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2021/09/27

小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (19)  御伽婢子と雨月物語の文章

 

     御伽婢子と雨月物語の文章

 

 如何に幽靈の眞の信者であつても、文章が拙くては、優れた怪奇小說を作ることが出來ない。作者が幽靈の信者であつても、讀者は十人が十人幽靈の信者でないから、讀者を强く戰慄せしめるためには、文章の力に依る外はないのである。御伽婢子や雨月物語の成功して居るのは、その美しい文章の力であつて、このことはポオの作品に就ても同樣である。『アシャー家の沒落』を讀んだものは、何よりも先にその文章の巧さに魅せられる。『雨月物語』の九篇の小說を讀んで、文章の妙味に醉はされぬ人は恐らく少ないであらう。

 特種な妙文を書くには特種の感覺を必要とする。ボードレールは散文詩を創作し、人工美に極端な憧憬をいだいたが、遂に嗅覺に新らしい詩的聯想を發見するに至つた。例へば彼は麝香をもつて緋と金色とを思ひ起させると言つたが、かうした特種の感覺は[やぶちゃん注:共感覚(シナスタジア:synesthesia)と呼ぶ。ある一つの刺激に対し、通常の感覚だけでなく、通常人では反応しない、異なる種類の感覚が自動的に同時に有意な確率で生じる知覚現象を指す。例えば、文字に色を感じたり、音に色を感じたり、味や匂いに色や形を感じたりするケースを言う。私の教え子の女性に一人いた。日本語以外の文字を見ると色が見えるとのことであった。ある程度馴れた言語ではそれがあまり発生しなくなるとも言っていた。]、やがて彼の文體に影響して、一種言ふにいへぬ絢爛な熱情的な色彩を躍動せしめたのであるが、ポオに就ても、また秋成についても同じことが言へるであらうと思ふ。尤も秋成の文章にはボードレールほどの異常感覺は認められないが、秋成が文體といふことに可なりに鋭敏な感じをもつて居たことは事實であつて、かの本居宣長との論爭にもその一端が覗はれると思ふ。その音韻假名遣の論爭の如きは、語學上の論議ではあるけれど、一面からいへば、彼が文章に對する熱情を認めない譯にはいかぬ。ロンブロソーはポオやボードレールの文章を、狂的發作の影響が然らしめたであらうと論じたが、實際狂的になる位にならねば名文章は書けぬかも知れない。

[やぶちゃん注:「音韻假名遣の論爭」本居宣長「字音仮名用格」(安永五(一七七五)年刊)に対しての秋成が吹っ掛けた古代音韻研究の論争。秋成は後の寛政六(一七九四)年の「霊語通」で時節を述べているが、この論争は輻輳したものがあって、「日の神論争」と呼ばれる。天明六(一七八六)年(年)から翌年にかけて宣長と秋成の間で書簡を通して交わされた国学上の論争で、具体的には「日の神」=「天照大御神」を巡る論争であったが、その前半戦に於ける古代日本語の「ん」の撥音の存在の有無を巡る論争である。因みに、宣長は古代には「ん」の音も半濁音も存在しなかったと立場をとり、現在それらが普通にあるようになったのは音便の結果であると主張したのに対し、秋成はそれらが古代から存在したと主張し、両者一歩も引かない頭突き合いとなった。それぞれの主張は宣長が「呵刈葭」(かかいか:寛政二(一七九〇)年頃成立:この書名は「葭刈(あしかる)」人=誤ったことを主張する「惡しかる人」を「呵(しか)る」という意に掛けた不穏当な書名らしい)で、秋成が「安々言」(やすみごと:寛政四(一七九二)年)という書で纏めている。なお、現在の言語学では「ん」の発音は漢字の伝来以降に形成されたというのが、学問上の定説らしい。しかし、「なめり」を「なんめり」と読めという非道な高等学校古文の常識を不審に思い続けた人間であり、そうであるなら、私は秋成の考えをこそ支持すべきであると考えるものである。則ち、「ん」(「n」「m」)の撥音は本来的に原日本人に備わっていたと考えるものであり、私は思想家としては独善的ファシストである宣長が嫌いであるからでもある。]

 凄味を目的の怪奇小說は通常短いことがその特徵となつて居るやうである。寸鐵人を殺すといふ言葉のあるとほり、人の心をびりつと戰慄せしめるにはなるべく短い方が效果が多いやうに思はれる。然しいふ迄もなく短か過ぎてはやはりいけない。長過ぎず短か過ぎず適當に書くのが作者の腕である。了意の御伽婢子が雨月物語に及ばぬのは、各々の物語が一般に短か過ぎるといふこともその原因の一つであらう。雨月物語に收められた九篇の物語は、四百字詰原稿用紙十枚乃至二十枚のもので一番長番長い『蛇性の婬』も約三十枚のものである、モーリス・ルヴェルの恐怖小說が日本語に飜譯して十枚乃至二十枚であることゝ比較して見ると頗る興味があると思ふ。もとより物語の長短などは、内容によつて定まることであるから、兎や角言ふのは野暮であるかも知れぬが、俳句や川柳が限られたる字數の藝術であるところを見ると、怪奇小說の長さといふことに一考を費すのも、無意義なことではあるまいと思ふ。

 短かい紙數の中に、作者の狙つた氣分を十分に漂はせることは甚だむづかしいことであつて、其處に怪奇小說作者の特別な技倆が必要となつて來る。

[やぶちゃん注:以下、底本では引用部は全体が一字下げである。言うまでもないが、以下は「伽婢子」の中の名篇中の名篇「伽婢子卷之三 牡丹燈籠」である。リンク先は私がこの春に行ったブログ版の電子化注である。]

『戌申の歲、五條京極に荻原新之丞と云者あり、近き比妻に後れて、愛執(あいしふ)の淚、袖に餘り、戀慕の焰、胸を焦し、獨淋しき窓の下《もと》に、ありし世の事を思ひ續くるに、いとゞ悲しさかぎりもなし。聖靈祭りの營みも、今年は取わき、此妻さへ無き名の數に入ける事よと、經讀み囘向して、終に出《いで》ても遊ばず、友だちの誘ひ來《く》れども、心、唯、浮立たず、門《かど》に彳立《たたずみたち》て、浮れをるより外はなし。

  いかなれば立《たち》もはれなず面影の

     身にそひながらかなしかるらむ

と打詠《うちなが》め、淚を押拭《をしぬぐ》ふ。十五日の夜いたく更けて、遊び步《あり》く人も稀になり、物音も靜かなりけるに、一人の美人、その年、二十《はたち》許と見ゆるが、十四五許の女《め》の童《わらは》に、美しき牡丹花《ぼたんくわ》の燈籠持たせ、さしも徐やかに打過ぐる。芙蓉の眥《まなじり》あざやかに、楊柳《やうりう》の姿、たをやかなり。桂の黛《まゆずみ》、碧《みどり》の髮、いふ許りなくあてやか也。萩原、月の下《もと》に是を見て、是はそも天津乙女《あまつをとめ》の天降《あまくだ》りて、人間《じんかん》に遊ぶにや、龍の宮の乙姬の渡津海《わたつみ》より出で慰むにや、誠に、人の種《たね》ならずと覺えて、魂《たましひ》、飛び、心、浮かれ、自《みづから》をさへ留むる思ひなく愛で惑ひつゝ後《うしろ》に隨ひ行く。』

 とは、御伽婢子の中の、有名な『牡丹燈籠』の一節である。これを讀むと、この窈窕《えうてう》たる[やぶちゃん注:美しく上品で奥床しいさま。]美人が幽靈であると知れない前に、何となくこの世のものでないやうな氣がする。又『野路忠太が妻の幽靈物語の事』の一節には、同じく妻を失つた男が妻の幽靈に訪ねられる有樣を敍して、

[やぶちゃん注:以下、底本では引用部は全体が一字下げである。なお、以下のそれは「伽婢子卷之四 幽靈逢夫話」。リンク先は同じく私のブログ版電子化注。]

『三日の後、便りにつけて聞けば、妻、風氣《ふうき》をいたはりて死せりと言《いふ》。忠太、悲しさ限りなし。とかくして江州に歸り、其跡を慕ひ、妻が手馴れし調度を見るに、今更のやうに思はれ、淚の落《おつ》る事、隙なし。日比《ひごろ》の心ざし、わりなき中の、其の期《ご》に及びては、さこそ思ひぬらんと思ひやるにも、なにはにつけて歎きの色こそ深く成けれ。寢ても覺めても面影をだに戀しくて、

  思ひ寢の夢のうき橋とだえして

     さむる枕にきゆるおもかげ

と打ち詠じ、若しわが戀悲しむ心を感ぜば、せめて夢の中にだにも見え來りてよかしと、獨言して日をくらす。比《ころ》は秋も半ば、月、朗かに、風、淸し、壁に吟ずるきりぎりす、草村にすだく蟲の聲、折にふれ、事によそへて、露も淚も置き爭ひ、枕を傾《かたぶ》けれども、いも寢《ね》られず、はや更かたに及びて、女の泣く聲かすかに聞えて、漸々に近くなれり、よくよく聞《きけ》ば、我妻が聲に似たり。忠太、心に誓ひけるは、我妻の幽靈ならば、何ぞ一たび我にまみえざる。裟婆と迷途と隔《へだて》ありとは云へ共、其かみのわりなき契り、死すとも忘れめやと。其の時、妻は窓近く來り、我はこれ君が妻なり。君が悲しみ欺く心ざし、黃泉《よみぢ》にあれども堪がたくて、今夜《こよひ》こゝに來り侍べりと。』

と書いたあたり、幽靈の出て來る雰圍氣が、その美しい文章によつて巧みに醗酵させられて居る。

 たゞあまりに文章がなだらかであるために出て來る幽靈が現實のやさしい人間と變りがなく、ために陰森凄愴たる感じを與へることが少ない。一口にいふと美しい刺繡の幽靈を見て居るやうであつて、この點から考へても、了意は眞の幽靈信者ではなかつたかも知れない。これに比べると、秋成の幽靈には一段の凄味がある。

[やぶちゃん注:以下同前。]

『よもすがら、供養したてまつらばやと、御墓《みはか》の前のたひらなる石の上に座をしめて、經文、徐《しづか》に誦《ず》しつゝも、かつ歌よみてたてまつる。

  松山の浪のけしきは變らじを

       かたなく君はなりまさりけり

猶、心怠らず、供養す。露いかばかり袂にふかゝりけん、日は没しほどに、山深き夜のさま、常ならで、石の床《ゆか》、木葉《このは》の衾《ふすま》、いと寒く。神《しん》淸《すみ》骨《ほね》冷えて、物とはなしに凄《すざま》じきここちせらる。月は出しかど、茂きが林は影をもらさねば、あやなき闇にうらぶれて、眠るともなきに、まさしく、圓位《ゑんゐ》、圓位、とよぶ聲、す。眼をひらきて、すかし見れば、其《その》形《さま》、異《こと》なる人の、背高く、瘦《やせ》おとろへたるが、顏のかたち、著《き》たる衣の色紋《いろあや》も見えで、こなたにむかひて立てるを、西行、もとより道心の法師なれば、恐《おそろ》しともなくて、こゝに來たるは誰《た》ぞと問ふ。』[やぶちゃん注:最後は原本では「答ふ」である。]

 とは、『白峯』の一節であるが、その凄味に於ては、同じ題材を取り扱つた露伴の『二日物語』に、優るとも劣つては居ないやうな氣がする。『菊花の契《ちぎり》』に於て、赤穴宗右衞門の亡靈が左門を訪ねて來るところなどは、まだ亡靈とはわからないのに、一種の凄味が漂つて居る。

[やぶちゃん注:「露伴の『二日物語』」前半は明治二五(一八九二)年五月『國會』初出で、後半は九年後の明治三四(一九〇一)年一月『文藝倶樂部』である。私は不木に言おう! 並べられては上田秋成の方が可哀そうだ! 露伴の怪談など、全然、話にならない愚作である。彼の怪談で慄然としたことは私は一作もない!

 以下同前。「菊花の約(ちぎり)」は「白峯」に次いで名篇であり、私の偏愛するものである。以下のシークエンスは実際にその場に私が左門になって実際に体験したようなデジャ・ヴュがあるほどである。]

『午時《ひる》もやゝかたふきぬれど、待つる人は來らず。西に沈む日に、宿《やどり》急ぐ足のせはしげなるを見るにも、外の方のみまもられて、心、醉へるが如し。老母、左門をよびて、人の心の秋にはあらずとも、菊の色こきは、けふのみかは。歸り來る信《まこと》だにあらば、空は時雨にうつりゆくとも、何をか怨べき。入りて臥《ふし》もして、又、翌の日を待つべし、とあるに、否みがたく、母をすかして、前《さき》に臥さしめ、もしやと、戶の外に出でて見れば、銀河、影、きえきえに、氷輪《ひやうりん》[やぶちゃん注:月の異名。]、我のみを照して淋しきに、軒守《もきも》る犬の吼《ほ》ゆる聲、すみわたり、浦浪の音ぞ、こゝもとにたちくるやうなり。月の光も山の際《は》に陰《くら》くなれば、今は、とて、戶を閉《た》てて入らんとするに、たゞ看る、おぼろなる黑影《かげろひ》の中に、人ありて、風のまにまに來る《く》を、あやし、と見れば、赤穴宗右衞門なり。』

 簡潔にして要を得て居る所、ポオの文章を思ひ起せる。

 すべて、超自然な事柄を取り扱ふに際し、西洋の作者でも東洋の作者でも、同じやうな背景を選ぶやうである。先づ最も多く選ばれるのは、前揭の諸例に見られるやうに夜分、しかも月を配した夜である。次は人通りなき山中か或は訪ふ人もなき癈墟である。更にその次には暴風雨や霧である。秋成はそれ等のものを自由自在に組み合せて、愈々作品の印象を深からしめることに成功した。

[やぶちゃん注:以下、二つの引用は同前。]

『五更の空明ゆく頃、現《うつつ》なき心にも、すゞろに寒かりければ、衾被《かづき》んと搜《さぐ》る手に何物にや、さやさやと音するに目さめぬ。面に冷々《ひやひや》と物の零《こぼ》るゝを、雨や漏りぬるかと見れば、屋根はの風に捲くられてあれば、有明の月の白みて殘りたるも見ゆ。家は扉《と》もあるやなし、簀垣、朽頽《くちくずれ》たる間《ひま》より、荻・薄、高く生《を》ひ出《いで》て、朝露、うちこぼるゝに、袖、濕《ひ》ぢて、絞るばかりなり。壁には蔦葛延びかゝり、庭は葎《むぐら》に埋《うづも》れて、秋ならねども、野らなる宿なりけり。』(淺茅が宿)

『松ふく風、物をたふすがごとく、雨さへふりて、常ならぬ夜のさまに、壁を距てて、聲を掛合ひ、既に四更に至る。下屋の窓の紙に、さ、と、赤き光さして、あな憎くや、こゝにも貼《おし》しつるよ、といふ聲、深き夜には、いとゞ凄《すざま》じく、髪も生毛《うぶげ》も、悉く聳立《そばだ》ちて、暫くは死入《しにいり》たり。』(吉備津の釜)

 など、例をあげればまだ幾らもあるが、同じやうな筆をつかひ乍ら、しかも巧みに一々の情緖を描きわけて居るのは、さすがに巨匠の腕かなと驚嘆せざるを得ないのである。

 かやうな筆法はポオによつても採用された。かの『アシャー家の沒落』の中には、廢墟に似た荒びた建物、嵐の夜の音又は月光などが、巧みに按排されて、いふにいへぬ美しい凄味が描き出されて居る。たゞポオの作品にありては、彼自身の内側から發する病的恐怖が中心となつて居るために、一層深刻に描き出されて居るのであつて、超自然的怪奇小說の效果は、どうしても、作者自身の先天的性質の如何によつて定まるものと考へざるを得ない。だから同じ材料を取り扱つても、作者の素質次第でいくらでも、凄味を深からしめることが出來るのであつて、現に雨月物語に收められた作品の題材の中には、後に說くやうに、御伽婢子その他の怪奇小說から取つたものが可なりにある。だから現今に於て、雨月物語の内容をそのまゝ書き直しても、書き手によりては雨月物語よりも遙かに物凄いものが出來るかも知れない。このことは强ち怪異小說に限らず、一般の文藝作品に就ても言ひ得ることであるけれども、同じ凄味を取り扱つたルヴェルの作品の如きは怪奇の發見そのものに價値があるのであつて、もし同じ題材を取り扱つたならば單なる剽窃になつてしまふから、特に注意したまでである。之に反して御伽婢子に收められた物語の約三分の一が、支那の剪燈新話の飜案であり乍ら、それ自身に獨特の凄味をもつて居るのは、超自然的題材の剽窃が所謂換骨奪胎たり得ることを示すものといつてよい。

 然しながら、現代に於ても、超自然的題材を取り扱つた小說が、果して喜ばれるか否かといふことは全くの別問題である。雨月物語やポオの作品からは、いはばたゞ美しい凄味を得るだけであつて、近代人が要求するところの、身震ひするやうな戰慄といふものは得られないから、追々ルヴェルの作品のやうなものが、好まれるだらうと思はれるけれど、それはいまこゝで委しく論ずべき範圍ではないのである。

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