ブログ・アクセス百六十万突破記念 梅崎春生 指
[やぶちゃん注:昭和二六(一九五一)年七月号『小説公園』発表。既刊単行本未収録。
底本は昭和五九(一九八四)年七月沖積舎刊「梅崎春生全集第三巻」を用いた。
文中に注を入れた。
なお、本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが、昨日夕刻、1,600,000アクセスを突破した記念として公開する。ここのところ、「芥川龍之介書簡抄」と「兎園小説」へのアクセスが人気で一、万アクセス越えが異様に早く(今回は十一日でやってきた)、記念テクスト作成が即座に出来ずに遅れた。【2021年10月1日 藪野直史】]
指
肩を叩いたのは、サンドイッチマンである。私はふりむいた。
「やあ」
とその男は言った。前と背にふり分けに、大きな広告板をぶら下げ、右手にも小型のそれを持っている。立札みたいな形の、短い柄のついたやつだ。広告板にはさまった軀から、首が茸みたいに生えていて、その眼が私をじっと見ている。顔のどこかが笑っているのだが、なんだかつくり笑いのように見えた。何処かで見たような気もするが、とっさには憶(おも)い出せなかった。
「久しぶりね」白粉(おしろう)と眉黛(まゆずみ)と紅に、どぎつく彩られたその顔が、私にむかってそう言った。顔に似ず、若々しい少年じみた声だった。「また逢いましたね」
(誰だったかな)
街路樹に背をもたせ、男と相対したまま、私はしきりに記憶を探っていた。盛り場の駅前であった。大きなビルディングの上辺の壁面にのみ、日の色がわずか残り、あとは蒼然と黄昏(たそがれ)のいろが滲(にじ)み始めている。人通りも繁(しげ)く、そのおびただしい人波の上に、広告塔から声がガアガアとまき散らされている。行き交う人々はみんな疲れたような顔をして、無連帯にうごいていた。昼と夜との替わり目のいそがしさが、街全体をがやがやとおおっていた。
「誰かを待っているの?」
「いや」と私はあいまいに答えた。誰を待っている訳でもなく、中途半端な時間を持て余して、ここにぼんやり佇(た)っていたに過ぎないから。「――誰も待ってない」
「フン。意味ないね」
そう言ったのかしら。低声だったので、よく聞きとれなかった。男の頭上にかかげた小さな広告板には、あるキャバレーの広告が出ている。美女麗人多数、献身的大サービス、チップ一切不要。そんな月並な文句が、ずらずら並んでいる。角板は細い柄に支えられ、その柄の下端を、男の掌がしっかと握っている。血の気のうすい、ほっそりした感じの指だ。その指の握り方が、妙に不自然であった。私の視線に気づいたかのように、男はすこし身振りをつけて、広告板を右かち左手に持ち換えた。その瞬間、虚空にひろがった右の掌の形を、私はチラと見た。突然、フィルムを手繰(たぐ)り上げるように、私はある情景を憶い出していた。
「あ。君だね」
黄昏にひらめいたその掌から、指が四本しか出ていない。人差指が根元から無いのだ。親指から一区切りの空間をへだてて、すぐ中指になっている。それはいくぶん非現実的な、またいくらか間の抜けた、掌の形であった。それがハッキリと私の眼に沁(し)みついてきた。
「ええ。私ですよ」
男はわざとらしく身体を傾けながら、人なつこい粘っこい笑い声をたてた。
「妙なところで、逢いましたね」
「こんどはそんな商売を、やっているんだね」私は街路樹から背を離して言った。自然とならんで歩き出すかたちになった。「つい見違えたよ」
「見そこないましたか」やがて男はサンドイッチマン特有の、目的のない歩き振りになりながら、かろやかな口調で、
「どうです。似合いますかね」
「そうだねえ」と私は口ごもった。「似合うと言えば似合うし、不似合いだと言えば――」
「不似合いかなあ」と詠嘆するように男は引きとった。「そうでもないでしょう。これでもほめて呉れる人が、時にはあるんだから」
「そうかね」流れてくる人波を分けながら、私はちらりとその横顔をぬすみ見ていた。そしてあとは呟(つぶや)くように、「そんなものかなあ」
粉黛(ふんたい)をほどこしてあるとは言え、その鋭い感じの横顔は、やはりまぎれもなく、あの男のようであった。あの男であるとすれば、年齢もまだ若い筈だ。今でもせいぜい二十五六かしら。三十にはまだまだ、間があるだろう。
その白い横顔にかさなって、白く透(す)き通ったような樹の花の幻影を、次の瞬間、私は瞼の裡に、まざまざと思い描いていた。意味もなくしらじらと開いた、それら花々の色や匂いやかたちなどを。――それはもう、五年も前のことになる。ある小路を歩いているときに、偶然に私はその花を見つけたのだ。歌い忘れた古唄の一節を、何かのはずみに思い出すにも似た、そんなはるかな感慨が、一瞬私をつつんできた。
その私に顔をねじむけて、広告板にはさまれた男の首が、ふと気紛(きまぐ)れな口調で話しかけてきた。
「――どうです。今日はこれで、商売仕舞いということにして、私とそこらで一パイやりませんか」
いきなりそんな事をこだわりなく言い出すのは、やはりあの時の彼にそっくりであった。私はなま返事をかえしながら、まだ残像を追うように、あの花のことをぼんやりと考えていた。ぼんやりと流れた五年の歳月のことなども。
その小路は、右手は都立高校の塀、左手には塵埃(じんあい)場や林や墓場がつづいている。幅五尺ほどの雑草路であった。構内から伸びたヒマラヤ杉の垂梢をかぶった灰色のコンクリートの塀が、小路に沿ってながながと連なっているのだが、冬の間はその小路の正面に、白い富士山が連日姿をあらわしていた。そして寒気がゆるみ、空が春めいて濁り始める頃から、富士はその姿を消し、花や土のにおいやゴミのにおいが、その小路をうすうすとみたしてくる。その花を見たのは、やはりその時分であったかしら。
その樹は長い塀の中頃あたりから、梢を塀の外までのり出して、白い花をたくさんくっつけていた。
それは桜にも似ていたが、桜より花片(はなびら)の色が白っぽく透いていたし、桃の花ともどこか違っていた。花蕊(かずい)が短いのか、花々はしらじらと開くだけ開いた感じで、どんよりした空を背景にして、へんに無意味な空虚な感じを私にあたえた。しばらく私は立ち止って、それを眺めていた。何という名の花か。桜桃というのがこれか、それとも梨(なし)か、または巴旦杏(はたんきょう)かも知れない、とも思ったりした。敗戦翌年の春だから、花を見る余裕がある筈もなかったが、その花の色やかたちは、その時の私の気持を奇妙にひきつけた。充実する目的を失ったような、頽(すた)れたような美しさが、その花にはあった。[やぶちゃん注:「巴旦杏」本来、狭義の種としての正式な漢名はバラ目バラ科サクラ属ヘントウ Prunus dulcis 、所謂、「アーモンド」のことを指すが、ここは日本国内であるから、それではない。実は古くに中国から所謂、「李(すもも)」が入って来てから(奈良時代と推測されている)、本邦では「李」以外に「牡丹杏(ぼたんきょう)」・「巴旦杏(はたんきょう)」という字がそれに当てられてきた。従って、ここではバラ目バラ科サクラ属スモモ(トガリスモモ)Prunus salicina の意でこれを用いているととるべきである。]
その日家に戻ると、私は植物図鑑などを引っぱり出して調べてみたが、やはりはっきりしたことは判らなかった。どの花にも似ているようでもあったが、また少しずつ異っていた。そしてその花のことを、私はそのまま忘れてしまっていた。
それから半月も経ったある夕方、都立高校駅を降りると、はらはらと日照り雨が降ってきた。雨宿りにそこらの店に飛びこみ、ズルチン珈琲(コーヒー)を啜(すす)っていると、何の連想か突然私はその花のことを思い出した。もう花片は散って、葉が出ているだろう。葉の形を見れば、何の樹か判るかも知れない。そう思って、やがて私は店を出た。通り雨にすこし濡れた柿ノ木坂をゆっくりと登り、高等学校の塀のところを曲った。その花の名を調べねばならぬ理由は、私には何もなかった。ただかりそめの気紛れであった。[やぶちゃん注:「都立高校駅」東急電鉄東横線の「都立大学駅」の旧称。改称は本作発表の翌昭和二十七年七月一日 。「柿ノ木坂」旧の本来の坂としての「柿木坂」はこの中央の南西から東北への「目黒通り」の一部(グーグル・マップ・データ以下同じ)であるが、ここの場合は、駅から北西へ向かう「柿木坂通り」の登り坂を指している。旧府立高校の位置とともに確認出来る「今昔マップ」も添えておく。「ズルチン珈琲」ズルチン(dulcin)は4-エトキシフェニル尿素((4-Ethoxyphenyl)urea)の慣用名。本邦では敗戦後の砂糖不足の時代に安価な甘味料として大きい役割を果たした。スクロース(sucrose。蔗糖。所謂「砂糖」)の約二百五十倍の甘味を感じ、さらに同時代に流行った人工甘味料のサッカリン(saccharin)と異なり、ズルチンには苦い後味がない。少年時代の私の家にもサッカリンと混合した白い粒状のそれがあった。しかし有意な毒性が問題となった上(幼児などがズルチン四グラム経口摂取して死亡、ぼたもちに大量に使用して死者が出た)、発癌性が明らかになったため、現在は使用禁止である。日本では食品添加物として昭和二三(一九四八)年認可されたが、毒性が強いことから、昭和四二(一九六七)年には醤油・漬物・煮物などの限定十品目への制限付き使用が認められたものの、二年後の昭和四十四年には全面使用禁止となっている。]
復員時に穿(は)いて帰った靴の踵(かかと)がすりへって、釘が出ているので、石ころの多い雑草路を歩いてゆくと、釘の尖が足の裏を刺し、いきおいビッコを引く恰好になる。墓場のところの路ばたは、樹が切られ、白い切株にうすうすと春の夕陽が射していた。その切株のひとつに、海軍の略服を着た若い男が腰をおろし、私の方をじっと見詰めていた。何気なく私はその前を通り抜けた。五六歩通り過ぎたとき、ちょっと、と私を呼び止めたらしい。そしてその若者はゆるゆると切株から立ち上ったようすである。
私はすこしおどろいてふり返った。
ふり返った私にむかって、若者はややまぶしそうな表情をつくり、大股にまっすぐ近づいてきた。右手をポケットにつっこんだままである。
「賭けを、しませんか?」
「――賭け?」
「ええ。賭けですよ」
薄笑いを頰にきざんだまま、その男ははっきりとそう言った。
「五百円、ここにある。私の全財産です。でもこれだけじゃ、仕方がないでしょう。――どうですか。あなた五百円持ちませんか」
私はしばらく黙って、男の姿を眺めていた。二十歳前後の、兵隊服を着ているからには、復員兵なのであろう。背丈は五尺四五寸ほどもあったが、体つきは瘦(や)せて、なんだか鴉(からす)を連想させた。賭けを申し込むために、切株に腰をおろして、私の近づくのを待っていたのか、あるいは私が通りかかったので、衝動的にそういう思いつきをしたのか、それは判らなかった。男の口調が脅迫的でなく、態度も殺気を含んでいないことが、一応私の警戒心を解きはしたが、しかしそれが墓場近くの淋しい場所であることが、私には面白くなかった。ポケットに入れたままの右手の形も、あまり気にくわなかった。[やぶちゃん注:グーグル・マップ・データ航空写真で見ると、旧府立高校(現在は南西半分が後進の東京都立桜修館中等教育学校)へ向かう「柿木坂通り」を、高校の塀で左に折れた道の左側に二つ寺院があり、その二つの寺の墓地が、その道の左部分のほぼ半分強を占めていることが判る。戦前の地図(今昔マップ)を見てもこの二つの寺院が確認出来るので、この道がロケーションであることが判る。]
「賭けというと、どういう方法でやるんだね?」
少し経って私は訊ねた。男はまっすぐな視線を、私から離さずにすぐ答えた。
「その方法は、あんたの選定に任せますよ」笑いは頰から消えた。なにかいらだたしげに上体をかすかに揺すりながら、「ジヤンケンでも唐八拳(とうはちけん)でも、かけっこでも」[やぶちゃん注:「藤八拳」「藤八五文薬」の売り声或いは幇間藤八の名を由来とするともいう拳遊びの一つ。二人が相対し、両手を開いて耳の辺りに上げるのを「狐」、膝の上に置くのを「庄屋」、左手を前に突き出すのを「鉄砲」或いは「狩人」と定め、狐は庄屋に、庄屋は鉄砲に、鉄砲は狐にそれぞれ勝つルールである。「狐拳(きつねけん)」「庄屋拳」とも呼ぶ。]
言葉がぷつんと切れた。殴(なぐ)りっこでも、と言うつもりじゃなかったかしら。私はあまり体力に自信はなかった。だから身構えた姿勢をゆるめずに、も一度確かめるように、
「どうしても金が、欲しいのかね?」
「そう、千円あればね、それを元手にもできるし、食いつないでも一箇月はもつし――」
「しかし、もし負けたら、元も子もないよ」
男の表情はかすかに曇った。瘦せてはいるが、鼻梁(びりょう)の高い、額の広い顔であった。しかも少年らしい稚(おさな)さを、顔や身体のどこかに残している。いい顔をしているじゃないか。ふっと私はそう思った。
「――負けたら、仕方がない」
投げ出すように、男は答えた。
ちょっとの間、私はためらい、考えこんでいた。五百円という金は、持たないではなかった。当分の生活費として、胸のポケットにしまってある。この男の申し込みに応じて、負けてしまえば、はなはだ困る金なのだ。しかし、もし勝ったとすれば、五百円だけ幸福になれる。五百円分の幸福! それが前後を切りはなした断片として、瞬間私の心をつかんだ。そしてこんな世に生き合わせるふしぎな可笑(おか)しさが、私の胸をひたひたとゆすぶってきた。
「よし」
私はうなずいて、男の方に一歩踏み出した。勢いこんでいると見えたかも知れない。
「投げ銭できめよう」
金を出して、墓石の上にのせた。すると男もポケットの申から、即座に一束の紙幣をとり出した。紙幣束を握ったその右掌のかたちを、私の眼がはっきりととらえた。それは人差指を欠如した、四本指の掌だった。瞬間その指から紙幣束ははらりと落ちて、墓石の上の私のそれに重なった。私は白いアルミ貨を掌にころがしながら、何故ともなく、すこしひるんだ声を出した。[やぶちゃん注:「白いアルミ貨」第二次世界大戦中には臨時補助貨幣として、アルミニウム貨で額面一銭・五銭・十銭が、終戦直後には同じく臨時補助貨幣としてアルミニウム貨十銭が発行されている。後者の十銭か。現在の一円アルミニウム貨は昭和三〇(一九五五)年六月一日で、本作発表時には存在しない。]
「上にほうり上げる。掌で受けとめる。そして表か、裏か――」
「裏――」
するどく、鳥の啼声のように、男はさけんだ。私はちょっと気息をととのえ、アルミ貨を空にほうり上げた。それは白い昆虫のように中空におどり、黄昏(たそがれ)の光をキラリと弾(はじ)いたと思うと、そのまま白い筋となって、まっすぐに私の掌の上におちてきたのだが。――
キャバレーの裏口で、しばらく私はその男を待っていた。男はなかなか戻ってこなかった。裏口の前にひろがる小空地の上方に、はたはたと飛び動くものの影があると思ったら、それは小さな蝙蝠(こうもり)らしかった。このような街なかにも、蝙蝠は住みつくのか。
空地のむこうはネオンの小路があり、ぞろぞろと人々が行き交(か)っている。
二十分ほども経って、やっと男は裏口から姿をあらわした。広告板もはずし、顔の粉黛(ふんたい)も洗いおとしているので、もうありふれた青年の姿になっている。それを追ってくる柔かい跫音(あしおと)がして、
「怒らないで、ケンちゃん。おこっちゃ、だめよ」
「怒るもんか」
男は足早に私に肩をならべながら、弁解するように言った。
「なにね、九時までの約束だと言うんですよ。今切り上げるんなら、半分しか払えないと言いやがる」
「あんなの、いい収入(みいり)になるの?」と私は訊ねてみた。
「あんまり良くないね。行き当りばったりだしね」
男は草履の板裏をいそがしく鳴らしながら、先に立って、そこらの横丁に入って行った。そしてその突き当りの店に、私を案内した。五六坪ほどの狭い店で、少女が一人いるだけで、他に客は誰もいなかった。私たちはその一番奥の卓に腰をおろした。男は左手の指をピンとたてて、ウィスキーをふたつ注文した。少女が奥に入ると、男は卓の上で、なんとなく両掌をすり合わせた。右掌の人差指の断(き)れ口が、すべすべとなめらかに見えた。私はなんとなく、そこから眼をそらした。
「とにかく、久しぶりでしたね」
グラスが運ばれてくると、彼はそんなことを言いながら、物慣れたふうにそれを肩にもって行った。それはあの五年前の生一本な稚さではなく、いくらか市井(しせい)の塵(ちり)によごれて疲労した男の動作であった。表情の動きも、生硬でなくなっている。四本指の右掌を見なければ、おそらく私は彼と憶い出せなかったに違いない。しかしこの男は、どういう手掛りで、この私を憶い出したのだろう。私は訊ねた。
「よく僕だと判ったね。駅の前でさ」
「そりゃあね」男はグラスのふちを砥めながら、あいまいな笑い方をした。「あんたはあまり、変りませんね。あの時とそっくりだ」
「そうかな。自分では大いに、変ったつもりなんだが――」
私もグラスをとって、「――君はいくらか変ったな。いくらか以上に変ったようだ」
「そりゃそうでしょう。あの頃は復員したてだったし、あれからいろんなことがあってね」
酒がはいってくると、男の言葉はしだいに人なつこく、またいくらか饒舌にもなってきた。男は自分の生活の話をした。サンドイッチマンになったのも、二箇月ほど前からで、もうそろそろ飽きてきたという。
「初めのうちは、それでもね、なかなか面白かったんだけど、近頃ではすこしバカバカしくなってね。街を流して歩いてても、道行く人々がバカに見えてしようがない」
「それは困るだろう。じゃそろそろ、転業だね」
「転業じゃない。廃業ですよ」卓の上で右掌を拡げたり握ったり、それの動きを男はじっと見詰めていた。「実は故郷(くに)へ帰ろうかとも思うんですよ。なにしろ復員しっぱなしで、一度も帰ってないんだし」
「故郷(くに)は、どこだね?」
男は返事しなかった。相変らず自分の右掌の動きに、執拗な視線をおとしている。やがてぼんやりした声で口をひらいた。
「へんなもんだね。この人差指がないばかりに、人に道を教えるのにも苦労する」
「どこでそれを、失ったんだね。あの節は聞かなかったが」
「――沖繩。機上戦闘でさ。むこうの機銃弾で、アッという間に、根元からそっくり持って行かれた。そりゃあ妙な感じだったですよ。その感じが――」男はゆるゆると顔を上げた。「今もって、私に続いているんだけどね」
男はあからんだ眼で、私をじっと見詰めた。そして、ふと探るような表情になって、私に間いかけた。その言葉つきは、やや重かった。
「あの時ね、あの金をあなたは、どう使いました?」
「あの時?」
――あの時、掌(てのひら)におちてきたアルミ貨を、私はぎゅっと握りしめた。その拳を若者の前に突き出した。
「開くよ!」
私は自分の掌からわざと眼を外(そ)らし、若者の表情に見入りながら、ゆっくりと掌をひろげて行った。そして私は若者の表情に、微妙な苦痛と落胆の色が、チラと走りぬけるのを見た。ある残忍な喜びが瞬間に私にきた。
「…………」
言葉にはならない呟(つぶや)きが、若者の唇から洩(も)れて出たようだった。アルミ貨をポケットにしまいながら、私は平静をよそおって口をひらいた。その声は、やはり乱れた。
「では、五百円。なにぶん約束だから」
「そう。約束だから」
若者は虚脱したような声で、そう反復した。それから右掌の四本指で、墓石の紙幣束(さつたば)をわし摑(づか)みにして、そしてふとためらったようだった。しかし次の瞬間、紙幣束をつかんだ掌は、ぐっと私の前に突き出された。私はそれを受取り、ただちに上衣の内かくしにねじこんだ。
「サヨナラ」
そして私は再びふり返ることなく、今来た道をまっすぐに戻った。ふり返りたい欲望をねじ伏せ、首をまっすぐに立て、大股に歩いた。背中いっぱいに若者の視線が感じられ、また大通り迄がばかに遠いようにも感じられた。あの白っぽい花々を見ずにきたことが、やっとその時、私の意識にのぼってきた。同時に、足裏にささってくる靴釘の感触をも。――
そしてその翌日だったかしら。私はその金で、新しい靴を買った。
「靴?」
と男が聞いた。
私はうなずいて、脚を椅子の横につき出した。もうあれから五年にもなるから、底革もすり減り、色艶もうしなっている。
男は頭をうつむけて、その私の靴にしげしげと見入るふうであった。酒にはあまり強くないと見えて、男の額はほのぼのとあかくなっている。私は靴を眺められることに、ふと故(ゆえ)知れぬ、かすかな苦痛をかんじた。
ふっと男は頭を上げた。歪(ゆが)んだような笑いが、その頰に貼りついている。
「そうか。この靴か。でもずいぶん古ぼけましたね」
「あの時、君は――」私はそっと脚を引っこめながら聞いた。「どういうつもりだったんだね。無一文になって、困っただろう」
「ええ。困ったね」
男は卓に頰杖(ほおづえ)をついて、眼を閉じた。そして少し経って、独り言のようにしんみりと口を開いた。
「――復員してきてね、なんだか故郷にまっすぐ戻る気もしないもんだから、仲間とつれ立ってね、東京に出てきたんです。仲間といっても、みんな海軍の航空兵たちさ。私は通信員で、機上通信をやってたんです。東京へ出てきて、どうしようというあてもなかった。皆が上京するというんで、私もなんとなくついてきた。あの頃私は子供だったし、世の中のことは、右も左もわからなかった。無鉄砲だといえば無鉄砲だったが、そのくせ私は妙に自信をなくしてたんですよ。仲間の連中はみんな張切っていたが、私だけはそうじゃなかった。どうだっていいや、という気持もあった。仲間は私のことを、指無し、指無しと呼んでいたね。私だけじゃない。みんなお互いに、そんなあだ名で呼び合ってた。本名を呼び合うような気持じゃなかったね。なんだか崩れてゆくことで、生甲斐を感じてるような有様だった。私は仲間のうちでは、一番年下だったし、体力も弱かった。弱かったから通信の方に廻されたんだけどね。そんな工合にして、ぞろぞろと東京に出てきた。私はつまりその、金魚のウンコみたいなものね。ずるずると引っぱられて、自信も方針もなく、そして新橋駅についたんです。駅のホームから、あたり一面を見渡して、これが東京かと思った。小学校のときに習った、世界三大都のひとつの大東京がこれか、としみじみ思ったね」
「あの頃はひどかったからね」と私は相槌を打った。「それで?」
「それからいろいろと、荒くれた生活が始まった」男は新しく運んできたグラスのウィスキーを、ごくりと口に含んで、しずかに眼をひらいた。「あの頃は世の中はムチャクチャだったけれど、ムチャクチャなりに、どうにか生活できたね。復員の時持ってかえった毛布や靴を、新橋のヤミ市に売りとばして、それを元手にして、千葉から魚を運んだり、埼玉から米を運んだり、一度などは北海道まで出かけたこともありますよ。一往来(ひとおうらい)するといい稼ぎにはなった。でもその頃から、何のためにこんなことをやってるんだろう、という疑問が、しょっちゅう私にきていたね。人を押し分け、取締りの目をくぐって、それで一かつぎの物資を運んでさ、それでどえらい仕事をしたような気になっている。私はだんだんその生活がイヤになってきた。故郷に帰って百姓になりたいと、時々思ったりしたが、口には出さなかった。つい帰りそびれた恰好で、踏切りがつかなかったし、そんなことを口に出せば、仲間からバカにされそうだったから。仲間はみんなうまくやってましたよ。パリッとした服を着て、新興成金みたいななりをしたりして。私は相変らず金魚のウンコで、皆のおこぼれで生きてたようなもんだ。人を押し分けてまでやろうという、そんな特攻精神が私にはなかったから、いつも働きも少くてね。もっと他の生き方がありそうな気ばかりしながら、ズルズルベッタリ、そんな生活をつづけていた。皆はそんな私を、いくらかバカにしてたらしい。私も気持の奥底では、あいつらをバカにしてたけれど、それでも連中から、指無し指無し、と呼ばれるのが、しだいに苦痛になってきた。むこうじゃ習慣でそう呼ぶんだが、こちらとしちゃ、いちばん痛いところをつつかれてるような気がしてね。ときどき自分の右掌を眺めて、この人差指といっしょに、おれは自分の自信も失ったんじゃないかな、そんなことも考えたりした。いっそ右手なら右手全部をなくしてしまったが、よかったかも知れない。なまじ指一本でしょう。不具というほどでもなし、仕事にそれほど差支える訳でもなし。しかしこの人差指というのは――」
男は左掌でその部分をなでながら、
「なかなか大切な指でね。つまり方角をさす指なんだ。シャレみたいに聞えるだろうけれども、つまり私はあの時、方角を失ったという訳なんだ。生きてゆく方向を失ってしまった。方向を失った男――おや、笑ってますね。笑われてもいいや。どうせ地口(じぐち)や語呂合(ごろあ)わせなんだから。しかし実際この指をなくすと、そんな気持にもなりますよ。まあヒガミはヒガミなんだけれど、たかが指一本のことでしょう、傷痍(しょうい)軍人というほど大げさなものでもなし、世の中にすねるほどの理由も立たず、妙に折れ曲ったようなヒガミになってくるんだね。そしてある日、私は仲間の一人と大喧嘩しちゃったんだ。その男は仲間うちでも、一番羽ぶりのいい男だったが、そいつが私の指について、あくどくからかったんだ。酒を飲んでて、そのサカナにされたわけさ。私はカッとしたね。それでもお前らは、かつての戦友か。そんなタンカを切ったりしてね、仲間を全部むこうに廻して、その揚句袋だたきになって、ほうり出されたんだ。東京に出てきて、七箇月か八箇月目だったかな。もうその頃は仲間と言ったって、利害だけで結びついている徒党みたいな感じになっててね。私をほうり出すのに、未練も何もなさそうだった。私ももちろん未練はなかった。ただちょっと淋しいような気もした。それから私は新橋のマーケットに行って、洗いざらいの金で、酒を飲んだり初めて女と寝たりしたね。むろん一人でさ。遊びたいと思ったわけじゃないが、そうする他に仕方がなかった。なにか気持の踏切りが欲しくてね。女もつまらなかった。牛みたいに肥った女でね。私が童貞だと知ると、急にインランになってね。女とはこういうものかと思った。しかし翌朝、五百円だけ残して、あとはみんなその女にやっちまった。その五百円で、故郷へ帰ろうか、と考えてたんです。五百円あれば、とにかく旅費と土産代はある。そして新橋駅まで来て見ると、やはりこのまま汽車に乗るのも心残りで、東京に来たってまだ何ひとつ見物もしてやしない、よし今日は一日中東京中を歩き廻ってやれと、先ず渋谷駅まで省線に乗ったんだ。そしてそこから出鱈目に私鉄電車に乗り、出鱈目(でたらめ)な駅で降りた。その駅のまわりも急ごしらえのマーケットばかりだった。私はそれが厭だったから、トットとそこを離れて、なんだか出鱈目に、方角もかまわず歩き廻った。そのうちに疲れてきてね、腹もへってくるし、さて今からどうしようと、路ばたの木の切株に腰をおろして、ぼんやり考えていた。故郷のことがしきりに頭に浮んで、妙に抵抗があるような、帰りたくないような、それがまた切なくたよりない気持でね。日が照っているのに、雨が降ったりして、妙な天気の日だった。かれこれ一時間も、そこにぼんやり腰かけていたかしら。右掌を眼の前で、ひろげてみたり握ってみたり、そんなことばかりをしながらね。――」[やぶちゃん注:「地口」普通に世間に行なわれている成語に語呂を合わせた言葉の洒落。後で「語呂合わせ」と並列しているから、単なるそれよりもやや高尚な故事成句や凝った短文のそれと考えた方がよかろうか。][やぶちゃん注:「省線」もと、鉄道省・運輸省の管理に属していた電車及びその路線の通称であるが、特に国電、日本国有鉄道(国鉄)の電車(線)の中でも、大都市周辺で運転される近距離専用電車車両や鉄道線を指し、具体的には東京(首都圏)・大阪(京阪神)の二大都市圏の近距離専用電車が走る区間を総称した。東京の山手線や大阪の大阪環状線がその代表例で、ここは無論、山手を指す。]
男はそこで言葉を切った。卓をたたいて、お代りを注文し、スルメの脚を千切ってギシギシと嚙んだ。相変らず店には、客は私たちだけだった。
「――そこに僕が通りかかった。そういうわけだね」と少し経って私が聞いた。
「そう」男はかるくうなずいた。「あとはあなたも、ご存じでしょう。あんたの姿を見て、私はふと思いついたんだ。ひとつ賭けをしてやれとね。もし勝ったら、その金でまっすぐ、故郷へ帰るつもりだった。その夜のドヤ賃もあるし、五百円では少々心細かったんだ。その思いつきは、今思うと突飛だけれど、その時はそうは思わなかった。世の中の皆が、自分と同じ気持で生きている、一か八かで自分の生き方をきめたがっている、そんな感じだった。近づいてくるあんたの姿を見て、きっとこの男は私の申し出を、断らないだろうと思ったね。だから私は、ためらうことなく、あんたを呼びとめたんだ」
「その時、賭けに負けることは考えなかったのかね」
「そうね。あまり考えなかった。あんまり腹が減って、疲れてもいたんで、頭のはたらきも鈍くなってたんじゃないかしら。とにかく、どうでもよくなってたんだ。私の生き方を、あんたが決めてくれるだろう。それに一切任せてしまえ。そんな気持だった。そして投げ銭にきまったでしょう。あれは夕陽だったかな。ほうり上げたアルミの貨幣が、陽をうけてキラキラと光ったでしょう。その瞬間、負けたな、と私は思ったね。なぜだか知らないがハッキリそう思った。そしてあんたの掌を見たら、案の定そうだったよ。これで当分は故郷に戻れない。その考えが直ぐ、じんと頭に来たね。そして賭け金を全部あんたに手渡したとき、とにかくひとつのことが終った、大げさに言えば、自分の前半生はこれですっかり終った、というような感じだったんだ。軀のなかから、何かがスポッと抜けたような気分だった。そして賭け金をにぎったあんたの姿が、なんだか里程標か墓標みたいに見えたな。この里程標の恰好を、しっかり覚えてなくちゃあ。一生涯覚えてなくちゃあ。なんだか強くそんな気持が私に来た。その気持だけだった。だからあの時、私はあんたを、睨みつけていたかも知れない。忘れてなるものかという感じでね。今思うと、あんたの姿を頭に刻みつけたって、仕方ない話なんだけどね」
「それで今日、僕の姿を見て、直ぐ憶い出したんだな」
「そうですよ。広告板をぶら下げてふらふら歩いていると、立木によりかかっているあんたの姿が、遠くからふと眼に入った。あれだッ、と思ったね。ピタッと何かがうまく組合わさった感じだった。実はね、今日は朝から面白くないことがあって、いろいろ気持が沈んでてね、街を流して歩きながらも、もうこんな商売は止めて、思い切って故郷(くに)へ帰ろうか、などと思案してたのさ。バカ面をして東京をほっつき歩いているより、故郷で百姓やる方がよっぽど気が利(き)いているからね。五年前にはつい帰りそびれたけれど、あれから世の中の裏表をわたり歩いて、もうそろそろ気分も落着いて来たしね。そしてその時私は、あんたの姿を見つけたんだ。つまり私から見れば、実にうまいところにピッタリとあんたは出てきたわけだ」
「あれから五年間、いろんなことがあったんだろうね」私は自分の五年間をもふり返りながら、思わずそんな言葉を口にした。「――無一文になって、あの時は大変だっただろう」
「いろんなことがありましたよ。モク拾いをやったり、ストリップ小屋に雇われたり、捕鯨船に乗り組んで、南氷洋まで出かけたりしましたよ。ことのついでだから、地球の果てまで行ってやれ、という気持だったね。どうせ人差指といっしょに、方向なんかなくしてしまったんだから。流れに逆らうより、身を任せた方がラクだ、と思って――」
「南氷洋とは、またずいぶん遠出したもんだね」
「しかしあそこはきれいだったなあ。氷山がたくさん浮んだり動いたりしてて。白色氷山や、青色氷山。青々と透き通っているんだ。そんな景色を眺めながら、私は時々、あんたのことを憶い出しましたよ。あの男は今頃、どうしてるかなあってね。あの時あんたは、賭け金をにぎると直ぐ、今来た道をとって返しましたね。あれはどういうつもりだったんだろう、そんなことも度々考えたね。私と賭けをやるために歩いてきたんじゃないんだから、戻って行くのは変だね。まっすぐ歩いて行くべき筈だからね。やはりあの道を通っていたのも、なにか用事があったからでしょう?」
「用事というほどじゃなかった」私は眼底にあの白い花々の色を思い浮べながら「――散歩みたいなものだったな。もっともあの時の僕は、すこしは気持が動転してたかも知れないが――」
「あの金をあの男は、どんな風(ふう)につかったんだろう。鯨捕りのいそがしい最中、そんなことがふいと頭に浮んでくる。あれで酒でも飲んだかな、それとも女でも買ったかな。それをあれこれ推測したりしながら、せっせと仕事にかかっている。自分ともう関係のないことなんだから、どうでもいい話なんだが。ところがこんな地球の果てまで来てるのも、あの金のためのような気がしてね。あの金さえあれば、すでに自分は故郷に戻っている筈なんだ。それを取られたばかりに、こんなところでせっせと苦労している。つまり俺の身の代金(しろきん)が、どんな工合に使われたか。人間というものは、因果なもんですね。あんな壮大な景色の中にいながら、そんなことばかりを気にかけていてね。――」
「この靴を見て、ガッカリしたかい」
と私はも一度靴を横につき出した。男は誘われたように咽喉(のど)の奥でみじかく笑った。へんに内にこもったような、復雑な笑い方だった。そしていくらか冗談めかした口調で言った。
「その靴、私に呉れませんかね。故郷(くに)へ穿(は)いて帰るのに、一番ピッタリしてるようだから」
「やはり帰るのかい」
「ええ。今度こそはね。しかしこの決心をつけたのも、別にあんたと逢ったからじゃない。一週間ほど前から、今度こそは、と思ってたんですよ。しかしたまたまあんたに逢えて、ほんとにうれしかった。久しぶりに旨い酒を飲んだような気がしますよ、ほんとに」
男は四本指の掌をひらひらさせて、眼の前の空気をはらうような仕種(しぐさ)をした。額も頰もほのぼのとあからんで、もう相当に酔いが廻っているように見えた。
その夜、私はその靴を彼にゆずり渡し、かわりに彼の板裏草履(ぞうり)を貰いうけて、別れをつげた。その靴を穿いて彼が故郷にかえったかどうかは、その後の彼に逢わないから私は知らない。故郷に帰ったとしても、あの靴は相当に傷んでいたから、田舎道を歩くためには、微底的に修繕しなくてはならないだろう。かえって修繕代が高くつくから、あるいは納屋(なや)のすみにでも、うち捨てられているかも知れない。それならば、それでもいい。あの靴としても、靴としての役目はすっかり果たしたのだから、いまさら何も言うことはないだろう。
[やぶちゃん注:最後に。既にお気づきのことと思うが、この短編には梅崎春生の最後の作品となった、この十四年後に書かれることとなる、かの名篇「幻化」(リンク先は私のマニアックな注釈付きPDF縦書一括版。ブログの分割版もある)のコーダのシークエンスで、丹尾章次が久住五郎に持ちかける凄絶な賭けの、確信犯の遠い濫觴と見てよい。さらに言えば、二人が出逢う契機として配されてある小道具の不思議な「白っぽい花」も、同じく「幻化」の行きずりの女と出逢う「白い花」の妖艶な章のダチュラの花を強く感じさせるものである。さらに言えば、人差し指を欠損したこの男は、また、「幻化」に応じるところの名作「櫻島」(同前の電子化版。同じくブログ分割版もある)の耳朶のない娼婦にも通っているではないか。]