「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第一(「愛憐詩篇」時代)」 (無題)(ふところに入れたる手よ) / 筑摩書房版全集不載の一篇
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ふところに入れたる手よ
じつとぬくもりていづることなく
わが手はつねに深きうれひにしづむ
この右の手はうれひ哀しむ
ひとり鐡橋の下を步めば
落日は背(そびら)に赤し
夕日にもゆる
鐵橋の支柱(ぴいす)の下に。
つねにつねに
この屋根低き道の行きつくすはても知らねば。
[やぶちゃん注:底本は出典を『ノオト』とするのみで、制作年も不明である。しかも、筑摩版全集には、この詩篇は載らない。但し、冒頭の三行のみは、「習作集第九巻(愛憐詩篇ノート)」にある、「斷章」と題するもの第二章と一致する(但し、三行目には句点がある)。以下に示す。例によって誤字はママ。傍点「ヽ」は太字に代えた。
斷章
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いづかたに行き給ふらむ
深山路に雪をふみわけ
雪をふくみて夕暮の旅のつかれをいこひやすらむ
いかなればかくもしづかに
しとやかに、したしげに君はありしぞ。
×
ふところに入れたる手よ
じつとぬくもりて出づることなく
手はつねに深きうれひにしづむ。
×
五月となり
わが風景を呼ぶ聲はいよいよするどし
街より出づるものは
みなその衣裝をあかるくせり。
×
五月となり
わが風景をよぶ聲はいよいよするどし、
みよ街都會より出づるものは(都會(まち))
その衣裝もつともあかるし。
×
ひそかに海を念ずれば
海も傾むき湧きいでぬ
磯松原をわが行けば
都をのがれわが行けば
朝まだ早くしめじめと
松露は地を堀りあぐる。
×
にこちんのどくしみこめる
いろくろきわがみの哀傷は
いんらんの鏡をくもらしめ
ふしぎなる草木の種をとぐ。
×
ことばすくなく生れたる
わが身のうれひしんじつは
ゆうぐれかけて燃えあがる
火の見梯子のうすぐらき。
露路の
筑摩版全集解題によれば、「習作集第九巻(愛憐詩篇ノート)」の書写年代は大正二年九月から、ほぼ翌年十二月頃とある。ざっと見ただけだが、現行の筑摩版全集には、ソリッドなこの詩篇は載らない。そもそもが、この最終行の「鐵橋の支柱(ぴいす)の下に。」の「支柱(ぴいす)」のルビはいかにも朔太郎好みだが、他の彼の詩篇で使用しているのを見た経験が私にはことがない。因みに、「ぴいす」は「一片・一本」の意のそれであろうが、「piece」自体には「支柱」の意はないから、朔太郎のハイカラ好みの、感覚的な当て読みである(「支柱」は「prop」或いは「post」である)。言っておくと、個人的には彼が「生活」に「らいふ」と振ったりするのは生理的に厭な感じを持ち続けている。最も偏愛する「さびしい人格」でやられた日には、虫唾が走るのである(リンク先は私の『萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 さびしい人格』で、その注の最後で記しているが、実はこの「らいふ」のルビは昭和三(一九二八)年三月に第一書房から刊行された「萩原朔太郎詩集」の「さびしい人格」にのみあるルビである。これを「らいふ」と読むのを中学時代の最初の朔太郎体験の時に見たら、私は彼を好きにならなかったとさえ今は思うのである)。
閑話休題。この詩篇も、既に原稿が失われた幻の一篇なのであろうか?]
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