小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (17) 古今奇談英草子
[やぶちゃん注:標題が「紙」でなく、「子」となっているのはママ。]
古今奇談英草子
英草紙《はなぶさざうし》は前に述べた如く、雨月物語と共に江戶時代怪異小說の双璧である。作者近路行者《きんろぎやうじや》は本名を都賀庭鐘《つがていしよう》といつて大阪の醫者である。水滸傳最初の譯者たる岡島冠山、小說精言、奇言等の著者たる岡白駒《をかはつく》と共に、同時代の支那小說紹介の三大功勞者と稱せられて居る。彼は英草紙の外に、「古今奇談繁野話《しべしげやわ》」と稱する怪異小說を書いているが、讀本としては前者の方が面白いやうである。
英草紙は五卷九話から成つて居て、各々の物語がその長さに於ても、御伽婢子などより遙かにまさつて居るから頗る讀みごたへがある。歷史を取り扱つたものと世事を取り扱つたものとの二種類にわかれて居るが、いづれも比較的現實味に富んで居るから、これを怪異小說の中へ數えぬ人さへある。ことに歷史物は世事を取り扱つたものよりも現實味に富んでいて、怪異分子に乏しいから、私は世事を取り扱つたものの中から、その一つを選んで述べて見ようと思ふ。
英草紙の文章は支那小說の影響を受けて居るだけに、漢文口調であつて、多少ごつごつしたところがある。以下私は、『白水翁が賣卜《まいぼく》直言《ちよくげん》奇を示す話』の一篇によつて、その文章と構想とに就て述ベて見よう。
[やぶちゃん注:原文は国立国会図書館デジタルコレクションの寛延二(一七四九)年初版で、ここから読める。読みはそれ及び所持する昭和二(一九二七)年刊の日本名著全集刊行會編になる同全集の第一期の「江戶文藝之部」の第十巻である「怪談名作集」(正字正仮名)に載るものを参照した(後者をも使用したのは、初版と表記が異なる箇所があったり、初版に歴史的仮名遣の誤りがあるためである)。不木の引用に句読点があったりなかったりするのはママである。
以下、底本では最後の不木の言い添えまで、ずっと全体が一字下げ。]
『文明の頃、泉州堺に白水翁といへるものあり。よく人の禍福吉凶を決し、成敗興衰を指すこと差《たが》はず、常に大鳥《おほとり》の社《やしろ》の邊《ほとり》に行きてトを賣る。一日《あるひ》一人の士《さむらひ》こゝに來りて其卦《くわ》を問ふ。白水翁其年月日時《じつじ》を聞いて、卦を舖下《しきくだ》し、考を施して言ふ。『此卦占ひがたし、早く歸られよ』といふ。此士心得ぬ體にて、『我《わが》卦何のゆゑに占ひがたき。察するに、卦のいづる所よろしからず、あらはにしめしがたきことあるか。いむことなく示されよ』といふ。翁もとより言葉を飾らず『拙道《せつだう》が卦による時は、貴君まさに死し給ふべし』此士いふ『人死せざる道理なし。我《われ》幾年の後か死すべき。』翁云ふ『今年死し給はん。』『今年の中、幾の月に死すべき』『今年今月に死にたまふべし』『今月幾日に死するや。』『今年今月今日死にたまふべし。』此人心中怒《いかり》を帶びて再び問ふ『時刻は幾時《いくとき》ぞ』『今夜三更子の時死に給はん。』此人おぼえず言葉を勵《はげし》くしていふ『今夜眞《しん》に死せば萬事皆休す。若し死せずんば明日爾をゆるさじ。』翁いふ『貴君明日《みやうにち》恙なくば、來つて翁が頭《くび》とり給へ。』此人彼が詞の强きを聞いていよいよいかり、翁を床《ゆか》より引きおろし、拳《こぶし》をあげて打たんとす。近邊のものはしり集りてなだめ、此士をこしらへかへし[やぶちゃん注:宥めとりなして落ち着かせ。]、翁にむかひ『爾《なんぢ》しらずや、彼人は此所に執りはやす侍なり彼人の氣色《きしよく》を損じては、爰にあつて卦店《くわてん/うらなひみせ[やぶちゃん注:右/左のルビ。以下同じ。]》をひらき難からん。かへすぐも、爾應變《おうへん》なき人かな、人の貧富壽夭《ひんぷじゆえう/ながいきわかじに》は數《すう》の定《さだま》る所ならんに、卦には如何に出づるともすこしは詞をひかへてこそよからん』といふ。翁一口《いつこう》の氣を歎じて言ふ。『人の心に應ぜんとすれば卦の言《こと》にそむく。卦の實《じつ》を告ぐれば人の怒をおこす。此所にとゞまらずとも己自《おのづから》留《とどま》る所あらん」と、卦舖《くわてん/うらなひみせ》を拾收《とりをさ》めて別所に去りゆきぬ』
といつたような文章であつて、その會話など、近代文學的色彩が頗る濃厚に出て居る。
『さて、この白水翁に卜つてもらつた侍は、當所郡代の別官をつとめて居る茅沼官平というものであつたが、白水翁の言葉がひどく癪にさはつたので、ぷんぷんして家に歸ると女房の小瀨《こせ》は心配して、何か上役の御機嫌でも惡かつたのですかとたずねた。そこで彼が白水翁の話をすると、小瀨は眉をひそめて、『そんないい加減なことを言ふものを、何故追つ拂ひになりませんでしたか」といつた。
『隨分腹は立つたが、人がとめたからゆるしてやつたよ。今日死ななかつたら、明日は彼をたずねていたしめてやろう[やぶちゃん注:「痛いしめてやらう」(痛い目にあわせてやる!)であろう。]。』
『ほんとにさうなさいまし、そんなにぴんぴんしていらつしやるのに、今夜死ぬなどとよくも言へたものです。もうもうそんなけがらはしい言葉は、酒を飮んでお忘れなさいませ。』
官平は女房のすゝめた晚酌に醉つて、まだ日も暮れきらぬにその場で假寢した。小瀨は女中の安《やす》を呼んで二人で官平を運んで、正しく寢させ、それから女中に、易者の話をして、今夜は針仕事しながら寢ずの番をしようと云ひ出した。さて段々夜が更けて行くと、安がくらりくらりと眠り出したので、小瀨は搖り起しては夜の更けるのを待つと、やがて三更[やぶちゃん注:午前零時頃。]の太皷がなつたので、『もう三更が過ぎたから大丈夫、さあ二人がもた人がもたれ合つて寢よう。』と告げた。
するとその時、奧の間から、官平が白裝束で寢間から飛び出して來て、あつといふまに、戶外へ走り出して行つた。すはとばかり、小瀨は安と共に手燭をともして良人の跡を追ひかけたが、女の足では追ひつくことが出來ず、あれよあれよという間に官平は、ある大川の橋の上まで走つて、まんなかどころから、どぶんと飛び込んでしまつた。
二人の女は橋の上で、泣き悲しみ乍ら、聲をかけたが、丁度水の多い時分だつたので忽ち良人の姿は見えなくなつてしまつた。かれこれするうち近邊の人たちは物音を聞いて駈け集つて來たが、最早如何ともすることが出來ず、小瀨をなだめて家に送りかへし、白水翁の言葉のあたつたことに皆々舌を捲いた。
あくる日近邊のものは死骸をさがしに行つたけれども海へ流されたと見えて行方が知れず、官平は狂氣して死んだと取沙汰されて事件は落着した。小瀨は安と共に亡夫の位牌を設けて追善に日を送つたが、百ケ日も過ぎると、小瀨の親里から再緣のことをすゝめて來た。小瀨はどうしてもそれを受けなかつたが、あまりに勸められるので、『この家へ養子を迎へるならば兎に角、他家へ嫁《よめい》ることは、どうしても厭だ』と、その心底を打明けた。そこで父親も尤もに思つて、然るべき養子を物色すると、丁度同じ國守の郡役を承る岸某の弟に權藤太《ごんとうだ》といふのがあつて、官平夫婦をまんざら知らぬ間でもなかつたから、話をすゝめて見ると双方乘氣になり、こゝに緣談は首尾よくまとまつて、權藤太は名を官平と改めて、茅沼の家を相續したが、夫婦の間は至つて圓滿であつた。
或る夜夫婦は寢酒を飮まうと思つて、女中の安に酒の𤏐を命じた。安は眠たい眼をこすり乍ら、竃のそばへ寄ると驚いたことにその竃がぐらぐらと搖れて、一尺ほども地を離れた。見ると竃の下には人間らしいものがいて、髮を亂し、舌を吐き、眼に血の淚をうかべて、『安、安』と呼んだ。安はびつくりして悲鳴をあげて氣絕したので、夫婦が水をそゝいで甦らせて事情をたずねると、安は『前の旦那樣が竃の下から御呼びになつた』と答へた。これをきいた小瀨は大に怒つて『厭々酒を溫めるものだから、そういう恐ろしい目にあふのだ。』とたしなめ、ぶつぶつ言つて二人は寢室へかへつた。
そのことがあつてから、小瀨は安をきらい、どこかへ嫁らせようと思つて居ると、幸ひに同じ郡に段介《だんすけ》といふ商人があつたので其處へ仲人して安をかたづけてやつた。ところがこの段介という男は非常な酒好きで博奕を好み、いつも安を官平の家に遣して金を借りさせたが、ある夜、また酒に醉つて、今からすぐ金を借りて來いと言ひ出した。で安は厭々ながら官平の家の門まで來ると、ふと上の方から『お前に金をやらう』といふものがあつた。見ると、屋根の上に一人の男が立つて居て、
『俺は死んだ官平だ。この袋の中に金があるからつかふがよい。それから、この紙に俺の末期の一句が書いてある。』
といいながら、その袋を投げて、何處ともなく消え去つた。安は恐ろしい思ひをしながらも、取り上げて見ると、先の主人の火打袋であつたので、家に歸つて事の次第を告げたが、段介はその金を消費したので、人には語らずそのまゝ日を送つた。
話變つて、ある夜、國守は、夢に髮をのばした男が、頭に井戶をいたゞき、眼中血の淚をながして一枚の願狀を奉つたのを見た。その文に、
要ㇾ知二三更事一 可ㇾ開二火下水一
とあつたことを覺めて後も覺えて居たのでそれを紙に書いて市門《しもん》に掛け、懸賞で、この意味を說くものを募集した。これを見た段介は、先夜火打袋にあつた一句がこれと全く同じだつたので、早速訴え出ると、國守はその書附を出させて御覽になつた。ところがその書附は白紙になつて居たので段介は大に恐縮して、事の次第を逐一申述べた。
國守はそれから安を呼んで一切の事情をきゝとり、官平の家へ數人の人夫を遣して竃を毀《こわ》させると、下には一個の石があり、更にその石を取りのけると井戶があらはれたので、中を探ると官平の絞殺死體が出て來た。そこで國守は官平夫婦を詰問し、その結果夫婦は包み切れずして白狀した。それによると、二人は先の官平の生きて居る頃、不義をして居たが、ある日官平が八卦を見て貰つて歸り、易者の言葉を告げたので、その家にかくれていた權藤太は三更の頃、醉ひふした官平を絞殺して井戶の中へかくし、それから、髮をふりみだし、官平のやうに裝つて、橋まで走り行き、大石を投げて、身を投げたように見せかけ、それから小瀨と計つて、井戶の上に竃をうつし、次で首尾よく養子をして不義の目的を達したのである。』
[やぶちゃん注:「要ㇾ知二三更事一 可ㇾ開二火下水一」「三更の事を知らんと要(えう)せば 火下(くわか)の水を開くべし」である。]
これがこの物語の梗槪であつて、可なりに超自然的な分子が濃厚であるけれども、探偵小說としては上乘のものである。易者の言を巧みに應用して、人々の眼をくらますやうな狂言を書いたところは頗る面白い。現代の探偵小說家ならば後半の超自然的分子を科學的にして相當な探偵小說を作るであろう。
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