曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 上野國山田郡吉澤村堀地所見石棺圖 石棺圖別錄
[やぶちゃん注:同じ対象物を、まず、輪池が発表、それと同じものを文宝堂が発表しているらしく、ここは並べて電子化した。図は孰れも底本のものをトリミング補正した。キャプションは、石棺の蓋上面に、
「天平三
己亥
三月」
と彫られた文字が記されてある。干支が合わないのは、本文で指摘されてある通りで、天平三年は辛未でユリウス暦七三一年、天平宝字三年ならば己亥で七五九年である(但し、字が新しいから、別な意見も本文で示されているが、それだと、誤字だらけでちょっと鼻白む。干支を誤るのは、捏造の場合、初歩的な話にならない誤りだからである)。石棺左下に、台に彫られた文字であろう、
「藏尊人民
依𠋣意忘
耕故埋」
とある。埋めた理由を彫ったものらしい。やはり、本文の別判読で、「藏尊人民依歸忘耕故埋」で、「藏尊、人民、依歸(歸依)を忘れ、耕す。故に埋づめり。」か。]
○上野國山田郡吉澤村堀地所見石棺圖
[やぶちゃん注:以下のデータ指示の「分り兼。」までは、底本では全体が一字下げ。]
唐金不動尊 たけ壱寸五分、臺座より火煙先まで貳寸四分。右一體、錆之中程、金箔の光相見、臺に書物切付有之[やぶちゃん注:「物にて切り付けて書きたる、之れ、有り」と訓じておく。]。但、小像故、不動、不分明。
赤がねの輪一 差渡し壱寸壱分、太さ一寸𢌞り。
右は、錆懸り、貳分四方程、金、きせ、有之。
脇差身計 長、壱尺弐寸弐分。無銘。錆厚く、しのぎ、分り兼。
[やぶちゃん注:「計」は副詞「ばかり」。鞘がないこと。]
御領分上州山田郡吉澤村[やぶちゃん注:現在の群馬県太田市吉沢町(グーグル・マップ・データ、以下同じ)。]、學音寺[やぶちゃん注:現在の吉沢町直近の太田市丸山町のここに現存する。]住地、「百庚申塚」[やぶちゃん注:「百」は単に多いことを指すものであろう。後の文宝堂の表現に『數十五ケ所の塚』とあるからである。]有之、百姓菊太郞、「心願有之、石集拵度」由にて、當三月七日、庚申塚へおり、石集候處、庚申塚東の方、少々の崕(キリギシ)有之、場所、石、數多く相見候間、掘出候處、四尺計、掘候へば、左右、大石にて積立候石棺體之物出、其中より右之品、出申候。
これ、村役人より領主への屆出なり。五月末の事なりとぞ。
行智曰、『倚依は歸依なり【「集韻」、『「倚」、同「奇」。】。上州人は「エ」を「イ」といふ。江澤を「イサハ」、蝦を「イビ」といふ類なり。』。
輪池曰、『天平三は辛未なり。天平寶字三は己亥なり。予、その搨本[やぶちゃん注:「すりほん」。音なら「トウホン」。拓本。]を見しに、筆力・書式ともに、その時代のものとは見えず。疑ふべきなり。』。行智曰、『天正三乙亥[やぶちゃん注:ユリウス暦一五七三年。]なれば、天平は天正の誤寫、己亥は乙亥の誤字なるベし。』。輪池曰、『搨本につきて見るに、誤字にはあらず。』。
乙酉六月 輪 池 再 記
これは乙酉六月の兎園會の附錄なりとぞ。
[やぶちゃん注:「乙酉六月の兎園會の附錄」第六集の最後に輪池屋代弘賢が発表しているが、内容は無関係である。その時に附録として紹介したものを後掲したということらしいが、同日の兎園会では、冒頭で馬琴が「土定の行者不ㇾ死 土中出現の觀音」を発表しているおり、これは埋没した石棺や観音という仏教関連物の発掘という関係性で、多少の親和性が認められ、それを受けて臨時に輪池が会では附言したという感じがしないでもない。]
○石棺圖別錄
[やぶちゃん注:図は輪池よりも遙かに細かい。キャプションは、右上に、
不動尊一躰。長三寸位。
錆脇差一本。身斗リ。
金、キセ、
所々、ハゲテアリ。
マガタマ。一寸四方位。
とあり、上の切れた輪状のものが描かれている。これを勾玉と言っているようである。その左に、損壊した蓋の一部を、ひっくり返した状態で描き、
蓋、欠テ有。
とし、そこには、
「埋此尊依命」
という文字が彫られているようである。これは、「此の尊、命(めい)により、埋づむ。」となるか。その石棺の蓋の欠損部上面に、
アツミ、七寸位。
とキャプションがあり、蓋の長辺の斜めになった箇所に、
蓋、高サ一寸七尺余。但シ、一枚石也。
と記す。手前の短辺の斜めになった箇所に、輪池の示した、
「尊像人民
依𠋣意忘
耕故埋
□」
が彫られている。最後の「□」は、一番、左の棺の外に、縦に、
此所、華押体(てい)ノモノ、見ユル
とあるのが、それらしい。蓋の上面には、輪池に示した、
「天平三
己亥三月」
の彫られた文字がある。石棺長辺下部に、
長七尺余
とし、短篇の下部に
横四尺位
とする。特異点は輪池の図にはなかった溝状のもの(実は石の接合部の隙間)が短辺の手前に左に縦にあり、その溝の下に、
合セ目、一寸位。ハナレ有。
とキャプションする。]
右文政八乙酉年春三月、黑田三五郞樣領分上州山田郡吉澤村の内に、數十五ケ所の塚あり。其内、親塚、字は「七日市」[やぶちゃん注:不詳。]と申處を掘候ヘば、圖の如き、石棺、出づ。同月中旬、領主へ訴出候。
三月十九日に、相越、一見いたし候處、石棺、圖の如く、ミカゲ石のやうにて、内の方は至りてカタク、外は水氣を持ち、ボロゴロ致すやうなり。「天平三」の下に、何か文字體のもの見え候。「己亥」の中にも、おなじく、あやあり。隨分、古く相見え申候。塚の大さ、敷[やぶちゃん注:延べ面積の意か。]、凡、十間四方位、高、一丈三、四尺も有るべし。
不動尊、赤銅にて鑄ものと見え候。所々、すりはがし申候。
「マガタマ」、金キセ、殘り見え申候。右二品は、隨分、古く相見え申候。
脇差は、信用しがたし。
[やぶちゃん注:以下は全体が底本では一字下げ。]
右一條は、上州なる從弟の方より、認め來りしまゝを、しるし出だす。輪池翁のしるし給へるに、あはせ見給へかし。
乙酉初秋初五、蚊にさゝれ、さゝれ、燈下にしるす。 文 寶 堂
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