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2021/09/26

小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (18) 淺井了意と上田秋成

 

     淺井了意と上田秋成

 

 淺井了意と上田秋成とは江戶時代に於ける怪奇小說の兩巨擘《きよはく》である。前者は伽婢子と狗張子を著はして怪奇小說の元祖の地位を占め、後者は雨月物語を著はして中興の祖となつた。雨月物語一集は、日本古今を通じての怪奇小說の白眉といつてよいから、中興の祖といふ言葉は或は適當でないかも知れない。適當でなければ何とでも改める。兎に角、怪奇小說の作者としての上田秋成は第一人者として奉つてもよいであらう。實に秋成の作品のあるものはポオの作品に比肩すべきであつて、而も秋成にはポオの作品に見られない秋成獨得の味がある。かの歷史的人物の亡靈を引つ張り出して、一層讀者の感興をそゝるあたりは彼獨得の味といつてよいのであらう。否、彼獨得といふよりも、日本の怪奇小說に獨得な點であつて、すでに英草紙あたりにも見られるところであるが、この點はむしろ目本人の好みから出て居るといつてもよく、現代でも所謂髷物が愛好せられるのは興味ある現象といはねばならない。

[やぶちゃん注:「巨擘」(きょはく)の原義は「親指」。転じて「同類中で特に優れた人・指導的立場にある人・巨頭・首魁」の意。

「かの歷史的人物の亡靈を引つ張り出して、一層讀者の感興をそゝるあたり」巻頭巻之一の「白峯」のことであろう。西行と旧主崇徳院の怨霊と対面・論争する展開は、今以って鮮烈である。次いで巻之三の「佛法僧」に豊臣秀次の一行の怨霊が出現するのも挙げてよかろう。]

 超自然的な事件を取扱つて凄味を多く出さうとするには、作者自身が超自然的なことを信ずる程度が深くなくてはならない。從つて怪奇小說を硏究するには、作者の怪奇に對する信仰の如何をたしかめて置く必要がある。で、私は淺井了意と上田秋成の性格の一端を述べて見たいと思ふのである。

 ところがこの二人とも、その傳記があまりはつきりして居ないのである。ことに淺井了意に至つては、シェクスピーアと同じように、不明な點があつて、その性格などはむしろ、その作物から覗はねばならぬくらいである。之に反して上田秋成には自敍傳風な著作があるので、可なりにはつきりその性格が覗はれ、その性格を知れば、雨月物語を生んだのも强ち偶然ではないと思はれる。

 秋成が曾根崎の娼家の妓女の子で、その父が知れぬといふことがたとひ虛傳であつても、幼より身體が弱く時々驚癇を發し、世間的にも隨分苦勞して育つたことは事實であるらしく、又病的に近いほどの癇癖を持つて居て、世に背き人にすねたことも事實である。靑年時代には遊蕩に耽つたが、酒は嫌ひであつて、この點が、ポオやボードレールのやうな怪奇小說作者とちがつた點である。秋成を天才 genius とするには異存のある人も多からうが、少なくとも彼が能才 talent であることは爭はれぬところであつて、天才と能才とを混同したロンブロゾーの天才論式に觀察したならば、秋成が所謂天才型の人物であつたことは認めなければならない。それは、彼の『膽大小心錄』を讀んでも、十分察することが出來るやうに思ふ。ポオは酒精中毒患者であつて、加ふるに阿片を溺愛し種々幻覺に惱んだ。ことにその「動物幻覺」は著しかつたらしく、ビルンバウムは彼の名詩『大鴉』もその幻覺から生れたものであると言つて居る。かような性質をもつた藝術家がアラペスクなまたグロテスクな多くの傑作を生んだのは無理もないが、酒の嫌ひであつた秋成が、雨月物語のやうなすぐれた怪奇小說を殘し得たのは、彼自身に深い靈怪信仰を持つて居たからであらう。まつたく秋成は迷はし神や狐狸が人につくことを信じ切つて居たらしく、さういふ事の決して無いことを主張した中井履軒を口を極めて罵つた。『膽大小心錄』の中には次の一節がある。

[やぶちゃん注:「秋成が曾根崎の娼家の妓女の子で、その父が知れぬ」秋成は享保一九(一七三四)年に大坂曾根崎で大和国樋野村(現在の奈良県御所市)出身の未婚の母松尾ヲサキの私生児として生まれた。父は不明。ヲサキは妓家の娘ともされるが、秋成は実母について殆んど語っていない。亡くなる前年文化五(一八〇八)年に書かれた自伝「自像筥記」(じぞうきょき)にも「父ナシ、ソノ故ヲ知ラズ。四歲、母、マタ、捨ツ。」とあるように、元文二(一七三七)年には堂島永来町(えらまち:現在の大阪市北区堂島一丁目)の紙油商嶋屋上田茂助の養子にされ、仙次郎と呼ばれた。翌元文三年には重い疱瘡を病み、命は取り留めたものの、両手指が奇形を起こし、不自由になった。宝暦一〇(一七六〇)年、京都生まれの植山たまと結婚した(間に子はいない)。翌年茂助が没し、嶋屋を継いでいる。前後と以降の作家デビューは、以上で一部を参考にした当該ウィキを見られたい。

「驚癇」「驚風」とも。漢方で小児の「ひきつけ」を起こす病気の総称。現在の先天性・後天性の癲癇(てんかん)や脳髄膜炎の類いを指す。

「ビルンバウム」ドイツの精神医学者カール・ビルンバウム(Karl Birnbaum 一八七八年~一九五〇年?)。ベルリンのブーフ精神病院長で、ベルリン大学員外教授。主著「精神病の構成」(Der Aufbau der Psychose. Grundzüge der Psychiatrischen Strukturanalyse.  :精神病の構成・精神医学的構造分析の基本的特徴:一九二三年)は、精神病の病像形成の理解に対する新しい見方を示したものとして評価された。そこでは精神病像を構成する因子として、本来の疾病過程に直接関連する病像成因的な要素と、病像の内容に色彩と特別な形姿とを与える体質・年齢・性別・環境・状況・諸体験などのような病像形成的な要素とを概念的に区別し、さらに補助概念として病像成因的準備状態に関連する素因、病像形成的準備状態に関連する病前形質、疾病の誘発と活動化に関連する誘発の三概念を挙げている。一九三六年にアメリカに移住した。

「膽大小心錄」同じく最晩年の心境を文化五年に綴った随筆。百六十三条の短文からなり、自筆本の他、数種の写本が伝えられている。和歌・俳諧に関する意見・考証、国史に対する感想や儒仏の説、或いは、知友についての批評・自伝的回想、世俗の見聞への見解等、内心の関心事が平易な口語で記されており、秋成の人となりを知る上で欠かせない資料とされる。題名は「唐書」の「隠逸」中の孫思邈(しばく)の言葉「膽は大なるを欲し、心は小[やぶちゃん注:「細心」の意。]なるを欲す」に基づく。

 以下の引用は底本では全体か一字下げ。読点の一部を句点に私が変更している。]

『履軒[やぶちゃん注:秋成と同時代の儒者中井履軒(享保一七(一七三二)年~文化一四(一八一七)年)。大坂生まれ。名は積徳(せきとく)。父は懐徳堂(享保九(一七二四)年に大坂に設立された町人出資の学校)の第二代学主中井甃庵(しゅうあん)。兄は竹山。五井蘭洲に師事し、程朱学を主とする道学を学んだが、彼の学風は折衷学的であった。明和三(一七六六)年に大坂和泉町に学塾水哉館(すいさいかん)を開いて教授した。後の享和四(一八〇四)年には兄の死を受けて懐徳堂の学主となったが、兄竹山に比べて交際範囲が少なく、専ら、研究と著述に従事した。また蘭学にも興味を示し、医師で天文学者もあった麻田剛立(ごうりゅう)と交わり、人体解剖所見「越俎弄筆」(安永二(一七七三)年成立)を纏めている。他に多数の著述がある。]曰、狐《きつね》人に近よる事なし、もとより彼等に魅《み》せらるゝといふ事はなき事なりとぞ、細谷半齋[やぶちゃん注:不木或いは植字のミスで「細谷」ではなく「細合(ほそあひ)」が正しい。細合半斎(ほそあいはんさい 享保一二(一七二七)年~享和三(一八〇三)年)は同時代の伊勢出身の儒学者・書家・漢詩人。名は離又は方明。書は松花堂昭乗の流れを汲む滝本流に私淑し、のちにこの流派の中興の祖とされた。詩文結社「混沌詩社」に加わり、多くの文人墨客と交わった。博物学者的町人文人木村蒹葭堂の婚姻の際には媒酌人を務めている。私塾学半塾を主催した。また、彼は江嶋庄六或いは細合八郎衛門の名義で書肆としても活躍し、同じく書肆であった藤屋弥兵衛とも親しかった。]は性慇懃にて禮正しき人也、世人是を却りて疎むは、世人の性亂怠なる者なり、京師に在りて西本願寺へ拜走す、あした三條の油小路を出て、晝過ぐるに到らず、終に日暮れしかば、恍忙[やぶちゃん注:「くわうはう」。「忙」は「茫」或いは「惘」の当て字と思われ、「ぼんやりとして・薄気味悪く感じて」の意であるらしい。]として家に歸りし事あり、是性の靜なるをさへ狐狸道を失はす。翁(秋成)又一日鴨堤《かもづつみ》の庵を出《いで》て、銀閣寺の淨土院[やぶちゃん注:ここ(グーグル・マップ・データ)。]に行くに、吉田の丘の北をめぐりて、又東に行く順路なり。道尤も狹からず。さるにいかにしてか白川の里に來りぬ。物思ひて感ひしと心得て、やうやう東南の淨土寺村に來りて、和上《わじやう》圖南[やぶちゃん注:「和上」は和尚に同じ。浄土寺の住持と思われるが、不詳。読みは「となん」であろう。]と談話のついでに此事を語る。和上、病なるべしよく愼み給へとぞ。歸路又、吉田の丘の北に來て、大道につきて西に庵に歸らんとす。いかにしてか百萬遍の寺前に至る。こゝに知る、狐《きつね》道を失はせしよと。然れども心忙然[やぶちゃん注:「茫然」に同じ。当時は転用字として用いられた。]たらずして、午後歸り着きぬ。また一日北野の神にまうづ。あしたに出て拜し、東をさすに、春雨蕭々と降り來りて、老の足弱く、眼氣つのりて[やぶちゃん注:私の所持する「日本古典文学大系」版(昭和三四(一九五九)年刊)では『眼又くらきに煩ひ、大賀伊賀をとむらひて、午飯を食しぬ。雨いよゝつのりて、』とあって以下に続く。注に『秋成は六十前から始終眼が悪かった』とある。左眼は寛政二(一七九〇)年五十七の時に失明し、寛政十年には右眼も失明して全盲となったが、眼科医の尽力で左眼の明を得た。]、頭さし出づべからず、今夜はこゝに宿すか、さらずば乘輿をめさんと云程、雨少しやむ。庵には十二三町[やぶちゃん注:千三百~千四百メートル強。]の所也。常に通ひなるゝに勞なく思へば、雨おもしろ[やぶちゃん注:ママ。「雨、をもしろ」であるべきところ。]とて門を出て東をさす。一條堀川に至りて雨又しきり也、傘を雨にかたぶけて行くに、苦しかれども行くに、大道のみにて迷ふべからず。雨に興じて來る程に堀川の椹木町《さわらぎちやう》に至りぬ。こゝに始て心づきて、傘の傾きに東南をたがへし也と思ひ、又東をさすに、圖らずも堀川の西に步む步む。又所を知りたれば、いかにしてとて心をすまして、遂に丸太町をたゞに東をさして庵に歸りぬ。日將に暮れんとす。病尼[やぶちゃん注:養女で尼体で病弱であったという。詳しい養子縁組の経緯などは不明。なお、妻は寛政九年に亡くなっている。]待ちわびて辻立したり。大賀(宗文の家)に在りしとのみ答へて入りたるが、足疲れ眼暗み心いよく暗し。燈下に牀《とこ》のべさせて臥して、曉天に至るまでうまいしたり、是又狐の道失はせしか。半齋も我も精神たがはずして、一日忘る事、狐の術の人にこえたる所也。學校のふところ親父[やぶちゃん注:「世間知らず」の意。本来は「學校の懷ろ子」でその意味となるが、ここは挑戦的に批判した履軒が年嵩であったために戯れたもの。]、たまたまにも門戶を出ずして狐人を魅せずと定む、笑ふべし笑ふべし。」

 この文を讀まれた讀者は、『學校のふところ親父』たる履軒を笑つてよいか、又は秋成その人を笑つてよいかに迷はれるであらう。もし秋成が眞に上記のやうな經驗をしたとするならば、彼に多少の精神異常があつたと認めて差支なく、却つて彼が所謂天才型の人であつたことを裏書きして居ると言つてよいかも知れない。彼はなほこの外に色々の實例を擧げて履軒に喰つてかゝつて居るが、いづれにしても彼が妖怪とか幽靈とかを信じ切つて居たことは明かであつて、信じ切つて居つたればこそ、雨月物語のやうな凄味の多いものが書けたのである。勿論怪奇小說の目的は、凄味をあらわすことばかりではないかも知れぬが、凄味を唯一の目的として怪奇小說を書かうと思つたならば、作者自身が、怪奇を信じ切らなければならない。もし、冷靜な、所謂科學的態度をもつて書いたならば、恐らく十分な凄味は出ないと思ふのである。

[やぶちゃん注:以下の引用前の文章は、後の引用とともに一字下げであるが、これは版組みの誤りと推定される。なお、今まで通り、引用は引き上げてある。]

 例へばかの山岡元隣の『古今百物語評判』は、『御伽婢子』の少し後に公にされた怪奇小說であるが、元隣は學者肌の男であつて、自分の宅で催ほされた百物語の一々に批評解說を加へ、その一斑を擧げるならば、

『哲人は狐にばかされずと言はゞよし、哲人の前に狐化けずと言はゞよからず、是眞人は火に人つても、燒けずと言はゞよし、眞人の前には火燃えずと言はゞ非なるが如し。燃ゆるは火の性、やけぬは眞人の德、化くるは狐の術、ばかされぬは哲人の德なり。』

 といつたやうな書き振りであるから、物語そのものに凄味が頗る少なくなる譯である。言ふ迄もなく、モーリス・ルヴェルの作品のやうに自然的な事件から凄味を發見したものは、書き方が科學的であればある程、却つてその凄味は强くなるのであるが、超自然的な事件によつて凄味を出すためには作者が科學的態度卽ち冷靜な客觀的態度を取ることは危險であらうと思ふ。尤も、前囘に述べたやうに主觀的な幽靈、例へば犯罪者が良心の呵責によつて見るやうな幽靈を取り扱ふ場合は別物であつて、德川時代の怪奇小說のうち、主觀的幽靈を取り扱つたものが、文學的作物として比較的見どころのあるのは、作者が幽靈を眞に信ずると否とに關係しないからであらう。

[やぶちゃん注:「山岡元隣の『古今百物語評判』」江戸前期の俳人で仮名草子作家でもあった国学者山岡元隣(げんりん 寛永八(一六三一)年~寛文一二(一六七二)年)の遺稿による怪談本。全四巻。私は既にブログ・カテゴリ「怪奇談集」で全電子化注を終えている。正直、インキ臭くて、しかも蘊蓄の語り部分が如何にも勿体ぶっていて不快であり、全体に面白くない。引用は「古今百物語評判卷之二 第一 狐の沙汰附百丈禪師の事」である。

「モーリス・ルヴェル」(Maurice Level 一八七五年~一九二六年)は「フランスのポオ」と賞賛された怪奇小説家。]

『御伽婢子』の作者淺井了意が秋成のやうに幽靈や化物の信者であつたかどうかといふことははつきり傳はつていない。晚年には洛陽本性寺の住職となつたといはれて居るが、僧侶であつたことが必ずしも幽靈の信者であつたといふ證明にはならぬのである。彼は怪奇小說ばかりでなく、『堪忍記』や『浮世物語』のやうな敎訓小說に加ふるに『東海道名所記』のやうな旅行文學をも著はして居つて、それ等の作物を通じて作者の心を推察して見るならば、少くとも秋成ほどの幽靈信者ではなかつたと思はれる。それにも拘はらず、彼が、秋成に次での怪奇小說作者であるのは、彼の文章の巧《たくみ》さが然らしめて居ると言ふべきであらう。後に委しく說くやうに、超自然的の事柄を取り扱つて凄味を多く出すためには、作者の主觀狀態と同じく文章の力卽ち文章によつて作られる氣分が非常に大切なものとなつて居るのである。

 なお又、怪奇小說、ことに超自然的な事柄を取り扱つた作品の出來ばえは、作者の年齡が多少の關係を持つて居るやうに思はれる。ポオは四十歲の若さで斃れ、それ迄に約七十種の物語を作つたが『アシャー家の沒落』、『リジア』の如き傑作は三十歲になるかならぬかに作られて居る。秋成の雨月物語が三十五歲の時に出來上つたことを考へると、二十五歲から四十五六歲迄の間が怪奇小說を書くに最も適當でないかと思はれる。これは主として年齡と文章との關係から考察すべきものであつて、老齡になつて、所謂枯淡な文章を書くやうになつては、凄味を出すことが困難となるであらう。同じく淺井了意の作でも、狗張子は、御伽婢子より二十數年後に作られたのであつて、御伽婢子よりも劣つて居るといふ定評のあるのは、主としてやはり文章の枯淡になつた爲ではないかと思はれる。御伽婢子そのものも、よくはわからぬが了意の五十以後の作であるらしく、若し彼が三十代に筆を執つたならば或は、もつともつと凄味の多いものとなつたかも知れない。怪奇小說に志す人は、須らく、年の若いうちに多くの作品を殘すことに心懸くべきであらう。

[やぶちゃん注:「アシャー家の沒落」「アッシャー家の崩壊 」(The Fall of the House of Usher :一八三九年)。

「リジア」「ライジーア 」(Ligeia :一八三八年)。前書の前年の発表である。但し、この作品はポオが偏愛した短編で何度も改稿し、作品集や雑誌に再掲している。後の「御伽婢子と雨月物語の内容」(私の電子化では「20」を予定)の本文でごく簡単な梗概が出るが、ウィキの「ライジーア」の方が詳しい。但し、当該ウィキは完全なネタバレであるから、ポーの偏愛者である私としては、未読の方には、絶対にお薦め出来ない。

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