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2021/09/08

芥川龍之介書簡抄139 / 大正一五・昭和元(一九二六)年十一月(全) 五通

 

大正一五(一九二六)年十一月一日・鵠沼発信・小澤忠兵衞宛(小穴隆一と寄書。「十一月一日鵠沼隆龍」と署名有り)

 

先達は失禮致しましたその節尊臺の下駄を間違へてかへりました早速小包みにてお送り致します右どうかおゆるし下さい

     戲れに

   ふりわけて片荷は酒の小春かな

[やぶちゃん注:底本では、ここに『小穴隆一の繪あり』と編者注する。但し、絵はない。]

               龍 之 介

   忠じるし樣[やぶちゃん注:底本では、ここに以上の宛名は『小穴隆一の筆』と編者注する。]

 

[やぶちゃん注:俳句の最年長の友で小穴とも親しい小澤碧童が前月末の二十六日に来訪し、三十日頃まで滞在していたが、小澤が帰った後、芥川龍之介は、自分が小澤の下駄を自分の物と間違えて履いてしまっていたことに漸く気づき、この詫び状とともに下谷の小澤邸に小包で送ったのであった。]

 

 

大正一五(一九二六)年十一月十日・鵠沼発信(推定)・東京市外中目黑九九〇 佐佐木茂索樣

 

 原稿用紙で失禮。御手紙拜見。僕も新年號で手こずつてゐる。實に海邊の憂ウツだ。秋聲は岡の叔父だけある。O君は餘り幸福ぢやないよ。この頃の寒氣に痔が再發。催眠藥の量は增すばかり。ちと東家へでもやつて來ないか? 僕の家でもお宿位はする。兎に角君の顏が見たい。この頃君のことを考へてゐると、必ず君から手紙が來る。この前の手紙などは行き違ひだつた。それも少からず氣味が惡い。

    十一月十日      龍 之 介

   佐 茂 樣

 

[やぶちゃん注:「僕も新年號で手こずつてゐる」翌年の元旦発行の新年号のライン・ナップは「悠々莊」(『サンデー毎日』)・「彼」(『女性』)・「彼・第二」(『新潮』)・「玄鶴山房」の「一・二」のみ(『中央公論』。全篇は二月一日号)・「貝殼」(『文藝春秋』)・「文藝雜談」(『文藝春秋』)「萩原朔太郞君」(『近代風景』)である(リンク先は私の電子テクスト。特に「彼」と「彼 第二」(後に中黒は削除された)は私の偏愛する作品である。

「秋聲は岡の叔父だけある」岡栄一郎は金沢市上新町に生まれで明治四五(一九一二)年に第三高等学校を卒業し、東京帝国大学英文科に入学したが、徳田秋声と遠縁に当たり、上京後は秩声の家の裏の下宿に住んで、徳田家に親しく出入りしていた。但し、「徳田秋聲全集」に載る岡栄一郎の家系略図を見ると(私のツイッターをフォローして下さっている徳田秋声研究者であられる亀井麻美氏のツイッターに載せられた当該画像を視認した)、叔父ではない。栄一郎の母ヒデの兄弟がヤヘという女性と結婚しているが、そのヤヘの再婚相手の徳田直松の父徳田雲平の三度目の結婚相手タケとの間に出来た末雄(雲平の三男)が徳田秋声であり、血縁関係は全くなく、文字通りの遠縁である。この龍之介の謂いは、既に注で述べた通り、岡が、龍之介が媒酌をした女性と一年ほどで姑の岡の母と不仲になって離婚した結果、その鬱憤を見当違いの龍之介にぶつけたことと、『近代日本文芸読本』事件で秋声が執拗に抗議し、さらに龍之介の「點鬼簿」を痛罵したことを、重ねて、かく恨みごとの皮肉として述べたものである。

「O君は餘り幸福ぢやない」「O君」は小穴隆一。例の縁談相手の、哲学者西田幾多郎の姪の同じく哲学者であった高橋文子との関係が全く進展していないことによるもの。結局、この結婚は成立しなかった。

「東家」鵠沼の龍之介の借家の直近にある東屋旅館。既に述べた通り、佐佐木の御用達の旅館だった。

「この頃君のことを考へてゐると、必ず君から手紙が來る。この前の手紙などは行き違ひだつた。それも少からず氣味が惡い」事実なのかも知れぬが、強迫神経症の典型的関係妄想のように私は読む。]

 

 

大正一五(一九二六)年十一月二十一日・鵠沼発信・齋藤茂吉宛

 

敬啓 原稿用紙にて御免下され度候。唯今新年號の仕事中、相かはらず頭が變にて弱り居り候間、アヘンエキスをお送り下さるまじく候や。御多用中お手數を相かけ申訣無之候へども、右當用のみ願上げ候。なほ又失禮ながらアヘンエキスのお代金はその節お敎へ下され候はば、幸甚に御座候。頓首。

    十一月二十一日    芥川龍之介

   齋藤茂吉樣

 

[やぶちゃん注:「アヘンエキス」アヘンチンキ(laudanum/opium tincture/阿片丁幾)のこと。麻薬アヘン(キンポウゲ目ケシ科ケシ属ケシ Papaver somniferum の種子の未熟果に傷をつけ浸出する乳液から採る。それから劇薬の鎮痛剤モルヒネ(morphine)や、化学的に変化させた麻薬ヘロイン(Heroin)が知られる)末を、エタノールに浸出させたもの。アヘンのアルカロイドのほぼ総てが含まれている。特にモルヒネが高い濃度で含まれているため、アヘンチンキは歴史的に様々な病気の治療に使われてきたが、主な用法は鎮痛と咳止めであった。二十世紀初頭までは、アヘンチンキは処方箋なしで買える場合もあり、多くの売薬の構成物質であったが、常習性が強いため、現在では世界の多くの地域で厳しく制限され、管理されている。現在では、一般的に、下痢の治療やヘロイン等の常習癖がある母親から生まれた子供の「新生児薬物離脱症候群」(neonatal abstinence syndrome)を和らげるために用いられる。嘗て一部のヨーロッパの文化人もこれを愛用したが、中国を始めとするアジアでの喫煙によるアヘン摂取とは異なり、アヘンチンキは腸を経由するため、常習性はあったものの、廃人となるようなことは、そう多くはなかった(以上は当該ウィキに拠った)。]

 

 

大正一五(一九二六)年十一月二十八日・鵠沼発信・齋藤茂吉宛

 

御手紙ならびにオピアムありがたく頂戴仕り候。胃腸は略舊に復し候へども神經は中々さうは參らず先夜も往來にて死にし母に出合ひ、(實は他人に候ひしも)びつくりしてつれの腕を捉へなど致し候。「無用のもの入るべからず」などと申す標札を見ると未だに行手を塞がれしやうな氣のすること少からず、世にかかる苦しみ有之べきやなど思ひをり候。小說はやつと一つ書き上げ唯今もう一つにとりかかり居り、それを終らばもう一つと存じ候へども如何なる事やらこの不安も亦少からず候。なほ又お金の儀お知らせ下され候やう無躾ながら願上げ候。數日前小澤碧童、遠藤古原艸など參り候その節碧童老人の句にかう云ふ作有之候。頓首

   行秋やくらやみになる庭の内

    十一月二十八日    芥川龍之介

   齋藤茂吉樣

 

[やぶちゃん注:明白な病的な関係妄想が記されてある。

「オピアム」アヘンのこと。前注英文表記参照。カタカナ音写は「オピエム」に近い。

「つれ」小穴隆一と思われる。]

 

 

大正一五(一九二六)年十一月二十九日・消印三十日・鵠沼発信・東京市外中目黑九九〇 佐佐木茂索樣・十一月二十九日 くげぬま 芥川龍之介

 

羊羹をありがたう(羊羹と書くと何だか羊羹に毛の生へてゐる氣がしてならぬ)お手紙もありがたう。君が餘り氣を使つてくれると、それが反射して苦しくなる事もある。(手紙ばかりならば助かるだけだが)何しろふと出合つた婆さんの顏が死んだお袋の顏に見えたりするので困る。今はどんな苦痛でも神經的苦痛ほど苦しいものは一つもあるまいと云ふ氣もちだ。敷日前に伯母が來てヒステリイを起した時に君に敎へられたのはここだと思つて負けずにヒステリイを起したが、やはり結局は鬱屈してしまつた。我等人間は一つの事位では參るものではない。しかし過去無數の事が一時に心の上へのしかかる時は(それが神經衰弱だと云へばそれまでだが)實にやり切れない氣のするものだよ。その中で兎に角小說を書いてゐる。我ながら妙なものだと思ふ。昨日宇野浩二がやつて來た。何だか要領を得ない事を云つて歸つて行つた。以上

    十一月二十八日    芥川龍之介

   佐佐木茂索樣

  二伸 小穴曰「よろしく」と

 

[やぶちゃん注:「羊羹と書くと何だか羊羹に毛の生へてゐる氣がしてならぬ」これはお道化ているのではないと思う。漢字に対するゲシュタルト崩壊で、夏目漱石にも認められれ、確かそれを漱石自身が話した相手は、まさに芥川龍之介だっとように記憶する。所謂、強迫神経症の一症状とも言えると、私は考えている。これらの愁訴は、まさに運命的に師漱石から彼に伝染(うつ)っていると言ってよいとさえ私は思っているのである。

「宇野浩二がやつて來た。何だか要領を得ない事を云つて歸つて行つた」盟友宇野浩二は、一般には、この翌年の五月末に発狂したとされるが、既にこの頃から、変調をきたしていたものと思われる。なお、発症後は龍之介が親身になって世話をし、齋藤茂吉のところに連れて行き、診察して貰ったり、嫌がる宇野を精神病院に入院させたりしている。病因は諸説あるが、私は脳梅毒による脳障害説を支持する。数年で作家としてカン・バックしたが、明らかに文体が変質していた。私はブログ分割版とサイト版(上巻下巻)で彼の「芥川龍之介」(昭和二十六(一九五一)年九月から同二十七(一九五二)年十一月まで『文学界』に一年三ヶ月に及ぶ長期に連載され、後に手を加えて同二十八年五月に文藝春秋新社から刊行された)を電子化注しているが、表現や拘りに異様な偏執性が見てとれるものである。]

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