畔田翠山「水族志」 ハカタヂヌ (キチヌ)
(一六)
ハカタヂヌ 一名アサギダヒ 黃翅
形狀チヌニ似テ短濶背淡靑色腹白色腹下翅黃色腰下鬣黃色大者
二尺續修臺灣府志曰黃翅狀如烏頰肉細而味淸以其翅黃故名下淡水
有二重サ一二斤ナル者一
○やぶちゃんの書き下し文
はかたぢぬ 一名「あさぎだひ」。「黃翅」。
形狀、「ちぬ」に似て、短く、濶〔ひろ〕し。背、淡靑色。腹、白色。腹の下の翅〔ひれ〕、黃色。腰の下の鬣〔ひれ〕、黃色。大なる者、二尺。「續修臺彎府志」に曰はく、『黃翅は、狀〔かたち〕、烏頰〔すみやき〕のごとく、肉、細やかにして、味、淸し。其の翅の黃なる故を以つて名づく。下、淡水たり。重さ、一、二斤なる者、有り。
[やぶちゃん注:暫く放置していたので、底本の当該部を示す。ここ。宇井縫藏著「紀州魚譜」(昭和七(一九三二)年淀屋書店出版部・近代文芸社刊)ではここで、
タイ科ヘダイ亜科クロダイ属キチヌ Acanthopagrus latus
と同定しつつ、「方言」として、チヌ(紀州各地)・シラタイ(田辺・湯浅・白崎)と、『多く前種と混同してゐる』と注した上で、本「水族志」では「ハカタヂヌ」一名「アサギダヒ」とある、と記す。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の「キチヌ」のページよれば、標準体長は四十五センチメートルになり、『クロダイなどと比べ、全身から見て頭部が小さい。目は小さくやや前方にある。腹鰭、尻鰭、尾鰭が黄色い』。『クロダイは茅渟の海(大阪湾)でたくさんとれたので、関西では「茅渟(ちぬ)」。そのクロダイに似て』、『鰭などが黄色いという意味』の和名であるが、『どこの呼び名かは不明』とある。『比較的暖かい内湾、汽水域に生息し、ときどき河川を遡上することもあり』、『「川鯛」とも呼ばれる』。分布は、『茨城県利根川河口、千葉県外房』、『東京湾江東区中央防波堤前』から『九州南岸の太平洋沿岸』、『京都府天橋立内海阿蘇海』、『兵庫県浜坂』から『九州南岸の日本海』及び『東シナ海沿岸、瀬戸内海、小笠原諸島』で、国外では、『朝鮮半島南岸・東岸、台湾、中国東シナ海・南シナ海、トンキン湾、フィリピン諸島北岸、オーストラリア北西岸・北岸、ペルシャ湾』から『インド沿岸』に分布する。「生態」は『最初は総てが雄』で、十五センチメートル『を超える頃に両性期となり、その後、雌になる』とあって、『産卵期は秋』とし、『クロダイよりも内湾、河口域を好む』とする。但し、一九八〇年代の『関東では珍しい魚だった。関東ではほとんど見られなかったといってもいい。これが今、流通や釣り人の間では』、『当たり前の魚になりつつある。ただし、今でも関東に少なく』、『西日本に多い。もともと関東での取扱量は少ない魚種であったが、最近』(二〇一一年現在)『入荷量が増えている』とある。『透明感のある白身でクセがなく、とても味のいい魚』であり、『市場ではクロダイに混ざってくることが多いのであるが、キチヌのほうが主役ということも多い』。『クロダイが寒い時期から初夏までの旬であるのに対して、一月ほど遅れて旬を迎える』。『東シナ海で大正時代には大量に漁獲されていた。急激に漁獲量は減り、現在に至っている』とする。『旬は春から夏』で、『春になると』徐々に『筋肉が締まり、脂がのってくる』。『鱗は硬くなく取りやすい。皮はしっかりしている』。『透明感のある白身』で、『活け締めの血合いは赤くきれいだが、野締めの血合いの色合いは濃く』、『食欲をそそらない』。『熱を通すと適度に締まり、粗などからいい』ダシが『でる。微かに川魚に似た臭みを感じることがある』と評しておられる。
「續修臺灣府志」清の余文儀の撰になる台湾地誌。一七七四年刊。この「臺灣府志」は一六八五から一七六四年まで、何度も再編集が加えられた地方誌である。その書誌データは維基文庫の「臺灣府志」に詳しい。「中國哲學書電子化計劃」のこちらで原本影印の当該箇所が視認出来る(右側の電子化は機械翻刻で話にならないので注意)。
「烏頰〔すみやき〕」畔田はこれに「くろだひ」という読みも与えているのだが、既注の通り、私にはスズキ目スズキ亜目イシナギ科イシナギ属オオクチイシナギ Stereolepis doederleini を指すとしか思えない。畔田は真正の現在の「クロダイ」を想起して書いているとしても、そうした現代の種別として部分的にバイアスかけて読む必要があると考えている。
「下、淡水たり」体幹の下方は白っぽいの意であろう。
「一、二斤」六百グラム~一・二キロゴラム。]
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