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2021/10/13

只野真葛 むかしばなし (41) / 「三」~始動

 

むかしばなし 三

 

  むかしをおもひいでつゝふるときはわかがへりたるこゝちこそすれ

 

[やぶちゃん注:以下「おもひをのべたり。」までは、底本ではぜんたが二字下げ。]

 此卷は、分て、父樣・おぢ樣の御間のことを、委しくあらわしたり。世のたとへに恥をいはねば利(理)がしれぬと申ごとく、後々にいたりては、おぢ樣は、おとなしい顏を、よくして、他人にみせられし故、すでにそなた樣などさへ、幼年より他所に御出、もとのことを心得られぬは、父樣の和されぬが、氣よわきやうに見へつらん。其むかしより、こまやかにあだを被ㇾ成しをしりては、人に、しか、おもはるゝが、くやしかりしおもひを、のべたり。

 隣、内田の地と成しは、ワ、十二、三の頃なり。三、四月のことなりしが、夜中、奧方の聲とて、庭かよひ路の戶を、たゝきながら、

「周庵さま、一寸おいで被ㇾ下、おいで被ㇾ下、」

と、しきりによぶ聲、仕たり。

 父樣。おきいでゝ、

「何事ぞ。」

と御とひ被ㇾ成しに、

「玄松、急死なり。」

とて、はだしにて、かけ付してい[やぶちゃん注:「體」。]故、早速、御出で、先《まづ》、やう、御覽有しに、おびたゞしき吐血にて、こと切(きれ)なり。

 奧方とは、ひとへ唐紙をへだてゝやすまれしが、うなり聲、つよく聞へし故、おきて見られしに、其通のことにて有し、とぞ。

 此大變にて、目がさめて、俄に、鬼門屋敷も、いやに成、折釘を打てより、家鳴のせしこと、玄松、淫亂になられしことなど、おもひあたり、をちをちも、翌年までは居られしが、大勢の子達、奧醫師の役料、ひけて、とりつゞきかね、ちりぢりばらばらに成て、其あとへ奈須玄信は、ちかしき親類故、家守、心に賴れて、來られし人なり。

 玄松死後、下女に、狐、付て、いろいろ、口ばしりしに、とがもなき宮をこぼち、散錢をおし取て、釘、打しことなど、うらみのゝしりしこと有し、となり。

 是を聞て、俄に宮をたてゝまつり、わびごとしたれば、狐は、おちたりし。

 翌年、「はしか」はやりて、姊むすめ、死(しし)たりしが、其前夜、例の下女の夢に、また、狐きたりて、

「此女、此女。」

と、おこしたりし故、おどろき、枕をあげしに、

「是、あね娘、此度、死(しし)は、天命なり。わがせしことに、あらず。」

と斷るとおもへば、まことに夢さめしとぞ。

 是も狐のせしごとくいはれんことを察し、かく、つげしも、をかし。さすがに狐も「ぬれぎぬ」をば、いとひしなり。

 玄信殿、隣へこされしが、父樣、御運のつき、〆《しめ》がのろひの、しるしなるべし。

 眞のおごり人にて、道樂のずるひのといふことを、はじめしほどのことなりし。

 母樣は、かたいかたい、とても上なし偏屈に御そだちの人、萬事、ふうぎ、あはず。此人のこされぬ前は、世の中には「質(しち)」といふものおくといふ事有と、音に聞て有しを、奈須流[やぶちゃん注:玄信のこと。那須姓。]は、其身も、奧方も、立つたまゝにて、仕立おろしの黑ちりめん、かずくなり。普段着なり。着物をこしらへてゐること、大きらい、

「どこぞへ行時は、其ときのはやりのものをこしらへてきるがいゝ。」

といつて、さらに、たくわへ、なし。

 金𢌞のよき時分、奧方へ其頃のはやり黑手八丈の無垢に、紫金打かたの下着ちりめんの二ッがさね、緋《ひ》ぢりめんついた毛儒絆、その時はやりの帶と、あたらしく、さつぱりこしらへ、きせる。奧方、悅、夜晝かゝつて仕立仕𢌞、火のしをかける時、

「コウ、其着物を質屋へやつて、金をかりてみやれ。いくらかすか。」

奧方も餘りのこと故、『をどけ』と、心得、わらつてござる所が、中々は、てつかず、とうとう、やかましくいつて質屋へ行(ゆく)になり、にがわらひして居るうち、金を持てくると、おもひの外、

「よくかすものだ。これ齋治【そばの使ひの小僧なり。】[やぶちゃん注:底本に『原割註』とある。]、是で『九年ばう』をかつてこい。」

とて、一兩なげだし、「くねんぼ」をかはせて、家中の男女に、

「いくら、くらはれるか、食てみろ。」

とて、其夜のなぐさみなり。

[やぶちゃん注:「九年ばう」「くねんぼ」は「九年母」でムクロジ目ミカン科ミカン亜科ミカン属マンダリンオレンジ品種クネンボ Citrus reticulata 'Kunenbo'。沖縄ではクニブと呼ばれる。当該ウィキによれば、『東南アジア原産の品種といわれ、日本には室町時代後半に琉球王国を経由しもたらされた。皮が厚く、独特の匂い(松脂臭、テレピン油臭)がある。果実の大きさから、江戸時代にキシュウミカン』(ミカン属キシュウミカンCitrus kinokuni )『が広まるまでには日本の関東地方まで広まっていた。沖縄の主要産品の一つだったが』、一九一九年に『ミカンコミバエの侵入で移出禁止措置がとられてからは、生産量が激減し、さらに』、一九八二年に『柑橘類の移出が解禁されてからは、ほとんどウンシュウミカンやタンカン』(桶柑・短柑。ミカン属タンカン Citrus tankan 。ポンカン(椪柑・凸柑。ミカン属マンダリンオレンジ変種ポンカン Citrus reticulata var. poonensis )とネーブルオレンジ(ミカン属 オレンジ Citrus sinensis )の自然交配種のタンゴール (tangor) の一種)『などが栽培されるようになった。現在は沖縄各地に数本ずつ残っており、伝統的な砂糖菓子の桔餅や皮の厚さと香りを利用したマーマレードなどに利用されている』。『クネンボは日本の柑橘類の祖先の一つとなっている。自家不和合性の遺伝子の研究により、ウンシュウミカンとハッサク』(八朔。ミカン属ハッサク Citrus hassaku )『はクネンボの雑種である事が示唆された。この事からクネンボが日本在来品種の成立に大きく関与している事が明らかにな』り、二〇一六年十二月、『農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)果樹茶業研究部門が、DNA型鑑定により、ウンシュウミカンの種子親はキシュウミカン、花粉親はクネンボであることが分かったと発表した』。因みに、『古典落語に九年母という噺がある。九年母をもらった商家でそれを土産として丁稚に持って行かせる。丁稚は九年母を知らず、不思議に思って袋の中を見ると入っているのはミカンにしか見えない。その数がたまたま』九『個であったので勝手に納得し、その』一『つを懐に入れ、「八年母を持ってまいりました」。向こうの旦那が怪しんで袋を覗き「これは九年母ではないか」と問うと、猫ばばがばれたと思い慌てて懐の』一『つを取り出し』、『「残りの一年母はここにございます」と下げる』とある。]

こんなつゐへのことも、おもひきつてならぬものなるべし【おく樣は、仕立たばかりの損となりし。おもひきつて、かくはならぬものと、殊外、感心被ㇾ成しを、女心には、『いやなことをおほめ被ㇾ成』と、おもひし。】[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]。

「律儀にくらすよりは、このかたは、氣がつまらずに、よい。はて、おもしろい氣風の人。」と、父樣、珍らしく思召たるより、まよひだして、ずるけて、おごる心にならせられしは、惡魔の見入しならん。是より、一きわ、手びろに成て、千兩のうきがねも、たらぬ樣に成しなり。奈須は其通、ぐわらり、ぐわらりと、あと先見ずの人故、其身の地でもなひものを、むせうに、

「かりたくば、いくらでも、かす、かす。」

といはれし故、地面五十つぼ程、かりたして、東屋をたてゝ、櫻を、おほく、うゑられしが、榮のはじまりなり。其よく年、また、地をかりたして、二階作の座敷をたてられしは、おぼしめし、たがひなりし。庭ばかりなら、地を立られし時、心やすかるべきに、家が有故、ことむつかしかりし。

 父樣四十ばかりの時、仙臺より「めし」有て、十月初、御くだり被ㇾ遊し。其二年ばかり前に、仙臺の町人、鑄錢(《ゐ》ぜに)の願、有て、父樣をたのみしが[やぶちゃん注:「むかしばなし (40)」の注の父平助の事蹟の引用を参照。]、ことすみし故、

「御禮。」

とて、金子など、上しこと、有し。其時は、父樣、少々、御不快にて、おしづまりいらせられしに、其町人、來りて、御禮を申上しうへ、金包を床の下へ、さし入て、歸りしとなり。程なく、御こゝろよくならせられしかば、無駄につかいてよい故、心ひきなり。其金を懷中被ㇾ成、

「何ぞ、目につく物も有や。」

と近所、御步行(おあるき)、二町まち邊まで、いらせられしに、きのうから、

「葺屋町河岸へ、女の力持ちがでた。」

とて大評判故、御覽被ㇾ遊しに、目見へには、きれいの女、打掛にて出、口上、終、百目懸のやうそく[やぶちゃん注:底本にママ注記有り。「蠟燭」。]を碁盤にて、あふぎ、けす。片手にてなり。

[やぶちゃん注:「二町まち」「二丁町」。日本橋の堺町・葺屋町の二町の併称。堺町に中村座、葺屋町に市村座があり、ともに芝居町として知られた。この附近(グーグル・マップ・データ)。]

 つぎは、四斗樽へ、人をあげて、さしながら、はしごを上る【終に樽の口を明て、水をだして見するなり。から樽ならぬ證なり。】[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]など、いろいろ、藝、有。

 相手は「文之助トサマヨト」[やぶちゃん注:「ト」は「と」で引用の格助詞の誤記か。]いふものなり。元來、文之助、ちから持なり。小男にて、色白く、筋太(すぢぶと)なりし。見世物にいだせしは、此者、おもひ付にて有し、とぞ。

 女の名は「ともよ」と、いひし。元來、氷川とやらの女なりしが、ある日、にわか夕立して有りしが、米揚(こめあげ)、大きにこまりて有しを、見かねて、かけ出し、米の入たる臼を、かるがると、もちて、内へいれてやりしを、文之助、通がけに見て、ふと、おもひ付、女をうけ出して、藝を仕込み、みせ物にせしなり。

 女の力持、たへてなかりし時故、珍らしく、はやりしなり。

 この力持、御氣に入て、度々、手前へも、めして、客のもてなしに被ㇾ遊たりし。

 文之助、腕や股などへ、ぬれ紙をはりて、よくきれる小がたなにて、すんすんに、きれども、身に、疵、つかざりし。ちから强(つよき)故、刄物うけぬ、となり。

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