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2021/09/28

小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (20) 御伽婢子と雨月物語の内容

 

     御伽婢子と雨月物語の内容

 

 超自然的な怪奇を取り扱つた作品の内容も、その形式と等しく頗る相似通つて居る。御伽婢子と雨月物語の内容の似て居るのは當然であるけれども、ポオの作品にも相似寄つた點があるのは興味ある現象といはねばならない。中にも戀愛を取り扱つたものには類似の題材が多く、例ヘば御伽婢子の「眞紅の打帶」(剪燈新話の「金鳳叙記」を飜案したもの)と、ポオの「リジア」とは頗る似たところがある。

[やぶちゃん注:以下は私のブログの「伽婢子卷之二 眞紅擊帶(しんくのうちをび)」で電子化注済み。なお、以下の「雨月物語」は私は少なくとも五冊以上の注釈版本を所持しているので、わざわざ原文リンクを必要としないのだが、最初の注に従い、国立国会図書館デジタルコレクションの国書刊行会大正七(一九一八)年刊の「上田秋成全集第一」の「雨月物語」の頭をリンクさせておく。各編はお手数乍ら、ご自身で探されたい。

『ポオの「リジア」』既出既注

 以下の梗概は、底本では全体が一字下げ。]

 越前の敦賀に檜垣平次といふ士《さむらひ》があつた。その一族が織田信長に攻められたゝめに、身をかくして上洛し五年間を暮した。彼には許嫁《いひなづけ》の女があつたが、別離の悲哀のために思ひ死にをしてしまつた。彼女の親は平次が出立の際與ヘて行つた眞紅の帶を、彼女の死骸に結びつけて野邊の送りをすませた後、幾何もなく平次は歸つたが、彼女の死をきいて獨り物思ひに沈み乍ら暮して居ると、ある日彼女の妹が外出するに逢つたが、その時妹が乘り物から落したものを見ると見覺えのある眞紅の帶であつた。不思議に思ひながら家に歸ると、その夜妹が忍んで來てさまざまに搔き口說いたので、彼は妹と駈落して三國《みくに》の湊に行き一年ばかりを夢のうちに暮したけれども、良心の呵責のために、敦賀に歸り、妹を船にとどめて、妹の兩親に詫を入れると、兩親は驚いて、帶はたしかに姉娘の死骸と共に葬つたこと及び妹娘は一年このかた重病で寢て居ることを語つた。こんどは平次が吃驚して船へ人を遣はして見ると、殘して來た筈の妹娘は居なかつた。するとその時病床の妹は枕をあげて、姉そのままの聲を出し、『前世に深い緣があつたから、閣魔大王に暇を貰つて一年あまり樂しく暮しましたが、もう私は歸ります。』といつて平次の手を取り、暇乞をして父母を拜み、更に『平次さんの妻となつても必ず女の道を守つて兩親に孝行をしなさい。』といひ乍らわなわなと顫へて倒れてしまつた。皆が驚いて顏に水を灑ぐと、妹は蘇生し病は忽ち平癒したが、何事も覺えがないといふことであつた。かくて妹は平次の妻となつて共に姉の跡を弔つた。といふのが眞紅の打帶の梗槪である。

 ポオの『リジア』では、ある男が、容貌も知識も古今に稀なといつてよい位の女と灼熱的な戀をする。ところがその女は死なねばならぬ運命に際會した。彼女はジョセフ・グランヴィールの『人間は意志さへ强ければ天使にも死にも決してその身を委ねることはない』といふ言葉を三度迄繰返して絕命する。男は悲歎のあまり、ライン河畔を去つてイギリスの片田舍に渡り、阿片溺愛者となつたが、女の遺產で、東洋風な邸宅に住ふことになり、そこで二度目の妻を迎へた。この女は第一の妻とは比較にならぬほど敎養が低く、男は頻りに先妻に戀ひこがれた。程なくして第二の妻も病氣にかゝつて絕命するが、やがて甦つた姿は先妻リジアであつたといふのである。

[やぶちゃん注:「リジア」「(18) 淺井了意と上田秋成」で既出既注。]

 この二つの物語は、共に强烈な戀は死をも征服することを描いたものであるが、前者では姉の靈が妹の生靈に宿り、後者では遺志の强い女の靈が、血緣關係のない女の死體に宿つたのであつて、凄味は遙かに後者に多いけれど、ポオのような巨匠でないものが、かういふ取扱いひ方をしたならば恐らく失敗するに違いない。

 これ等の物語とその内容は少しちがふが、强烈なる夫婦の戀は雨月物語の『淺茅《あさぢ》が宿《やど》』に美しく描かれてある。零落した男が家運再興のために上洛すると、その留守中に鄕里は戰亂の巷となつた。八年振りに歸つて見ると、最愛の妻は昔のわが家に待ちわびていたので、つもる話に夜を更かし、さて曉の夢がさめて見ると、自分一人が八重葎の中に臥て居て、妻の姿もわが家も見えなかつた。驚いて附近の人にたずねると妻はとくの昔に世を去つて居たといふ筋で、甚だ簡單である。然し、

[やぶちゃん注:同前。]

『たまたま此處彼處《ここかしこ》に殘る家に、人の住むとは見ゆるもあれど、昔には似つゝもあらね、いづれか我住みし家ぞと立惑《たちまど》ふに、こゝ二十步ばかりを去りて、雷《らい》に摧《くだか》れし松の聳えて立《たて》るが、雲間の星のひかりに見えたるを、げに我軒の標《しるし》こそ見えつると、先《まづ》喜《うれ》しきこゝちしてあゆむに、家は故《もと》にかはらであり、人も住むと見えて、古戶の間《すき》より燈火の影もれて輝々《きらきら》とするに、他人や住む、もし其人や在《いま》すかと、心躁《こころさはが》しく、門に立よりて咳《しはぶき》すれば、内にも速く聞《きき》とりて、誰《た》そと咎む。いたうねびたれど正《まさ》しく妻の聲なるを聞きて、夢かと胸のみさわがれて、我こそ歸りまゐりたれ。かはらで獨自《ひとり》淺茅が原に住みつることの不思議さよ、といふを、聞知りたれば、やがて戶を明《あく》るに、いといたう黑く垢づきて、眼《まみ》はおち入りたるやうに、結げたる髪も背にかゝりて、故《もと》の人とも思はれず、夫を見て、物をもいはでさめざめと泣く。』

 の一節などは、物語の簡單な筋を文章の妙によつて補つて餘りあると謂はねばならない。ことに『雷に摧かれし松』を持つて來た技巧は非凡である。

『淺茅が宿』は主として御伽婢子の『遊女宮木野』の一篇がその題材となつて居るらしいが、この『遊女宮木野』は、剪燈新話の『愛卿傳』[やぶちゃん注:底本は『愛鄕傳』となっているが、誤植と断じ、訂した。]の飜案である。又、雨月物語の中の『夢應の鯉魚』は、古今說海『魚眼記』の逐語譯と言つてよい。かういふ點を考へて見ると、超自然を取り扱つた題材といふものは、殆んど先人によつて搜し盡されたといつてよく、これからの怪奇小說の作者は、表現に新味を求めるより外はないかもしれない。

[やぶちゃん注:「遊女宮木野」私の「伽婢子卷之六 遊女宮木野」を参照されたい。

「古今說海」(ここんせつかい)全百四十二巻。明の陸楫(りくしゅう)撰。明までの小説百三十五種を「説選」・「説淵」・「説略」・「説纂」の四部に分けて収めている。もっぱら小説のみを集めた叢書は、現存するものでがこれが最も古い。特に「説淵」部には「杜子春伝」・「李章武伝」・「崑崙奴伝」・「魚服記」・「人虎伝」などの唐代伝奇の名篇がぞろりと収録されていて、伝奇作品の後世への影響を考察する上で貴重な資料とされる。]

 雨月物語には『白峯』、『菊花の契』、『淺茅が宿』、『夢應の鯉魚』、『佛法僧』、『吉備津の釜』、『蛇性の婬』、『靑頭巾』、『貧福論』の九篇が收められてあるが、このうち『靑頭巾』はその前半には變態性慾という現實の怪奇が取り扱はれて居るし、又、秋成が理窟家であることを知るに都合がよいから、特に紹介して置こうと思ふ。この物語は衆道に墮して鬼と化した庵主が行脚憎によつて得度されるといふ筋であつて、愛する少年の死を悲しんだ庵主は、『懷の璧《たま》を奪はれ、插頭《かざし》の花を嵐に誘はれしおもひ、泣くに淚なく、叫ぶに聲なく、あまりに歎かせ給ふまゝに、火に燒き、土に葬ることをもせで、瞼《かほ》に瞼をもたせ、手に手をとりくみて、日を經給ふが、終に心神《こころ》みだれ、生きてありし日に違《たが》はず、戲れつゝも其肉の腐り爛るゝを吝《をし》みて、肉を吸ひ、骨を嘗めて、はた喫《くら》ひつくしぬ。寺中の人々、院主こそ鬼になり給ひつれと、連忙《あはただ》しく逃去《にげさり》ぬる後《のち》は、夜な夜な里に下りて、人を驚殺《おど》し、或は墓を發《あば》きて、腥々《なまなま》しき屍を喫ふありさま、實《まこと》に鬼といふものは、昔物語には聞きもしつれど、現《うつつ》にかくなり給ふを見て侍れ』といふ狀態になつたのであつた。この狂妄の人に法を說いた行脚僧は、三年の後再び庵を訪れると、その人は、昔のままに葎《むぐら》の中に端座して、敎へられた通りに證道の歌を誦し、影のやうな人の聲ばかりが、生き殘つて居るのである。僧が禪杖を振りまはすと庵主の肉身は立ちどころに消えて靑頭巾と骨ばかりが散ばつて居たといふ結末である。作者は勿論後半の超自然的怪奇の凄味を多からしめんがために、前半に現實の怪奇を述べて居るためでもあらうが、現實の怪奇を述べる筆は、上に示したごとく一こう物凄くも何ともない。して見ると超自然的怪奇を取り扱ふ時と、現實の怪奇を取り扱ふ時とでは、作者はその態度をきつぱり變へてかゝる必要があるかもしれない。

[やぶちゃん注:この「靑頭巾」は私が「雨月物語」中、最も偏愛する一篇で、高校教師時代にオリジナルに授業案を作り、何度も古文の授業で全篇を教授した。私はそれを、雨月物語 青頭巾やぶちゃん訳やぶちゃんのオリジナル授業ノートとしてサイトで公開しているので、是非、読まれたい。

 それは兎に角、この一篇中に眼だつ所は、作者が人間が鬼になつた古今の例證を長々と擧げて居ることである。卽ち、『楚王の宮人は蛇となり、王含が母は夜叉となり、吳生が妻は蛾となる』といつたり、又、『男子にも隋の煬帝《ようだい》の臣家に麻叔謀といふもの、小兒の肉を嗜好《この》みて、潜《ひそか》に民の小兒を偸《ぬす》み[やぶちゃん注:底本は『嗜み』となっているが、これは不木の誤りかと思う。特異的に原作によって訂した。]これを蒸して喫《くら》ひしもあれど』などと書いて居る。これはかのポオの『早過ぎた埋葬』の始めの部分の実例記載や、『かねごと』の中の笑と死とに關する議論と同じやうなものであつて、一方から言へば作品の效果を多からしめるかもしれぬが、うつかりするとペダンチックだといつて笑はれる。秋成も可成りに議論が好きであつたと見え『貧福論』の如きは怪奇小說にはちがひないが、始めから終《しま》ひまで議論で埋つて居て、こゝにもまたポオと秋成との類似が認められるのである。

[やぶちゃん注:「早過ぎた埋葬」知られた短編小説。原題は‘The Premature Burial ’ 。一八四四年。梗概は当該ウィキを見られたい。

「かねごと」「予言・兼言」で「前以って言っておく言葉」の意。 「約束の言葉・未来を予想していう言説」を意味する。ここはポーの「約束事(ごと)」(The Assignation :一八三四年)のこと。中間部で主人が私に彼の館の建築と室内装飾について説明する内容を指す。但し、議論というより、殆んど主人の一方的な主張である。]

 さて、雨月物語にあらはれる幽靈を通覽するに、『吉備津の釜』にあらわれる人妻磯良の生靈が多少主觀的な色彩を帶びて居るだけであつて、あとは皆客觀的な幽靈である。それにも拘はらず、十分なる凄味をあらわし得たのは偏に秋成の非凡なる手腕の然らしめたところであるといはねばならない。

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