曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 新吉原京町壱丁目娼家若松屋の掟
[やぶちゃん注:文宝堂発表。なお、国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」の『博多祇園山笠で歌われる「祝い歌」の歌詞に出てくる「若松さま」とはどこの神社仏閣のことか』という質問への回答として、『博多の祝い唄「祝い目出度の若松様よ…」は、『民謡歴史散歩』九州・沖縄編(河出書房新社 1962 p.19-21)、『九州のうた100』(朝日ソノラマ 1982 p.50-52)によると「伊勢音頭」と同系の歌』で、『この系統で最も新しいのが山形県の「花笠音頭」と出ている』。『博多独自のものではなく、伊勢に参詣した人々が、そこで唄われていた歌詞を記録して帰り、それによって同様の歌詞が全国に広まっているよう』で、『『日本民謡大事典』(雄山閣 1983 p.67、410-411)には、「花笠踊」の項目に、「目出度目出度の若松様よ…」という歌詞があ』り、『また、『日本民謡集』(岩波書店 1983 p.98)によると「この部分は、今も祝唄、婚礼唄、木遣唄、餅搗き唄等として殆ど全国共通」とあり、富山県の「布施谷節(ふせたんぶし)」、石川県の「まだら節」も同様の歌詞』であるとし、『インターネットで検索すると、「若松観音(若松寺)」を紹介したサイトに「花笠音頭に唄われ…」とあり。 正式な読みは「じゃくしょうじ」』とあった。また、『『福岡県事典』に全歌詞があり、この歌詞は、博多独特のものではなく、全国共通とあった』。『祇園祭は、奈良時代に春日若宮(春日大社)を興福寺で祝ったとあり、また、八幡神宮にも関係あるのではないかと思われる』という附記がある。一部で二段組を一段にした。]
○新吉原京町壱丁目娼家若松屋の掟【所謂、「めでた若松」、これなり。】
右若松屋の掟は、每朝、神棚の前へ、新造をはじめ、子供殘らず居並び、神棚に向ひ皆同音に、[やぶちゃん注:「新造」江戸時代の女郎の階梯を示すもの。振袖新造・留袖新造・太鼓新造・番頭新造があるが、通常は振袖新造を指す。若過ぎて、未だ水揚げの済まない見習い女郎のこと。正規の女郎は満十六から十七歳で客をとるが、新造はその前の十三から十四歳の頃に与えられる段階を指す。姉さん女郎の付き人として、身の回りの世話をするのが仕事で、姉さん女郎のところに複数の客が登楼している場合、待たせる方の客の話相手をするのも大事な仕事であった。美人で器量がいいと、引込新造(楼主や女将が将来の花魁候補と見込んだ禿(かむろ:江戸時代、上級の遊女に仕えて見習いをした、現在の六~七歳から十三~十四歳までの少女の呼称)が成れた)になることが出来た。]
おヲ めエ でエ た う 引 三べん
おありがたふ存じ奉ります これも三べん
此事、言ひ終りて、見せのわき座敷にて、又、三べんづゝいひて、夫より佛壇に向ひ、居ならびて、又、三べん、是をしまひて、内證女房の前に出でゝ、[やぶちゃん注:「内證女房」廓一階の奥にあった、外からは見えない、妓楼の主人と、そのお内儀が過ごす事務所を「内証(ないしょう)」と称した。ここは、その女将。]
お め て た ふ 引 こればかり、はじめの如く、三べん
女房、これをきゝて、いへらく、
「めでたいと、おつしやつた、御供(ゴクウ)いたゞけと、おつしやつた。」と、これを三べんいふと、それより、新造・子供、同音に、
廊下でさわぎますまい つまみぐひいたしますまい ね小べんいたしますまい
お客人を大切にいたしませう わるいことをいたしますまい
など、その外、此類の箇條をならべ立てゝいふ。これを聞きて、女房、
一々申しつかつた通り、まちがへるな。旦那さまが、おゆから、おあがんなさつたら、御祝儀に出よ。わるい事をしたらば、友ぎん味[やぶちゃん注:同輩相互による総括。]をして、申し上うぞ。一々申しつかつた通り、まちがへるな。
子供・新造、又、同音に、
火の用心を大切にいたします 三べん
お客樣を大切に仕ります 同
これを聞きゝて、女房、
火の用心、火の用心、大切は、大切は。上々樣方へ御奉公、御奉公。
御客人樣、大切は、大切は。わいらが親を孝行にして、やつたかはりの奉公だぞ。よろしい。いつて、御供をいたゞけ。
新造・子供、同音に、
おありがたうぞんじ奉ります。
女房、いふ、
まちがひると、棒だぞ、○たて。
[やぶちゃん注:「〇たて」意味不明。「まるまる」(皆々)立て]か。「丸太で」ではあるまい。]
是より、みなみな、次へたちて、朝飯を、くふなり。
每夜、引け過ぎ、女房の前へ、又、新造・子供、殘らず、居並ぶ。[やぶちゃん注:「引け」午前零時か。サイト「吉原再見」の「廓の一日」に、「引け四ツ」としてこの時刻とし、『正しい四ツ(鐘四ツ)』(午後十時)『に対して』、『こちらを引け四ツといいます』。『各見世も大戸を下ろし、横の潜り戸から出入りし』、『金棒をならしながら』、『火の番が回ります』とある。]
女房、いふ、
火の用心、大切は、大切は。上々樣方へ御奉公、御奉公
お客人さまは、大切、大切。わいらが親を孝行にして、やつたかはりの奉公だぞ。諸神樣、諸佛樣、諸神樣、諸佛樣。上々樣、上々樣。お慈悲、お慈悲、お慈悲ぞ、よろしい、いつて、休息、休息、休息。
子供・新造、一同に、
「おありがたう存じ奉ります。おやすみなされませ。」というて、皆々、臥所にいる、といへり。
此每日の唱事、正月元日は、「おしよく女郞」をはじめ、新造・禿・男女出入の者に至るまで、殘らず。ならび居て、かくの如くいふとぞ。[やぶちゃん注:「おしよく女郞」御職女郎。遊女屋で上位の遊女の総称。初めは江戸吉原遊郭だけでの名であった。]
右女房のことばの中に、「親を孝行にしてやつたかはりの奉公」といふ事、解しがたき故、かの家のものに問ひしに、「それは、銘々、おやの爲に身をしづめし上、折々、其おやども、來りて、『くらし方、難澁のよし』にて、金子借用の願を出だし、少しにても、借りうけて、先、當時々々の困窮をも凌ぐは、是、奉公をして居る故に、親の貧苦をも救へば、自然と、孝行にあたるべし。『その孝行をさせてやるは、誰が、かげぞ、是、おやかたのかげならずや。其かはりの奉公なれば、大切に、つとめずば、なるまい。』といふ、無理に理窟をつけたる、いましめことばなり。」と、かたりき。
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