曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 双頭蛇
[やぶちゃん注:発表者は本文で判る通り、前の同類系奇談「蛇化して爲ㇾ蛸」に続いて、同じく滝沢興継琴嶺舎。画像は底本の吉川弘文館随筆大成版からトリミング補正した。]
○双頭蛇
文化十二年乙亥秋九月上旬[やぶちゃん注:一八一五年十月上旬(三日以降)相当。]、越後魚沼郡六日町の近村餘川(ヨカハ)村[やぶちゃん注:現在の新潟県南魚沼市余川。グーグル・マップ・データ。南魚沼市六日町の北に接する。]の民金藏、雙頭蛇をとらへ得たり。この金藏が隣人を太左衞門といふ。この日、金藏、所要ありて門邊にをり。その時、件の蛇、地上より走りて、隣堺なる垣に跂登るを[やぶちゃん注:「つまだちのぼるを」と訓じておく。伸び上がるように立ち登ったのを。]、金藏、はやく、見だして、箒をもて、拂ひ落としつゝ、やがて、とらへしなり。この蛇、長さ纔に六寸あまり、全身、黑く、只、その中央は薄黑にして、腹は、靑かり。則、桶に入れて養(カヒ)おきけり。近鄕、傳へ聞きて、老弱、日每に來たりて、觀るもの、甚、多し。はじめ、この蛇の跂出でんとするとき、双頭をふりわけ、左の頭は、左にゆかんと、するごとく、右の頭は、右にゆかんと、するがごとし。既にして、双頭、一心に定むる時は、眞直に走る、といふ。又、桶に入れて屈蹯(ワタカマ)るときは、双頭、かさなりて、よのつねの小蛇の如し。時に近鄕の香具師[やぶちゃん注:「やし」。]、これを數金に買ひとりて、もて、見せものにせんと、はかる。その事、いまだ熟談せざりし程に、忽、猫に銜み去られて[やぶちゃん注:「ふくみさられて」、口に銜(くわ)え去られて。]、これを追へども、終に及ばず。主客、望を失ひし、といふ。當時、同郡鹽澤の質屋義惣治、その略圖をつくりて、家嚴[やぶちゃん注:他人に自分の父を言う語。馬琴のこと。]におくりぬ。かの金藏は、義惣治が亡息の乳母の子なり。これにより、その蛇を、とりよして[やぶちゃん注:「取り寄して」。持ってこさせて。]、よく見て、圖したり。こは、傳聞にまかせたるそゞろごとにはあらず、とぞ。
[やぶちゃん注:以下、底本では全体が二字下げ。]
按ずるに、小蛇は、その色、皆、黑し。初生兩三年のゝち、きぬを脫(ヌキ)て、色の定まるものなり。件の双頭蛇も、その黑きが、本色にはあらぬなるべし。
文政乙酉林鍾月氷室開かるゝ日 琴嶺しるす
[やぶちゃん注:時に発見される双頭奇形の蛇。「耳嚢 巻之二 兩頭蟲の事」の私の注の方を見られたい。
グーグル画像検索「双頭蛇」をリンクさせておく。平気な方は、どうぞ。多数の事例の写真が見られる。剥製になったものは見たことがあるが、流石に実物を自然界で見たことは私はない。
「文政乙酉」文政八(一八二五)年。
「林鍾月」(りんしようげつ)は六月の異名。林鐘月とも書く。語源は不詳。
「氷室開かるゝ日」石川県金沢市湯涌町の「湯涌温泉観光協会」公式サイト内の「氷室」に、加賀藩では、『旧六月朔日を「氷室の朔日」と呼んでおり、毎年冬の間(大寒の雪)に白山山系に降った雪を氷室に貯蔵し、六月朔日になると』、『この雪を「白山氷」と名付け、桐の二重長持ちに入れて江戸の徳川将軍へ献上していた』とあるので、六月一日かとも思われる。]
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