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« 芥川龍之介書簡抄144 / 昭和二(一九二七)年四月(全) 五通 | トップページ | 曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 狐孫右衞門が事 »

2021/09/17

曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 身代り觀音補遺

 

[やぶちゃん注:これの補遺。冒頭の添書は底本では全体が二字下げ。だらだら続けると面白味が損なわれるので、段落を成形した。]

 

   ○身代り觀音補遺

 四月の「兎圖會」に、翰池翁の錄し給へる「身代觀音」の一條あり。その年月、及、人名等、詳ならざるをもて、

「名どころは、糺すべし。」

と注し給へり。しかるに、「淺草寺志」の中に於て、その記事一篇を得たり。年月旅宿等はしるし給へど、その事、少しく異同あり。參考に補ふべし、といふ。

   「淺草寺志」本文     美成 記

「明石屋甚藏刀難圖之額」

 額に、「文化四年[やぶちゃん注:一八〇七年。]丁卯四月」・「大坂新町住人明石屋甚藏法橋周南 畫」。本堂右の方にあり。

 文化三年、大坂新町の遊女屋明石屋某といふもの、いまだ江戶を一見せざれは、同所のもの二人を打ちつれ關東に下りけるに、いづれも家まづしからねば、

「旅用の財をも、そこばく持ち出でん。」

と欲すれども、長途の事なれば、盜難を恐れ、順禮の姿にやつし、わざと、物などもたぬ體になしけるに、伊勢の桑名のあたりより、あやしきものども、その貯あることを知りつらん、跡になり、先になり、隙をうかゞふ體にて、つひに武州かな川の驛まで來たり。

[やぶちゃん注:現在の横浜駅北直近のこの辺り(グーグル・マップ・データ)。ポイントした「田中屋」は歌川広重の「東海道五十三次」の神奈川宿の台之景に絵に描かれている「さくらや」という茶屋を、幕末の文久三(一八六三)年に田中家初代が買い取って出来た料亭で、坂本龍馬の妻楢崎龍が仲居として働いていたことでも知られる。「田中屋」の公式サイトのこちらをご覧あれ。私は三度ばかり行ったことがある、とても雰囲気のいい老舗である。嘗て、横浜駅のあるところは、この断崖の下の巨大な入り江だったのである。

 明石がとまりたる宿の向に、彼もの共、とまる。

 明石屋は、宿のあるじに向ひて、

「われら、旅中より、あやしきものにつけ𢌞され、千辛萬苦せし。」

かたる時に、むかふのあるじ、周章(アハタヾ)しく、走り來り、

「此うちに順禮のかたちをなしたるもの、とまりつらん。かれらは、大坂より子細有りて出奔せしものなり。わが内にやどせる人、

『これをとらへんが爲、はるばる、これまで下りたり。あすは定めて曉に立つベし。其時に待ちぶせして、からめとらんと思ふなり。その用意あれ。』

と告ぐ。」

 あるじは、すでに明石等が物がたりにて、その盜賊たることをしれるにより、向のあるじにも、委しく是をかたり、

「何れ、穩便に計ふこそ、よけれ。」

とて、明石屋にとはかり[やぶちゃん注:底本に右に『(本ノマヽ)』と傍注する。「に」は衍字か。]、

「幸、三人の知音なれば、深川靈嚴寺中、何某院へ、船にて送りつくべし。」[やぶちゃん注:「つく」は「繼(つ)ぐ」か。]

と相談し、向のあるじは、かの賊をあざむき、

「道にて、捕へ給へ。」

とて、曉に先だち、神奈川をたゝせたり。

 故に、あかし屋はじめ、二人のもの、難なく深川にいたりつきぬ。

 居ること數月にして、江戶をも、略、一見をはりぬれば、すでに深川をうち立たんとするに、明石屋某、常に觀音を信じ、たびたび、淺草寺に詣でけるに、御いとま乞の心にや、

「今一度、參らん。」

と、二人の男をもすゝむるに、彼等は旅の用意にいとまなく、明石屋のみ、詣でけるに、

「いまだ、吉原を見ざれば、一見せん。」

と、立ちより、日本堤を東へかへらんとするに、俄に大雨ふり來て、衣服もしぼる程濡るゝにより、とある人の傘に、しばし雨を凌ぎけるに、かのもの云やう、

「汝も、見しりあらん。我こそ、桑名より跡先になりて來つるものなり。神奈川にてあざむかれたることの口惜しさ、今こそ思ひ知らせんず。」

といふに、明石は、

『めぐりめぐりて、又、かの賊にあふことも、過去の宿業。』

と覺悟して、正に淺草觀音を念じゐけるに、かの賊、腰のものを技きて、一打に切りつける。

 きられて、

「どう」

と倒るゝ迄は、物覺えしが、その後を、知らずなりにけり。

 深川に殘れる二人の男は、明石屋がかへるをまてど、夜半を過ぐるまで、さたなし。

 二人のもの、

「かねて、明石屋がやぶさかなる[やぶちゃん注:吝嗇である。]うへに、遊興などには心なきをとこなれば、よし原ヘいたるとも、今迄かへらぬことやはある、いかさま、變事のいで來たるならん。いで、尋ねばや。」

といふ所に、明石屋、かへり來れり。

「いかに。」

と問ふに、物をもいはで、倒れふしたり。

 人々、打ちより、

「何ゆゑなるか。」

と、立ち騷ぐ程に、夜明けて、あかし屋、起きあがり、茫然たる體にて、

「こゝは。いづくぞ。我こそ、日本堤にて、賊にきられつるものを。」

と、膚を見るに、疵だに、なし。たゞ、懷にしたる金のみ、うばゝれたり。

「まことに、大慈大悲の我身に代りて、刄をうけ給ひしふしぎさよ。」

と、信心、いやまし、三人ともに事故なく歸國し、彼刀難にあひし時のありさまに、覺えたるまゝを畫にしたゝめ、寶前へ、そなへたりとなん。

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