只野真葛 むかしばなし (34)
また、金右衞門といふ者、長崎より來りしが、人の名「のぼり」と、中あしき故、桂川へ世話成(な)て、つかはされし。長崎ことばにて喧嘩するは、一向、わからず、ただ、おかしきものなりし。
其内、むねのわるいことをいうと、
「公所を、おれが前で食たいの、わることを、きりぬかしをる。」
と、いひしが、おかしくて、おぼへたり。
[やぶちゃん注:二段落目は全く意味が分からない。識者の御教授を乞う。
「32」に出た「樋口司馬」の初名「のぼり」(これは或いは田舎者を軽蔑して言う「おのぼりさん」の「のぼり」という綽名のような気がしてきた)と同じで「人の名」であることを示しためのもので、『人の名。「のぼり」』という注意書きと読んだ。
「桂川」桂川甫周。既出既注。]
書(かき)おとしたり。元丹は、のぼりよりも、二、三年、早く來りし人なり。松前そだちの大荒男、あと先のわきまへもなく、お名を聞(きき)およびて、一筋に、「つて」も、もとめず、來(こ)しを、
「うけ人なくては、さしおきがたし。」
とて、かへさるゝ所なりしを、ばゞ樣、被ㇾ仰には、
「それは御尤のことながら、遠路わざわざ來りしものを、二、三日もやすませてから、かへされよ。」
と被ㇾ仰し故、御とゞめ被ㇾ成しが、其なりにて、居(をり)し人なり。後々までも、
「御袋樣のおかげで、『こぢき』に成らずに仕舞ました。」
とて、有がたがりて有し。
元丹十九の年にて有し、となり。鹽引・筋子《すじこ[やぶちゃん注:ママ。]》などつみし舟にのりてこしが、筋子のかげんよかりしを、
「いくらでも食へ。」
と船頭いひし故、廿五本一息に食(くひ)し時、
「くわしやるはよいが、あたりでもしては世話だから、やめよ。」
と、いはれて、やめしとぞ。
蜜柑などは、
「めづらし。」
とて、二、三年の間は、たね袋は申におよばず、皮まゝ、
「ふつふつ」
と、くひたりしが、四、五年も、居(ゐ)なじみては、扨《さて》、人は「おごり」の付(つく)ものなり、今では
「皮が、くわれぬ。」
といひて、人笑し。
此折が桑原をぢさまの、大ふさぎの時なり。をぢ樣は父樣に十ヲおとりなれば、母樣婚禮の時分は、十五、六なるべし。
父樣は世話好故、萬事、へだてなく、療治の仕樣(しざま)も、こゝろざしのたかきことも、うちこんで御せわ被ㇾ成しなり。
をぢ樣は、殊の外、病身にて、
「長命、こゝろもとなし。」
と、いはれたる御人なりし。
それを、父樣、たんせいにて、色々、御療治、時疫も御わづらひ、のがれがたかりしをも、晝夜、つきそひ、御世話にて、本復、此十年ばかりの間は、かろからぬ御恩をうけられしに、後にいたり、さ樣の事ははなしにもださず、結句《けく》、人中(ひとなか)にては、弟子をとりあつかう樣に、にくて口被ㇾ成し故、父樣、御立腹被ㇾ成しこと、元をしりては、尤の事なり。それ故、他所(よそ)にて同座を御きらい被ㇾ成しなり。
[やぶちゃん注:「にくて口被ㇾ成し故」「憎手口(に)成られし故」で「生意気な言い方をするようになったので」の意であろう。]
桑原ぢゞ樣御かくれ後、くらしかたもむつかしくなり、父樣は、だんだんいきおひよかりし故、内證の世話も、かれ是被ㇾ成しを、一向沙汰なしに、棒判をして、借金被ㇾ成てもめたる事、有し。其時も、
「世話がひなく、堪忍なりがたし。」
と、おぼしめされしかども、
「ちかしき御中、金の出入にて義絕被ㇾ成も、いかゞし。」
とて、やうやう御かんにんは被ㇾ成しが、あひそは、つきて仕舞しなり。
[やぶちゃん注:「棒判」「謀判」であろう。他人の書判・印判を偽造・盗用すること。恐らくは保証人に真葛の父工藤周庵の書判を偽造したものであろう。]
その後、少々、はやり出してから、病家々々へ、父樣をざんげん專(もつぱら)に被ㇾ成しこと、あらはれ、
「此度は、かんにんならぬ、弟に付(つく)といはゞ、母樣をも、離緣被ㇾ成(なされ)。」とて、【此さわぎは、そなた樣三ツ四ツの時なり。】[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]。大きに御腹たゝれしこと有しを、善助樣中へたゝれ、
「かさねがさね、隆朝仕方、あしゝ。立腹、尤のことなり。さりながら、子供もあまた有、夫婦中、あしきこともなきに、里方と、とかくいふは、隆朝を人だとは、おもはぬがよい。大惡黨のわるものだ、とおもつて、緣につながる不肖と、心ひろく、かんにん、せられよ。世間に、いくらも有こと。」
と被ㇾ仰しにつきて、御かんにん被ㇾ成しより、ワなども、
「うまき心は、なき人。」
と覺悟して、うわべばかりの、うやまひにて有しなり。其末代となりては、眞の敵役(かたきやく)に成きわまりしものなり。
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