曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 奧州南部癸卯の荒饑
[やぶちゃん注:「癸卯」(みづのとう/きぼう)は後に出る通り、天明三(一七八三)年。「荒饑」は「くわうき(こうき)」で「荒飢」と同じく、作物が実らず、食物の乏しいこと。饑荒・饑饉のことで、所謂、「天明の大飢饉」のことである。私の最近の仕儀である「譚海 卷之四 天明三年奥州飢饉、南部餓死物語の事」の詳しい注を見られたいが、これは「享保の飢饉」・「天保の飢饉」と並ぶ江戸時代の三大飢饉の一つで、九年の長きに亙って連年で発生した未曽有のもので、中でもここに語られる天明三(一七八三)年と、後の天明六年の惨状が甚だしかった。しかも東北地方のそれは想像を絶し、陸奥辺境部各地では人肉相い食(は)む凄惨な話が伝えられていることでも知られるが、以下の条にもその実例が記されてある。この井筒屋三郎兵衛の書状は、凄絶にして正確無比な文章で、しかも非常に知的な優れた文章でもある。]
○奧州南部癸卯の荒饑
古にいへらく、「食者天下之本也。黃金萬貫不ㇾ可ㇾ療ㇾ飢。白玉千箱何能救ㇾ命。」。いでや、今のおほ御代は、しも、何事も足らぬことなく、凶年・餓饉などいふことは、嘗てあらず。いにしへより、凶年のためし、少からねど、近き年のうゑたるは、人々も、よくしりてあれば、常に昔語にのみ聞きなしたる、此大江戶のことにこそあれ、遠鄕僻地は、いかばかりなりけん、只、推しはからるゝばかりなるを、この比、友人のもとより、その比、陸奥より、ことのさま、つばらかに、いひおこしたる書狀、壱通を示されき。彼あたりは、ことに甚しきよし、ほの聞えたれど、思ふにましたることのみにて、今のおほ御代に思ひくらべては、いとおそろしく、魂も消ゆるこゝちす。されば、かけまくも、かしこきことながら、國家盛德のおほんめぐみの有りがたきをも、更に思ひしらるゝわざなりけり。かつは、時ならぬ氣候もあらば、此後も、その意、得べきことならんかしと、思ふからに、錄して、後葉に傳へまほしくこそ。
文政乙酉六月朔 山崎美成識
[やぶちゃん注:「食者天下之本也。黃金萬貫不ㇾ可ㇾ療ㇾ飢。白玉千箱何能救ㇾ命。」訓読してみる。
食は天下の本(もと)なり。黃金萬貫、飢えを療(いや)すべからず、白玉千箱、何ぞ能く命を救はん。
でよかろうかい。]
天明三年癸卯十一月十一日、奧州三戶郡南部内藏頭殿領分、八戶の惠比須屋善六より、本店江戶田所町かど、井筒屋三郞兵衞へ遺しゝ書狀、左の如し。
[やぶちゃん注:以下、底本では全体が二字下げ。但し、物品項目の頭の「一」群を除いて、条文頭の「一」は一字頭抜けている。それを項目「一」と区別するために「一、」とした。ただ、次の頭は「一筆」で、二字下げ位置から始まるのであって注意されたい。]
一筆啓上仕候。甚寒御座候得共、先以其御地御揃、益御勇健可被成御座珍重奉存候。拙者共無異罷在候。乍慰外御安意可被下候。
一、追々御承知可被遊、當地凶作前代未聞御座候。全體去冬寒中甚暖に而如夏、霜月比より氷候へ共、寒に入、悉く解、平生三四月頃の季候に等しく、夫より年明正月に成、少々寒く候得共、例年よりは格別暖に御座候。二月三日迄不寒、四月頃より卯辰(ヤキ)[やぶちゃん注:東南東。読みは意味不明。]風、北風計に而、寒中如極寒雨降、四月中に雨不降日漸々七日御座候。夫も薄曇東風に而霧多、晴天は一日も無御座候。五月も同斷に而朔日より降初、五月中不降日漸々六日、六月中も五日程も右之如く快晴は無之、七月には四日、八月には六日、右之通不天氣に候得共、當春より麥作之景氣至而宜、近年に不覺作合に相見え候間、諸人甚大悅罷在候處、苅頃に成右之雨續候故熟し兼、存之外日數おくれ苅取候處、一圓實成無御座、諸民大困窮仕候。然共稻作・大豆・小豆・豆・稗等は例年に勝候作合宜相見え申候間、「秋作者十分に可有之」と素人の拙者共は不申及、老農老圃年來の功者共、「當秋は豐作無相違」由申居候故、右之季候も左而已驚不申罷在候處、次第に不順に相成、春一度花咲候藤・山吹之類など、六、七月頃[やぶちゃん注:グレゴリオ暦では同年の同旧暦月はほぼ七~八月相当。]山々春の如く花咲、九輪草[やぶちゃん注:サクラソウ目サクラソウ科サクラソウ属クリンソウ Primula japonica 。]・唐葵[やぶちゃん注:アオイ目アオイ科 Malvoideae 亜科ビロードアオイ属タチアオイ Althaea rosea の古名。]抔は春より霜月まで四度も五度も花咲、夏菊十一月下旬[やぶちゃん注:同前で十一月末日三十日は十二月二十三日。]まで盛り、九月十月中旬に竹の子生じ、九月下旬[やぶちゃん注:同前で十月中旬相当。]に蟬なきやまず、種々の季候違に御座候。稻作は七月下旬に至り候而も出穗無之、たまさか穗出候而も、葉の内へかくれ花もかゝり不申、穗出るは百分一、其外一圓に穗出不申候。右之次第に御座候間、一粒も實入無御座候、大豆・小豆・粟・稗・蕎麥等は、八月十三日之夜大に霜降り、是に當り種なしに罷成、誠に古今未曾有之大凶作、元來三四年以來打續半作に不滿、飢饉に御座候處、當夏麥不作、其上秋作皆無に御座候間、諸穀物一向無之、相場は市每に引上ゲ、當時相場左之通り、
[やぶちゃん注:以下の物品項目は底本では二段組だが、一段に変えた。ズレが生ずるので読みはここのみ半角にした。]
一玄米 壱升に付 弐百五拾文
一こぬか 同 五拾文
一大豆 同 百五拾文
一搗粟 同 弐百三拾文
一蕎麥 同 百廿文
一豆腐粕 同 廿五文
一片春(ツキ)麥 同 二百文
一フスマ 同 六拾文
一粗稗(アラヒエ) 同 百 文
一兩替六貫三百文
右之通何品によらず、食物に相成候類、過分之直段に御座候間、食物在々に無御座、蕨・野花(トコロ)[やぶちゃん注:恐らくは単子葉植物綱ヤマノイモ目ヤマノイモ科ヤマノイモ属オニドコロ Dioscorea tokoro であろう。苦味が強く、一般には食わないが、古くよりアク抜きして焼いたり茹でたりして食用にしたとされる。]、葛等を掘り食事仕候。夫も幾千百人と申限りなき事に御座候間、さしもの大山も忽に掘盡し申候間、葛・蕨の粕、あもそゝめ[やぶちゃん注:底本には編者によってママ注記がある。後の記載で明らかになるが正しくは「あも」の「ささめ」である。]など申もの計、食事に仕候に付、右之毒に中り、五體腫れ、大小便不出して、忽に相果候者數知れ不申候。當九月頃乞食共、犬・猫・猿等を食事に仕候事承り候間、肝を潰し候處、去月頃より犬・猫は不及申、牛馬を打殺食事に仕候。非人・乞食等は、眼前、犬・猫をとらへ、鹽も付ず喰候體、誠に鬼共可申哉おそろしとも何とも可申樣無御座候。夫に付在々は押込强盜夥敷起り、家出[やぶちゃん注:家人を「家より出だして」か。]不殘しばり置、穀物は不及申家財奪取、其上家を燒、立退候事數多く、如此之事中々書盡しがたく候。依之每日捕手見分之役人衆、隙なく相𢌞り候へども、中々手に合不申候。
一、只今、難澁の者共食事には、
[やぶちゃん注:以下は三段組みだが、一段に変えた。「香煎」とはここでは煎り焦がしたものの意。]
一あも香煎【是は、「わらび」の屑をたゝきさらし、粉を取申候かすを「ササメ」といふ。細成るを「アモ」といふよし。】[やぶちゃん注:美成の割注であろう。]
一松皮香煎
一同餠
一藁採香煎
一豆から香煎
一犬たで香煎
一あざみの葉
右之類、專食物に仕候。扨餓死之者、唯今國中半分餘と相見え申候間、來正月より三四月迄之内、如何樣に成可申哉難計奉存候。乞食・非人往來如市、そのありさま、元來、世並宜敷砌、伊勢・熊野抔へ參詣仕候に、路用澤山所持仕候而も、南部案山子(カヽシ)と出立に御座候。まして況、此節の體、譬可申者無御座候。顏色憔悴(カジケ)、髮、亂れ、眼、星のごとく、色、靑く、つかれ衰へ、頰骨、高く、口、尖り、手足、※如く[やぶちゃん注:「※」=(へん:上「正」+下「ノ」の接合)+(つくり)「片」。底本右に『(本ノマヽ)』とあり、これは原本の傍注か。意味不明。]、からだ、赤裸に菰をまとひし有樣、何と申候而も更に人間とは見え不申候、右故に店々も相しめ、戶・蔀など指堅め居候。戶口開置候へば、非人共無體に押入、食事をあたへ不申内は更に立退不申候故、無據、白晝に門戶を閉申事御座候者、戶口より用事を達し、志に有之旅行抔仕候節は、家内中立わたり世話仕候へ共、我勝に前後を爭ひ泣さけび、老弱の者の貰候食物を奪ひ取、なきさけびし聲、身にしみ胸に答申候、互に食を奪ひ合、溝へ落入半死半生之者數多、叫喚・八寒・紅蓮のくるしみ、食を奪合打合つかみ合、互に疵を得候體、修羅道の有樣目前に御座候。火事は一夜に二ケ處三ケ處より出來、燒死する者數多、焦熱・大焦熱の炎に入、煙にむせび、牛馬鷄犬之燒亡夥敷御座候。世尊滅後二千八百年、彌勒の出生迄は餘程間も有之樣に承り候處、今その期來候哉と心細く、少も安心無御座候。依て御上樣にも、何卒飢渴之者御救ひ被遊度思召候へ共、近年打續不熟損毛[やぶちゃん注:損失を受けること。損亡。]に付、御貯も悉く盡候故、不被任思召御心遣被爲痛候へども[やぶちゃん注:ちょっと読み難い。「思し召しに任されず、御心遣ひ爲され、痛み候へども」か。「普段ならば、お考えになられる必要がないこと(下々の日常生活のこと)であるにも拘わらず、お心遣いを戴き、痛み入る思いにては御座いますが」の謂いか。]、更に其無甲斐殘念に被思召、乞食・非人へ御施行被遊候ても、大海之一滴、中々相屆不申、氣之毒千萬に奉存候。
一、捨牛馬は御割札第一之御法度に御座候へ共、此節悉捨申候。右之牛馬を乞食共引參り、皮をはぎ、鹿と[やぶちゃん注:「しかと」しっかりと。]申候而賣候を、馬と存ながら價の下直に任せ、馬肉を買ひ、能鹿と申候。直段平生のおつとせい抔の如く、目方にて賣買致し、鹿に不限、何品にても食物に相成候品、總て魚等の直段に御座候。
一、御城下端に近在遠在之子共を、悉く、海川へ投込申候者、數不知、右之樣子承り候に、哀、之品は數々御座候へ共、皆凶作之なすわざに御座候。其内、しに樣にも、色々、いさぎよきも、未練なるも有。又は名を惜み候者は、猶又深林の中へゆき候てくびれ、或は淵川へ行き、石をいだき沈み申候は數多難計奉存候。然共、子、被捨候者は、澤山御座候得共、親を捨候ものは于今[やぶちゃん注:「いまだもつて」と訓じておく。]不承候。尤殊勝之事に御座候。
一、去月末より、別て火事多く、每日每夜、五ケ所、六ケ所より出來、燒取に仕候。或は、五十人、七十人、徒黨を結び、在々へ押込、理不盡に働仕、家財穀物奪取候由、所々より每日承り候。扨々、一日片時も安心無御座候。
一、此間も承り候得者、定家卿の御短尺・古筆、目利所[やぶちゃん注:「めききどころ」。]にて極め相添、米五升に取替申候由、大坂御陣に高名仕候「正宗の刀」を、稗壱斗と取替申候よし。箇樣之時節なり。餘は御推量可被下候。
一、仙臺領・津輕領・盛岡御領、共に皆無にて候内、尤盛岡御領には少々も實入有之候哉有之候由[やぶちゃん注:底本に『(本ノマヽ)』とある。やはり原本の傍注であろう。衍文と思われる。]、是迚も、種分も無御座候由、譬、種之分御座候ても、種に相成候樣に實入無御座候。然者生殘り明年仕付申候節、右種物も無御座候て、何を以仕付可申哉千萬無心元候[やぶちゃん注:「こころもとなくさふらふ」。]。
一、古來稀成義は、非人共、犬・猫・牛・馬を喰候は、世に不思議に存候處、死掛り候人之肉を切はなし、格別うまき味なるよし申候。言語道斷かゝる時節にあひ申候事、いか成事に御座候哉と奉存候。乍然箇樣之儀不存候はゝ、生涯佛も御經もうはの空にて、至敬の信心も有間敷奉存候處、六道四生之有樣、凡俗之身にて目前に見申候事こそ難有奉存候。乍去知りぬる佛見ぬる花とも申候。何卒無難に明年をむかへ、豐作を祈り申候外他事無御座候。總體當地之事、中々難盡筆紙、實に九牛が一毛に御座候。猶追使萬々可申上候。恐惶謹言。
卯十一月十一日 惠比須屋 善 六
井隨鼠三郞兵衞樣
平兵衞樣
傳兵衞樣
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