうになるのを常としていた。詩は、
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力拔山兮氣蓋世
時不利兮騅不逝
騅不逝兮可奈何
虞兮虞兮奈若何
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である。
「文化の末」文化は十五年四月二十二日(グレゴリオ暦一八一八年五月二十六日)に文政に改元している。
「孟反拂(もうはんふつ)」「論語」の「雍也第六」にある「子曰孟之反不伐章」に基づくか。「Web漢文大系」の当該部を参照されたい。]
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