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2021/10/07

昭和二三(一九四八)年小學館刊 「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」 電子化注始動 / 表紙・背・裏表紙・扉・「遺稿詩集に就て」(編者前書) / 「第一(「愛憐詩篇」時代)」 鳥

 

[やぶちゃん注:所持する上記の詩集を電子化する。奥附は別刷で上部だけで貼り付けられていたものらしく、完全に剝がれてしまっていて、存在しない。但し、扉の標題、及び、旧所蔵者(私の高校国語教師時代の可愛がってくれた先輩の国語教師(故人)の、明治生まれの御尊父)の裏の見返しにある署名に添えられたクレジットに『1954719』とあることから、これは、

小学館の昭和二二(一九四七)年六月発行の初版の、翌昭和二十三年一月一日発行の再版本「萩原朔太郎詩集」第五巻「遺稿詩集」

と推定されるもので、サイズはB6版である(但し、画像で検索を掛けたが、同一物・同一シリーズの画像を発見は出来なかった)。初版本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで総て視認出来る(初版本はサイズは同じだが、表紙・が全く異なり、奥附は組み込みページで外れようがないものである)。

 以下、表紙・背・裏表紙・扉を電子化(字のサイズは再現せず)を添えて画像(カラー取り込み)で示し、次いで、小学館の本シリーズの編集部の手になると思われる(編集者の名前はない)「遺稿詩集に就て」を電子化した。或いはこれはパブリック・ドメインではない可能性も否定出来ぬが、本篇を読むに必須である時代区分編集の方針が記されてあるため、特に電子化した。万一、問題があるとならば、梗概記載に切り替える。因みに、小学館は昭和一八(一九四三)年三月から翌年十月にかけて、最初の「萩原朔太郎全集」(A6 版・本巻十巻・別冊二巻)を刊行しており、その別冊 遺稿上巻の詩集パートをブラッシュ・アップしたものが本書と思われる。従って、本書は本格的な肝煎りで作られているものであって、安易な廉価縮刷版ではないのである。寧ろ、こうした地道な全集作りが、後の創元社版や新潮社版、そして、完全正字表記の筑摩版という優れた(表記の手入れに許し難い恣意性があるが)全集を生み出す原動力となったと言えるのである。

 戦後の直後の出版であるが、基本、「遺稿詩集に就て」も含め、総てが歴史的仮名遣・正字表記であり、忠実に再現した。但し、扉の画像と電子化で判るように、そこでは活字として「郞」ではなく「郎」が、「館」ではなく「館」が用いられている。そうした部分もそのままに再現してある。

 なお、本書(シリーズ)の装幀は、かの恩地孝四郎である。

 なお、目次は省略した。また、巻末に「試作品年譜」として各詩篇の制作年月日(これはごく一部)・発表雑誌名・発表年月がリスト化されているが、それは電子化せず、それを参考にしつつ、所持する筑摩書房「萩原朔太郎全集」昭和五〇(一九七五)年~昭和五三(一九七八)年筑摩書房刊)の当該詩篇の初出及びそのデータと校合して、各詩篇の後に附した。同全集では、当該詩篇の類型詩篇への参照附記がなされているものがあるが、それについても、可能限り、再現したいと思う。

 一言言っておくと、この本の書誌が、筑摩版萩原朔太郎全集の萩原朔太郎の没後の全集や編集本に全く載っていないことが非常に気になっている。而して以下、電子化するうちに、驚くべきことに、筑摩版全集に全く不載の詩篇が載っているのである! 思うに、筑摩版全集の編者は、この小学館版全集の後出しの「萩原朔太郎詩集」が、実は新たに追加して新発見の詩稿が載っていることに全く気づかず、それを参考にすることがなかったという結論に私は達した。則ち、ここで我々は、本書を読んだ人間以外、殆んど今まで誰も知らなかった詩篇に出逢うことになることになるものと思われる(私が不審に思った未見の詩篇をネット検索されたい。萩原朔太郎ファンは甚だ多く、未定稿や草稿を電子化している方もかなりおられるのだが、にも拘らず、どこにも載っていない初見の詩篇が複数あるのである!)。筑摩版全集を我々は伝家の宝刀の如く、萩原朔太郎の詩業の断簡零墨まで網羅していると勝手に思っているが、実際には酷似した詩稿を確認しながら、かなりの量の使用しなかった原稿があることは、同書の解説の端々にも書かれてはいる。しかし、私は「こんな詩稿があったのか?!」と驚くものが有意に出現することに驚きを隠せないでいるのである! 筑摩書房は次回の全集改訂時に、ずっと見逃してきた本書を、是非とも精査する必要がある、と強く感じている。

 

■表紙・背・裏表紙

 

Hagiwarasakutarouikousisyu

 

萩原朔太郞 遺稿詩集

 

小學館[やぶちゃん注:背の下方。裏表紙には中央に当時の小学館のマーク。]

 

 

■扉(左ページ)

 

Sakutarouikousisyutobira

 

萩原朔太郎詩集

      Ⅴ

遺稿詩集

 

[やぶちゃん注:恩地孝四郎のイラスト。]

 

小學館刊

 

 

[やぶちゃん注:以下、目次標題ページが独立して附された上で目次が続くが、省略する。なお、その末尾下方に『装幀 恩地孝四郞』と記されてある。]

 

 

    遺稿詩集

 

 

    遺 稿 詩 集 に 就 て

 

「愛憐詩篇」『月に吠える』當時の作品で、これまでいづれの詩集にも收錄されなかつたものは、およそ一二百篇ほどと推定される。このうち大正初期の雜誌に發表したものは約七十篇ほどらしく、他は原稿紙、ノオト、紙片などに書きつけられたまま、遂に顧みられなかつたものである。けれどもこのことは、これら作品がすべて完成度が低いことを意味するものではなく、從來詩集に收錄されなかつたのは、主として詩稿整理の煩はしさが原因であつたと思はれる。

 本卷の編纂に當つては、大正初期のころ發行された十數種の詩、短歌雜誌を調査したが、未だ充分とは言ひがたい憾みがある。殊に、當時とは既にほぼ三十餘年を距ててゐる時間的な關係からしても、もはや手に入りがたくなつてゐる雜誌もあり、これらの點で、雜誌發表作品にはなほ期待すべき幾篇かがあることと思はれる。

 原稿紙、ノオトなどに書きつけられた作品は殆んど剩すところなく調査し、この結果、百四十篇ほどの作品と、三十餘篇の未完成作品並に斷片を得、さらに判讀しがたい草稿三十篇ほどがあつた。本卷はこれら作品中より九十一篇を收錄編纂し、これを「愛憐詩篇時代」四十四篇[やぶちゃん注:読点落ち。改行で版組みにより当時は打てなかったせいによる。]「淨罪詩篇」十二篇、「月に吠える時代」三十五篇に分つた。遺稿にして標題なきものは、便宜上「○」を附して置き、目次、作品年譜に於てはカツコを附してそこへ最初の一行を書いてをいた。なほ各篇について略說すれば次の通りである。

 

 愛憐詩篇時代  本篇收錄の作品順序は、主として推定年代順に據つた。作品中には多少情感の異るものもあるけれど、全體として、年代的に見ても「愛憐詩篇」當時の作品であることが知られる。

 

 淨罪詩篇 『月に吠える』には、「從兄 萩原榮次氏に捧ぐ」といふ献辭が附してある。この人は熱烈な基督敎信者、少靑年時代の萩原朔太郞は、その精神生活に於ていちばんふかくこの人の影響をうけた。さうした關係からでもあらうが、遺稿のうちには罪あるひは懺悔といふ言葉をしるした作品が少からずあつた。そして「淨罪詩稿」と附記した作品は本篇の大部分のほか、『月に吠える』『蝶を夢む』收載の「天上縊死」「菊」「冬」「笛」「卵」「懺悔」「われの犯せる罪」その他がある。これは遺稿によつて判明したことである。

 

 月に吠える時代  ここに收めた三十五篇は、「愛憐詩篇」「淨罪詩篇」以外にも作品を網羅したもので、いくつかの詩風が混ぢりあつてゐる。しかしさういふ混合のなかから、それぞれの作品は詩人萩原朔太郞のいくつかの面を、ぞれぞれの言葉で語つてゐる。

 

 

 

      第一(「愛憐詩篇」時代)

 

 

 

 

夕暮れて

ほの痒き指のさき

坂をくだれば一群の

鳥は高きをすぎ行けり。

 

[やぶちゃん注:初出は大正二(一九一三)年十月号『創作』。筑摩書房全集では、『「習作集第八卷」の「稚子他二篇」中、「△(夕ぐれて)』『參照』とある。以下に「稚子」全体を示す(筑摩版の校訂版本文ではなく、下方にポイント落ちで示された原表記版を示す。私が先に不満を示した校訂というのは、例えば、踊り字を正字に直す行為や句読点の除去を指す。例えば、以下の場合、三行目の「ものゝ影より」や七行目「こゝろ」の部分を、校訂本文では「ものの影より」・「こころ」とし、「稚子のこゝろをたれか知る、」の読点を除去している。これを私は正しい校訂とは絶対に思わない)。抹消部は取消線を施し(以下ではこれは注さない)、傍点「ヽ」は太字に代えた。歴史的仮名遣の誤りもママである(校訂本文はそれをも直して消毒してしまっているのである。これも私はダメだと思う)。

 

 稚子

 

大人の眼には見えがたき

子とろ子とろのばけものが

ものゝ影よりさしまねく

その怖ろしさ哀しさに

聲をかのどもさけよとおびへ啼(な)く

逢魔が時のやるせなき

稚子のこゝろをたれか知る、

            (ハイネのこどもさらひより)

 △

       

夕ぐれて

ほの痒き一群の

鳥は高きをすぎ行けり

 

 △

 

ちまた、ちまたを步むとも

ちまた、ちなたにちらばへる

秋の光をいかにせむ

この愁をばいかにせむ

 

なお、注記があり、『巻末の目次には「ちご、外小曲二篇」との題名を附している』とあり、『また「夕ぐれて」の詩の右下に、S.S及び』、

(たそがれどきのやるせなき)

(わが哀しみをいかにせむ )

『の附記がある』とある。丸括弧は上下とも、筑摩版全集では二行に渡る大きな一つの丸括弧である。詩句の候補附記である。「S.S」の意味はは底本解題によれば、雑誌『創作』の略号であるとあり、『發表を予定して附けられたものと思われる』とある。同「習作集第八卷」では他の詩篇の題名の下に「S.K」「S.B」「SB」「G.S」などの記号が記されてあるものがあるが、この内、「S.K.」は底本解題によって、雑誌『詩歌』の略号と断定されてある。他は不詳だが、安易に当時の萩原朔太郎のペン・ネームの頭文字とも採り難い。]

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