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2021/09/13

「南方隨筆」版 南方熊楠「牛王の名義と烏の俗信」 オリジナル注附 「一」の(1)

 

[やぶちゃん注:本篇は、遠い昔、ネットを始めたばかりの二〇〇六年九月三日に平凡社「南方熊楠選集」を底本としてサイト版で電子化しているのだが、今回は全くの零から始めて、しかも詳注附きで改めて電子化に入る。長いので、幾つかの段落部分で分けて電子化注する。]

 

        牛王の名義と烏の俗信

 

       

 鄕土硏究に出た「守札考」の中に、淸原君は、牛王(ごわう)の名の起原を論じて「要するに牛王の符は、牛黃なる靈藥を密敎でその儀軌に收用し一種の加持を作成した事から起つた者であらう」と言はれた。乃ち舊說に牛王は牛玉で有て又牛黃牛寶とも稱し、牛膽の中から得る所の最も貴き藥である、之を印色として符の上に印するより牛王寶印と稱すと云ふに據つたものだ(鄕土硏究三卷四號一九七、一九九頁)。和漢三才圖會三七に、牛黃俗云宇之乃太末と有り、田邊附近下芳養(しもはや)村字ガケと云ふ部落の大將、予と年來相識の者の話に、牛の腹より極めて貴き黃色の物稀(まれ)に出で芬香比類無しゴーインと名くと云ふたのは牛王印の訛りだらう。東鑑に建保五年五月二十五日將軍實朝年來所持の牛玉を壽福寺の長老行勇律師に布施せし事を載す。格別上品で大きい牛黃だつた物か。又牛膽中より得る極て香しき牛黃の外に、韋皮(なめしがは)の樣な臭有る牛の毛玉(けだま)というものを膓から出す事有り。和漢三才圖會俗間有牛寶、形如玉石、外面有毛、蓋此如狗寶鮓荅之類、牛之病塊、與牛黃一類二種也、庸愚賣僧輩、爲靈物、或以重價索之、其惑甚哉と云へるは是だ。此邊で之を懷中すれば勝負事に運强いと云ふ。實朝が布施したのは此毛玉かとも思ふ。

[やぶちゃん注:『鄕土硏究に出た「守札考」』『郷土研究』に清原貞雄著「守札考(上)」(大正四(一九一五)年六月発行)及び同翌月号「守札考(下)」が載ることが国立国会図書館「レファレンス協同データベース」のこちらで確認出来た。「鄕土硏究三卷四號」とあるのは前者。

「牛王」清原氏の論文名から、ここは熊野神社・手向山八幡宮・京都八坂神社・高野山・東大寺・東寺・法隆寺などの諸社寺で出す厄難除けの護符「牛王(玉)宝印」(中世のものが「玉」が多い)のこと。図柄はそれぞれに異なるが、七十五羽の鴉を図案化した「熊野牛王」は有名(私は熊野三社総てのそれを書斎に配してある)。その裏は誓紙や起請文を書く際に神かけたものとするために用いた。

「和漢三才圖會三七に、牛黃俗云宇之乃太末」(うしのたま)「と有り」私の「和漢三才圖會卷第三十七 畜類 牛黃(ごわう・うしのたま) (ウシの結石など)」の原文・訓読及びオリジナル注を参照されたい。

「田邊附近下芳養(しもはや)村字ガケ」現在の和歌山県田辺市芳養町(はやちょう)のこの旧崖地区(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「東鑑に建保五年五月二十五日將軍實朝年來所持の牛玉を壽福寺の長老行勇律師に布施せし事を載す」建保五(一二一七)年五月大の二十五日の条に、

   *

廿五日壬丑 於御持佛堂。被供養文殊像。導師壽福寺長老。而將軍以年來御所持牛玉爲御布施。廣元朝臣不可然之由。雖傾申。不能御許容云々。

(廿五日壬丑 御持佛堂に於いて、文殊像を供養せらる。導師は壽福寺長老[やぶちゃん注:退耕行勇。]。而うして、將軍、年來の御所持の牛玉(ぎうぎよく)を以つて御布施と爲すに、廣元朝臣、「然るべからざる」の由、傾(かたぶ)け申すと雖も、御許容に能はずと云々。)

   *

大江広元は畜生の体内から得た物を梵珠菩薩に供儀することを宜しくないと進言したのである。

「香しき」「かぐはしき」。

「和漢三才圖會俗間有牛寶……」先の私のリンク先を見られたいが、

   *

△按ずるに、俗間、牛寳(うしのたま)有り、形、玉石のごとく、外靣に毛あり。蓋し、此れ、狗寳(いぬのたま)[やぶちゃん注:「和漢三才圖會卷第三十七 畜類 狗寳(いぬのたま) (犬の体内の結石)」を参照。]のごとくにして、「鮓荅(さとう)」の類ひなり。牛の病塊(びやうかい)たる牛黃とは、一類にして二種なり[やぶちゃん注:「別種のものである」の意。「牛黃」を特別視する習慣によるもの。]。傭愚(おろかもの)・賣僧(まいす)[やぶちゃん注:「まい」「す」ともに唐音。仏法を種に金品を不当に得る僧。禅宗から起こった語で、後に単に人を騙す者の意にも転じた。]の輩(やから)、靈物(れいもつ)と爲(な)し、或いは重き價(あたひ)を以つて之れを索(もと)む。其れ、惑(まどひ)の甚しきかな。

   *

で、寺島良安は効能を全く認めていないことが判る。なお、こうした「鮓荅(さとう)」(各種獣類の胎内結石或いは悪性・良性の腫瘍や免疫システムが形成した異物等を称したもの)については、「和漢三才圖會卷第三十七 畜類 鮓荅(へいさらばさら・へいたらばさら) (獣類の体内の結石)」を参照されたい。]

 曾我物語卷七第八章、三井寺の智興大師重病の時、その弟子證空これに代り死なんとて晴明を請うて請じて祀り替へしむるところに、「晴明禮拜恭敬(らいはいくぎやう)して、云々、既に祭文に及びければ、牛王の渡(わた)ると見えて、種々のさんせん幣帛或は空に舞上がりて舞遊び、或は壇上を跳り廻る、繪像の大聖不動明王は利劒を振り給ひければ、其時晴明座を立て珠數を以て證空の頭を撫で、平等大慧一乘妙典と言ひければ、則ち上人の苦惱さめて證空に移りけり」と出づ。爰に牛王と云へるは牛黃では分らず、假令牛黃又牛王寶印とするも、文の前後より推すと牛黃又牛王寶印其物を指さずして其物の精靈乃ち牛黃神又牛王寶印神とも稱すべき者を意味し、修法成就の際右樣の神が渡り降る[やぶちゃん注:「くだる」。]と同時に供物が自ら動き出すこと、恰も今日の稻荷下げに彌よ神が降る時幣帛搖(ゆれ)廻る如くだつたのであらう。例せば、唐譯不空羂索神變眞言經に見えた藥精味神が、狀如天形、衆寶衣服備莊嚴、身手便執持俱延枝果、無垢藥精大毒威云々、力能人吸奪精氣。それを畏れずに、持眞言者が咒を誦し打ち伏せると藥精の身から甘露を出す。それを採つて眼と身に塗れば金色仙と成り得、又藥精の髮を取つて繩として腰に繫(かく)れば何處に行くも障礙無しと有り。芳賀博士も予も出處を見出だし得ぬが、今昔物語四に靂旦國王前に阿竭陀藥來る話あり(鄕硏究一卷六號三六四頁及九號五五二頁參照)。徒然草に大根が人と現じて人の急難を救ふ譚出で、歐州の曼陀羅花(マンドラゴラ)(A. de Gubernatis, “La Mythologie des Plantes,” 1882, tom. ii, p. 213 seqq.)、印度のツラシ草(同書同卷三六五頁)、チエロキー印甸人[やぶちゃん注:「インジアン」。インディアン。]の人參(Reports of the Bureau of American Ethnology, XIX, 425)等、何れも植物ながら人體に象れる根又全體を具し、靈妙の精神を有すと信ぜられ、それ程には無いが、熊野で疝氣等の妙藥と傳へらるゝ「つちあけび」(山の神の錫杖と方言で呼ぶ)も、之を見出だした卽時採らずに歸宅して復往くと隱れ去つて見えぬと言ふ。

[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「◦」。

「曾我物語卷七第八章、三井寺の智興大師重病の時……」国立国会図書館デジタルコレクションの武笠三校訂「義経記・曽我物語」(昭和二(一九二七)年有朋堂書店刊。貞享四(一六八七)年刊本が底本)で示すと、当該条は「八 泣不動(なきふどう)の事」であるが、前の「七 三井寺の智興大師の事」から読まないと判らない。軍記物によくある、ある事態やケースに対して同様の例を示すに、ずっと過去に遡った事例を引き合いに出して語るところの一種の「語りの脱線」的部分で、蘇我兄弟の仇討ちとは無関係である。この話は、「宝物集」(巻三)、「発心集」(巻六)、「義経記」(巻五)などにも見え、陰陽師のチャンピオン安倍晴明(延喜二一(九二一)年~ 寛弘二(一〇〇五)年)が登場するからか、かなりメジャーな話である。読んで戴ければ判るが、智興大師が重病に陥り、晴明を呼ぶが、助けるためには、身代わりとなる死者が必要と述べ、智興の弟子證空が名乗り出て、病いが證空に移るに(熊楠はここまでしか書いていない)、證空が持仏の不動尊に祈ったところ、絵像が血の涙を流して、「我、汝の身に代わらん。」と言い、智興も證空も無事であったという話である。

「智興大師」阿闍梨智興内供奉(ないぐぶ ?~安和三(九七〇)年)。平安初期の僧。「内供」は宮中の道場で天皇に奉仕して御斎会の読師や修法を勤めた僧職。

「さんせん」「散錢」であろう。私の所持する王堂本「曾我物語」では「きんせんさんぐ」で「金錢」(「さんぐ」は「散供」であろう)であるが、「散錢」でも問題ない。

「稻荷下げ」稲荷信仰の内でも民間の巫者は、稲荷神を守護神として祀り、「稲荷下げ」「稲荷降(おろ)し」と称される託宣を行うことが多い。

「不空羂索神變眞言經」不空羂索観音を説く経典。大小約六十種ほどの色々な儀軌から構成されており、「大日経」以前に成立したと推定されている初期密教経典で、七〇九年頃に菩提流志によって漢訳されたもの(こちらの木村秀明氏の論文「『不空羂索神変真言経』「護摩安穏品」所説の護摩儀軌」PDF・『印度學佛教學研究』平成一六(二〇〇四)年十二月)に拠った)。

「藥精味神」不詳。古代インドの薬を司る荒神か。

「狀如天形……」平凡社選集の訓読を参考(無批判には従わない)に読み下す。

狀(かたち)、天の形のごとく、衆寶の衣服、備(つぶ)さに莊嚴にして、身・手には便(すなは)ち、俱延枝果(ぐえんしくわ)を執り持ち、無垢なる藥精は大毒威ありて」云々、「力は能く人の精氣を吸ひ奪ふ」。

「金色仙」「こんしきせん」と読んでおく。道教の最上級の仙薬金丹を含んで不老不死の一切の傷を身に受けることのないフル・メタル。ジャケットみたような神仙となることか。

「芳賀博士」国文学者芳賀矢一(慶応三(一八六七)年~昭和二(一九二七)年)。越前国福井生まれ。父芳賀真咲も国学者であった。第一高等中学校から帝国大学文科大学を卒業。明治三一(一八九八)年に東京帝国大学助教授、翌年からドイツに留学し、文献学を学び、明治三四(一九〇一)年に帰国して東京帝国大学教授となった。二年後には文学博士を取得している。南方熊楠とは東京帝大予備門での同級生であり(熊楠は明治一八(一八八五)年十二月二九日に期末試験で代数一課目だけが合格点に達しなかったため、落第し、予備門を中退した)、「今昔物語集」の研究などで交流があった。

「今昔物語四に靂旦國王前に阿竭陀藥來る話あり」「今昔物語集」巻第四の「震旦國王前阿竭陀藥來語第三十二」(震旦(しんだん)の國王の前に阿竭陀藥(あかだやく)來たれる語(こと)第三十二)である(「新日本古典文学大系」版(第一巻・今野達校注・一九九九年)を参考に用い、漢字は正字化した。□は欠字)。

   *

 今は昔、震旦の□□代に國王、在(まし)ましけり。一人の皇子(わうじ)有り。形、端正にして、心□□也。然れば、□□□□父の王、此の皇子を悲しみ愛し給ふ事、限り無し。

 而るに、皇子、身に重き病ひを受けて、月來(つきごろ)經たるに、國王、此れを歎きて、天に仰ぎて、祈請し、藥を以つて療治すと云へども、煩ふ事、彌(いよい)よ增さりて、𡀍(い)ゆる事、無し。

 其の時に、大臣として、止む事無き醫師有り。而るに、國王、此の大臣と極めて、中、惡しくして、敵(かたき)の如し。然れば、此の皇子の病ひをも、此の大臣には、問はれず。

 然りと云へども、此の大臣、醫道に極めたるに依りて、國王、皇子の病い、問はむが爲に、年來(としごろ)の怨(あた)を思ひ、弱り給ひて、忽ちに大臣を召す。

 大臣、喜びを成して參りぬ。

 國王、大臣に出で會ひて、語りて宣はく、

「年來、互ひに怨を成して、親しまずと云へども、皇子、身に病ひを受けて煩ふに、諸(もろもろ)の醫師を召して、療治せしむるに、𡀍ゆる事、無し。然(さ)れば、年來の怨を忘れて、汝を呼ぶ。速かに、此の皇子の病ひを療治して𡀍(い)えしめよ。」

と。

 大臣、答へて云はく、

「實(まこと)に、年來、敕命を蒙(かうぶ)らず、暗夜(やみのよ)に向へるが如し。今、此の仰せを奉(うけたま)はる、夜の曉(あ)けたるが如し。然(さ)れば、速かに御子(みこ)の御病ひを見るべし。」

と云ふに隨ひて、大臣を呼び入れて、皇子の病ひを見しむ。

 大臣、皇子を見て云はく、

「速かに藥を以て療すべし。」

と云ひて、出でぬ。卽ち、藥を以つて、大臣、參りて云はく、

「此れを服(ぶく)せしめ給はば、御病ひ、卽ち、𡀍ゆべし。」

と。

 國王、此れを聞きて、喜び乍ら、此の藥を取りて、見て、宣はく、

「此の藥の名をば、何とか云ふ。」

と。早う、大臣の構へける樣(やう)[やぶちゃん注:事前に医師大臣が内心で企んで思ったことによれば。]、

『此れは、藥には非ずして、人、此れを服しつれば、忽ちに死ぬる毒を、「藥ぞ」と云ひて、此の次(つい)でに、年來の怨を酬いて、皇子を殺さむ。』

と思ひて、毒を持(も)て來たれるを、國王の、藥の名を問ひ給ふ時に、大臣、思ひ繚(あつか)ひて[やぶちゃん注:どきっとして、あれこれと思案に迷って。]、

『何が云はまし。』

と思ふに、只、何ともなく、

「此れなむ、『阿竭陀藥(あかだやく)』と申す。」

と。

 國王、「阿竭陀藥」と聞き給ひて、

「其の藥は、服する人、死ぬる事、無かんなり[やぶちゃん注:死ぬことはないそうだ。]。『皷に塗りて打つに、其の音を聞く人、皆、病ひを失ふ[やぶちゃん注:病が癒える。]事、疑ひ無し。』と聞く。況や、服せらむ人、何(な)どか病ひを𡀍ざらむ。」

と深く信じて、皇子に服せしめつ。

 其の後、皇子の病ひ、立ち所に𡀍ぬ。大臣は既に家に還りて、

『御子は、卽ち、死ぬらむ。』

と思ひ居たる間に、

「卽ち、𡀍ぬ。」

と聞きて、怪しび思ふ事、限り無し。

 國王は、大臣の德に依りて、皇子の病ひ𡀍ぬる事を、喜び思ひ給ふ。

 而る程に、日、晚(く)れぬ。夜に入りて、國王の居給へる傍らを、叩く者、有り。

 國王、怪しびで、

「何ぞの者の、かくは、叩くぞ。」

と問ひ給へば、

「阿竭陀藥の參れる也。」

と云ふ。

 國王、

『奇異也。』

と思ひ給ひ乍ら、叩く所を開(あ)けたれば、端正なる、若き男女(なんによ)、來たれり。

 國王の御前に居て、語りて云はく、

「我れは、此れ、阿竭陀藥也。今日、大臣の持て參りて服せしめつる藥は、極めたる毒也。服する人、忽ちに命を失ふ者也。大臣、御子を殺さむが爲に、毒を『藥ぞ。』と名付て、服せしめつるに、王の、『此の藥の名をば、何(いか)が云ふ。』と問はせ給つるに、大臣、申すべき方(はう)無きに依りて、只、心に非ず、『此れ、阿竭陀藥也。』と申しつるを、王、深く信じて、服せしめ給はむと爲(す)る程に、『阿竭陀藥ぞ。』と云ふ音(こゑ)の、髴(ほのか)に聞えつるに依りて、『然らば、阿竭陀藥を服する人は、忽ちに死ぬる也けりと知らしめされじ。』と思ふに依りて、我が、忽ちに來り、代はりて、服せられ奉る也。然れば、御病は立所に𡀍え給ひぬる也。此の事を申さむが爲に、我れ、來れる也。」

と云て、卽ち、失ぬ。

 國王、此の事を聞き給て、肝・心を碎くが如し。

 先づ大臣を召して、此の由を問はるるに、隱し得ずして顯れぬ。

 然(さ)れば、大臣の首を、斬られぬ。

 其の後(のち)、御子、身に病ひ無くして、久しく持(たも)ちけり。此れ、阿竭陀藥を服せるに依りて也。

 然れば、諸の事は、只、深く、信を成すべき也けり。信を成せるに依りて、病を𡀍やす事、此くの如くとなむ、語り傳へたるとや。

   *

「徒然草に大根が人と現じて人の急難を救ふ譚出で」同書第六十八段の大根好きの男の不思議な話。「怪談老の杖卷之一 杖の靈異」の私の注で電子化してあるので参照されたい。

「歐州の曼陀羅花(マンドラゴラ)」ナス目ナス科マンドラゴラ属 Mandragora の植物。マンドレイク(Mandrake)とも呼ぶ。別名その根は時に人形(ひとがた)を呈し、西洋の妖しげな呪術書によく出てくる。当該ウィキによれば、『古くから薬草として用いられたが、魔術や錬金術の原料として登場する。根茎が幾枝にも分かれ、個体によっては人型に似る。幻覚、幻聴を伴い』、『時には死に至る神経毒が根に含まれる』。『人のように動き、引き抜くと悲鳴を上げて』、その声を『まともに聞いた人間は発狂して死んでしまうという伝説がある。根茎の奇怪な形状と劇的な効能から、中世ヨーロッパを中心に、上記の伝説がつけ加えられ、魔術や錬金術を元にした作品中に、悲鳴を上げる植物としてしばしば登場する。絞首刑になった受刑者の男性が激痛から射精した精液から生まれたという伝承もあり』、『形状が男性器を彷彿とさせる』とも言う。『また』、『この植物のヘブライ語「ドゥダイーム」は、「女性からの愛」を指すヘブライ語「ドード」と関連すると考えられ』、『多産の象徴と見られた』。『南方熊楠は、周密などの書いた中国の文献に登場する「押不蘆」なる植物が、麻酔の効果らしき描写、犬によって抜くなどマンドレイクと類似している点、ペルシャ語ではマンドレイクを指して「ヤブルー」と言っている、また、パレスチナ辺で「ヤブローチャク」と言っている点から、これは恐らく宋代末期から漢代初期にかけての期間に、アラビア半島から伝播したマンドラゴラに関する記述であると指摘し』、『雑誌『ネイチャー』に、その自生地がメディナであると想定した文を発表し』ている。一方、『古代ギリシャでは「愛のリンゴ」と呼ばれ、ウェヌスへ捧げられ』、『また、ウェヌス神話における「黄金のリンゴ」がマンドレイクであるとする説もある』ともある。『マンドレイクは地中海地域から中国西部にかけてに自生する』『薬用としては』Mandragora officinarumMandragora autumnalis Mandragora caulescens の『三種が知られている。ともに根にヒヨスキアミン』(hyoscyamine)・『トロパンアルカロイド』(Tropane alkaloids)・『クスコヒグリン』(Cuscohygrine)『など数種のアルカロイドを含』み、『麻薬効果を持ち、古くは鎮痛薬、鎮静剤、瀉下薬(下剤・便秘薬)として使用されたが、毒性が強く、幻覚、幻聴、嘔吐、瞳孔拡大を伴い、場合によっては死に至るため』、『現在』じゃ『薬用にされることはほとんどない。複雑な根からは人型のようになるのもあり、非常に多く細かい根を張る事から』、『強引に抜く際には大変に力が必要で、根をちぎりながら抜くと』、実際に『かなりの音がする』とある。私はさんざん種々の本で読んできたので頗る既知である。より詳しくは、リンク先にまだ書かれているので読まれたい。

「A. de Gubernatis, “La Mythologie des Plantes,” 1882, tom. ii, p. 213 seqq.」イタリアの文献学者コォウト・アンジェロ・デ・グベルナティス(Count Angelo De Gubernatis 一八四〇年~一九一三年)の「植物の神話」。Internet archive」こちらで当該原文箇所が見られる。右ページ下方である。

「印度のツラシ草(同書同卷三六五頁)」同前のここ。右ページの中央附近に‘tulasi’という単語が盛んに見出される。これは「tulsi」とも綴り、そもそもがヒンディー語で「トゥルシー」、和名はカミメボウキ(神目箒)で、キク亜綱シソ目シソ科メボウキ属カミメボウキ Ocimum tenuiflorum 。アジア・オーストラリアの熱帯を原産とし、栽培品種や帰化植物として世界各地に広がった植物で、芳香を有する。英語では「ホーリーバジル」(holy basil:聖なるバジル)と呼ばれるようにバジルの一種。ヒンドゥー教では最も神聖な植物とされ、アーユルベーダの中心となる薬草で、古代から栽培されてきた。

「チエロキー印甸人の人參(Reports of the Bureau of American Ethnology, XIX, 425)」掲載誌はアメリカ合衆国スミソニアン研究所の『アメリカ民族学局紀要』のことと思われる。「Cherokee carrot」で検索してみたが、特殊な種なのかどうか、よく判らない。まあ、本邦産の人参も人形を呈することはままあることであり、ニンジンのそうしたものをチェロキー族が神聖なもの或いは呪的なものとして使用した可能性は大いにあろう。

「「つちあけび」(山の神の錫杖と方言で呼ぶ)」単子葉植物綱キジカクシ目ラン科ツチアケビ属ツチアケビ Cyrtosia septentrionalis 。土木通。かなり強烈な赤い実(茎ともに)を熟す(私は見たことがない。人気のない山中でこれを見たら、ちょっと慄っとすると思う)。当該ウィキによれば、『森林内に生育するラン科』Orchidaceae『植物である』が、同科の植物としても、『腐生植物(菌従属栄養植物)としても』、『非常に草たけが高く、大きく赤い果実がつくことから』、『人目を引く。日本固有種。別名はヤマシャクジョウ(山錫杖)等』。なお、双子葉植物綱キンポウゲ目アケビ科 Lardizabaloideae 亜科Lardizabaleae連アケビ属アケビ Akebia quinata とは何の関係もない植物である。『地上部には葉などは無く、地面から鮮やかな黄色の花茎が伸び、高さは』一『メートルに達する。秋になると』、『花茎の上部に果実がつき、熟すると長さが』十『センチメートルにもなり、茎を含めて全体が真っ赤になる』。纏まって『発生することがよくある』。『和名は地面から生えるアケビの意であると考えられるが、果実は熟しても裂開せず、形状以外は』、『さほど似ない。果実には糖分が含まれ』、『人間にも微かな甘味は感じられるが、タンニンが多量に含まれ、化学薬品のような強烈な異臭と苦味もあり、食用にはならない。民間では「土通草(どつうそう)」と呼ばれ、強壮・強精薬とされる。薬用酒の材料に用いられるが、薬用効果についての正式な報告はほとんどない。採集すると』、『時間の経過とともに黒変する。種子はラン科としては比較的大きく、肉眼で形状がわかる』。『光合成を行う葉を持たず、養分のすべてを共生菌に依存している』。茸のナラタケ(楢茸:菌界担子菌門菌蕈亜門真正担子菌綱ハラタケ目キシメジ科ナラタケ属ナラタケ 亜種ナラタケ Armillaria mellea subsp. Nipponica )『とラン菌根を形成し、栄養的に寄生している。地下には太い地下茎があって、長く横に這う。地下茎には鱗片状の葉(鱗片葉)がついている』。『初夏に花茎を地上に伸ばす。花茎は高さが』五十センチメートルから一メートルに『達し、全体が黄色または濃いピンク色で、鱗片葉はほとんどみられない。あちこちに枝を出して複総状花序となり、枝の先端に花を咲かせる。花は』三『センチメートル近くになり、全体にクリーム色で肉厚である』。『果実は秋に成熟する。果実は楕円形、多肉質で、熟するにつれて重く垂れ下がり、多数のウインナーソーセージをぶら下げたような姿になる。果実は肉質の液果である。その点でバニラ』(ラン科バニラ属バニラ Vanilla planifolia )『などと共通しており、これらはやや近縁とも言われる』。『腐生ラン類は非常に生育環境が限定されるものが多いが、ツチアケビは森林内であれば比較的どこにでも出現し、スギやヒノキの人工林等でも見かけることがある』。『通常、ラン科植物は埃種子と呼ばれる非常に微小な種子を大量に風に乗せる種子散布を行っているが』、二〇一五『年の京都大学の研究により』、『ヒヨドリなどの鳥によるツチアケビの種子散布が明らかになった。これは世界で初めてのラン科植物における動物による種子散布の報告である』とある。]

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