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2021/09/23

曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 野狐魅人

 

[やぶちゃん注:だらだら長いので、段落を成形する。標題は「野狐、人を魅(だま)す」と訓じておく。]

   ○野狐魅人

 和泉國日根郡佐野村といふ處に【世にしられたる食野佐太郞といふもの、この村に住す。岸和田にて食野を佐野と稱す。】、浦太夫とて、義太夫節の淨瑠璃をよくせる者有り。五畿内にて、十人のかたりての一なり。常に、此佐野村より、大坂の座へ、かよひて、業とせしが【佐野村は、岸和田城をさる事、五十丁道弐里とぞ。大坂をさる事、おなじ。道法九里許。】、一日、浪華よりの歸途、夜に入りて、同國泉郡布野といふ所を通りしに【布野は浪花より紀州への往還にして、高石といふ所の三昧寺の有るところなり。三昧といふは、※1※2所をいふ[やぶちゃん注:「※1」=(上)「𠆢」+(下)「番」。「※2」=「土」+「毘」。通常、「三昧」とは「墓地」の意である。この熟語も、その意であろう。則ち、寺院があるわけではない埋葬場のことであろう。]。高石は、古[やぶちゃん注:「いにしへ」。]、「たかし」といふ。卽、「高しの濱」なり。】、ふと、人と道づれに成りしに、一人のいふ、

「先刻より、說話[やぶちゃん注:「とくはなし」。]を承るに、音に聞きし浦太夫丈のよし。自分は、この布野の下在[やぶちゃん注:「したざい」。]なる【此邊にては、山の在方を「上(ウヘ)」と云ひ、濱の方を「下(シタ)」といふ。】其の村の者なるが、此所にて行き逢ひしは幸のことなり。何卒、今より我方に來りて、一曲を、かたり聞かせ給はるべし。」

といふ。浦太夫、何ごゝろなく、うけあひて、其家に伴ひ行きしに、大なる農家にて、座しきへ通し、休足させ置き、その内に、大勢、あたりの者、寄り來りて、座に滿つ。

 主人、盛に杯盤を持ちて、酒肴を勸む。

 浦太夫、いへるは、

「あまりに多く飮食をなせば、飽滿して淨瑠璃をかたるに迷惑なり。先、語りて、後に給はらん。」

とて、一、二段かたりければ、座中、

「ひつそり」

として、感に堪へし有りさまなり。

 又、暫く飮食して、大に興に入りしに、座客、又、かたらん事を望む。則、其乞に任せて數段を語りしが、席上、實に感服せしにや、息もせず、ひつそりとせしに、心をつけて見過せば[やぶちゃん注:「見𢌞せば」の誤りではないか。]、人、ひとりも、居ず。

 眸を定めて、四方を見るに、夜、少しゝらみて、東の方、明けかゝるに、今迄、

『座敷なり。』

と、おもひし所は、あらぬ布野の三昧なりければ、仰天して、歸らんとせしに、夜は、ほのぼのと明けはなれたり。草ばうばうたる墓所なりけるに、

「ぞつ。」

として、早々、家に歸り、

『狐に魅されし。』

と心付に、

『夢のごとくに飮食せしものは、さだめて、世にいふ、馬勃牛溲にこそ。』

と、おもはれて、何となく、むねあしく、心も心ならず、恍惚として、たゞしからず。

 數日、わづらひて、打ち臥したり。

 其頃、和泉國中にて、

「佐野の浦太夫は、狐に化されしか。狐に淨瑠璃を望まれしか。」

と、一國の評判となる折しも、或人のいひけるは、

「其夜、浦太夫に饗せしものは、あらぬ不潔の物には、あらず。その夜、近村に婚姻の禮有りしに、其用意の酒肴・膳部、のこらず、うせて、あとかた、なし。さだめて、狐狸などの所爲ならん。」

とて、其家には、別に飮食を、とゝのへし、と聞く。

 されば、

「布野の三昧に、魚骨・杯盤、引散らして、さながら、人の飮食せし如く、狼藉たりし。」

とぞ。

 これをきけば、

「浦太夫が食せしは、實の食品にて、野狐、其藝を感じ、酒食をもてなし、淨瑠璃を聞きしならん。」

との取り沙汰にて、浦太夫、追日、平癒せしが、其後は太夫をやめ、外のなりはひして世を送り、程へては、折にふれて、人の望に應じて、かたりしこともあれど、たえて、業とはせざりし。

 實に安永[やぶちゃん注:一七七二年~一七八一年。]年中の事なりとぞ【岸和田藩中茂大夫談。同藩三宅定昭が筆記。】。

[やぶちゃん注:「和泉國日根郡佐野村」大阪府泉佐野市のこの附近の広域(グーグル・マップ・データ。以下同じ)であろう。

「食野佐太郞」江戸中期から幕末にかけて、この和泉国佐野村を拠点として栄えた豪商の一族である食野(めしの)家。北前船による廻船業や商業を行うほか、大名貸や御用金などの金融業も行い、巨財を築いた。私の「譚海 卷之一  泉州めしからね居宅の事」や、『「南方隨筆」底本 南方熊楠 厠神』の私の「平賀鳩溪實記」の注も参照されたい。

「岸和田」大阪府岸和田市

「食野を佐野と稱す」人物を地名に変えるのはよくあること。

「浦太夫」不詳。

「佐野村は、岸和田城をさる事、五十丁道弐里」佐野は岸和田城からは道実測で約六キロメートル南西。「五十丁道弐里」というのは、一里を五十町五千四百五十四・五メートルとするものか。としてもちょっと長過ぎる気がするが。

「大坂をさる事、おなじ。道法九里許」同じく道実測で三十五キロメートルほどである。前の換算では、やはり長過ぎる。よく判らぬ。

「泉郡布野」「布野は浪花より紀州への往還にして、高石といふ所の三昧寺の有るところなり」大阪府高石市であるが、「布野」は不明。読みも判らない。

「馬勃牛溲」(ばぼつぎうし)の後者は「牛の小便」。「馬勃」の男根か。しかし、「溲」に対応し、狐狸に化かされる一般から言えば、「馬糞」の誤りのように思われる。

「茂大夫」不詳。

「三宅定昭」不詳。]

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