曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 鼠の怪異
[やぶちゃん注:怪奇談なので、面白く読み易くするため、段落を成形し、記号を挟んでみた。]
○鼠の怪異
今玆【文政乙酉。[やぶちゃん注:一八二五年。]】四月、奧州伊達郡保原といふ所の大經師松聲堂【俗稱・福井重吉、俳名・萬年。】の物語に、
――おのれ事は、南部の產にて、此春、親族の方より消息して、世にめづらしき事を、しらせ、おこしたり。
そは、南部盛岡より、凡、二十里許おくに、福岡といふ所にて、そこに靑木平助といふ舊家あり。其家作のふるき事、五、六百年前に造りなしたるが、そのまゝにて、代々、住居來れり[やぶちゃん注:「すまゐきたれり」。]。
「げに、其家、今やうの造りざまにあらず、いかにも、由あるものゝ末ならんと、おもはるゝ。」
と、なり。
しかるに、此春二月の比、あるじ兵助の夢に、棟の上に一塊のほのほ、炎々と、もゆ、と見て、驚きさめて、ふと、仰ぎ見れば、こは、そも、いかにぞや、夢に見たるに、つゆ違はず、おのれが寐たる上の棟に、火、燃えゐたりければ、あわてふためき、起き上り、手ばやく、はしごを、ものして、手ごろなる器に水を入れ、水をそゝぎかけなどしければ、忽に、火はきえて、させる事、なし。
あるじ、とゞろく胸は、やゝしづまりしかども、
『いかなることにて、このあやしみのありけるにや。』
と思へば、さらに心安からねど、
『かゝる事を、家の内のものに告げしさらば[やぶちゃん注:ママ。「しらさば」の錯字か。]、「さこそ、『ものゝけ』、『たゝり』ならん。」と、いひのゝしりて、うるさかるべし。何にまれ、今少し、試みばや。』
と、ひとり、むねにをさむるものから、その曉まで、いもねられで、あかしゝとぞ。
かくて、あけの朝、起き出でゝ、例のごとく、うがら[やぶちゃん注:「親族(うがら)」。]、うちよりて、朝いひ、たふべんとする折、かの宵に、ことありし棟とおぼしき處より、物の、
「はた」
と落ちたり。
思ひもかけぬ事なれば、女・わらべなどは、
「あれ。」
と、さわぎて、飛びのきつ。
あるじは、心にかゝるふしもあれば、
「さて、こそ。」
とて、
「き」
と、そのものを見とむるに、いと年ふりて、大きなる鼠のおなじ程なるが、その數、九つ、尾と尻と、つき合せて、わらふだの如く、まろくなりつゝ、かたみに、手あしをもがきて、かけりのがれんと、するなりけり。
[やぶちゃん注:「わらふだ」「藁蓋・圓座」(わろうだ)。藁・藺・蒲・菅 などを縄に綯(な)い、渦巻き状に編んで作った円い敷物。]
しかるに、その鼠、いかにもがきても、その尻と尻、つながりて、はなれず、只、ひたすらにかけ出でんとするのみにて、
「くるくる」
と、おなじ所をめぐるのみなれば、人みな、おそれおどろく中にも、亦、興ある事におぼえて、
「こは、けしからぬ物なり。いかにして、かくまで、同じ鼠の九つ、よくも揃ひけん、それすらあるに、尻と、尻の、はなれぬは、いかなる故ぞ。」
と、のゝしりつゝ、
「とりはなして、にがしやらんか。」
「うちも、殺さんや。」
など、いひどよみて、わりきやうのものをもて、兩三人、左右より、引きわけんとするに、得はなれず。
[やぶちゃん注:「わりきやう」不詳。「割經木」のことか。薄い木の板を細く割ったもの。「割り木樣」ともとれなくはないが、割り木では大き過ぎるので私は採らない。
「得」不可能の呼応の副詞「え」に当て字したもの。]
「こは、おかしき物なり。」
とて、つよく引きたて見れば、あやしむべし、此鼠の、尾と、尾の、からみあひたる事、あじろをくみたらん如くにて、
「つよく物せば、しり尾も、ぬげんずらん。」
など、いふ人もあれば、そがまゝに置きたるを、ちかきわたりの人々、聞き傳へ、つどひきて、
「扨も、めづらしきものを見つるかな。われらに得させ給へ。」
とて、竹の先に引きかけて、處々、もちあるきて、なほ人に見せたる果は、川へや、流しけん、土中にや埋みけん、
「そのゝちに、又、怪しきことの聞えなば、なほ、又、告げまゐらせん。」
など、いひおこしたり。――
と、語りし、よし。
友人の傳聞にまかして、けふの「兎園」の數に入れ侍るになん。
[やぶちゃん注:鼠の子どもらが母鼠の尾に繋がることはあると思うが、これは明らかに成体のそれであるから、不審。鼠に似た他種も考えたが、梁の上で、特に挙げ得る別種は私は想起出来ない。
「奧州伊達郡保原」現在の福島県伊達市保原町(ほばらまち:グーグル・マップ・データ。以下同じ)。
「大經師」経師屋・表具師の称。
「松聲堂【俗稱・福井重吉、俳名・萬年。】の物語に、
「福岡」距離から見て、岩手県二戸市福岡であろう。]