小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (12・2) 暗號解讀
暗 號 解 讀
暗號がしばしば探偵小說の題材となつて居ることは今更言ふ迄もなく、すてに、鎌倉比事の中にも取り扱はれて居ることは前に述べた所である。摸稜案の中にも暗號解讀に似たやうな『遺言判讀事件』があるから、それをこゝに紹介して置かうと思ふ。
[やぶちゃん注:原文は国立国会図書館デジタルコレクションの「前集 卷之四 藤綱六波羅に三たび獄(うつたへ)を折(さだ)むる事」の冒頭の話がそれである。「折(さだ)む」とは「判決を下す」の意。読みはなるべく原本の読みに従った。]
これは靑砥藤綱が北條時宗の命を受け、京都に赴いて裁判した三ツの事件の一つであつて、短篇小說の形になつて居る。三條の醫師山道《やまぢ》某が死んで庶子《てかけのこ》の加古飛丸《かこひまる》とその姉聟の鏡岱《きやうたい》との間に遺產相續の爭ひが起つた。加古飛丸は母と共に法廷へ出たが、母の陳述するところによると、山道は年五十に至るも本妻との間に子がなかつたので、彼女を妾《をんなめ》として加古飛丸を擧げた。山道は大に喜んで加古加古と呼んで大に愛したが、本妻の手前さすがに家へ出入はさせなかつた。ところがいつの間にか本妻はこれをきゝ出して、嫉妬のあまり良人にすすめて自分の姪を養女として長ずるに及んで鏡岱を聟に迎ヘたのである。然し五年前本妻が死んでからは本宅に出入りするやうになつたが、どういふ譯か鏡岱夫婦はそれを喜ばず、いつも不快な思をせねばならなかつた。すると去年山道が病氣にかゝつたので、加古飛丸母子は看病したく思つたが鏡岱夫婦が之を許さず、やがて山道が死んでも、遺言狀を楯に葬式にも列することを許さず、況んや一文の財產も分ち與へなかつたが、何分遺言狀があるので度々訴へても御取り上げがなかつたといふのである。
そこて藤綱は、法廷に呼び出した鏡岱夫婦に向つて、何故に加古飛丸母子を近づけないで、山道の實子であるにも拘はらず財產を別ち與ヘなかつたかと詰《なじ》ると、鏡岱の言ふには、それは、全く父親の意志であつて、彼は臨床の時に鏡岱を呼んで、加古は實を言ふと自分の子ではない。加古の母は淫奔な性質で他に情夫を拵らへて居るらしい。それ故、自分が死んでも決して財產を分與する必要はないと言つてその通り讓り狀を書いたから、たゞ父親の意志に從つたに過ぎないと答へた。
そこで靑砥藤綱は、然らばその讓り狀なるものを見せよといつたので、鏡岱が恐る恐る差出すと、藤綱は暫らく讀んで居たがやがてにこにこと笑つて、『この讓り狀を見ると、加古飛丸こそ、山道の家を繼ぐべき者である。汝等は實に、思ふに似合はぬしれものである』と叱つた。
これをきいた鏡岱は、決してそんな筈はありませんと言つたので、藤綱は然らばこゝで讀んで見よといつて讓り狀をさしつけた。その文句は次のやうに書かれてあつたのである。
可家業相續讓受資財事
加古非吾兒家財悉與吾女婿外人不可爭奪者也仍如件
年 月 日 山 道 判
これを鏡岱は次のやうに頂んだ。『家業相續して資財を讓り受くべき事。加古は吾が兒に非ず、家財悉く吾が女婿に與ふ。外人爭奪すべからざるもの也。仍て件の如し。』
藤綱はこれをきいて頭を左右に振る、この讀み方はちがつて居る。かう讀むのが正しいといつて、次のやうに讀んだ。
『加古非は吾が兒なり、家財悉く與ふ、吾が女婿は外人、爭奪すべからざるもの也、仍て件の如し。』
藤綱はなほも言葉を續けた。『思ふに、汝等は父に迫つて、汝等の都合のよいやうに讓り狀を書かせたのであらう。だから父は斷ろ兼ねて、加古飛の飛を非にかへて、汝に讓るやうに見せかけだのだ。さすがに醫師だけあつてその頓才《とんさい》[やぶちゃん注:臨機応変に機転を効かせる才能。]には感心すべきである。どうだそれにちがいなからう。さすれば、財產は加古飛に皆與ふべきである。』
かういつて藤綱は鏡岱夫婦を追放の刑に處し、加古飛丸に山道家を相續せしめたのである。純然たる暗號ではないけれども、遺言狀の讀み方が主になつて居るだけに頗る興味が多いやうに思はれる。この外、藤綱が六波羅で行つた裁判事件の中に、今一つこれに似たやうな事件があるけれど、あまり長くなるからその紹介を省略する。
[やぶちゃん注:ここで不木が指すのは、続く、「六波羅の中(ちう)」である。禅僧の偈の読み換えである。]
以上私は、馬琴の、探偵小說材料の取扱ひ方について述べたから、次には、摸稜案にあらはれた犯罪心埋、ことに女性の犯罪心埋について考へ見たいと思ふのである。