「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第一(「愛憐詩篇」時代)」 鐡橋々下 / 附・同時初出併載詩篇「早春」
鐡 橋 々 下
人のにくしといふことば
われの哀しといふことば
きのふ始めておぼえけり
この市(まち)の人なになれば
われを指さしあざけるか
生れしものは天然に
そのさびしさを守るのみ
母の怒りの烈しき日
あやしとさけびかなしみて
鐵橋の下を步むなり
夕日にそむきただひとり。
―滯鄕哀傷篇より―
[やぶちゃん注:底本では制作年は未詳(記載なし)で、出典を『ノオト』とする。筑摩版全集では酷似した詩篇が「拾遺詩篇」にある。初出は大正三(一九一四)年三月二十四日附『上毛新聞』である。如何に初出形を示す。標題のルビの後半の「けう」は踊り字「〱」。
鐡橋々下(てつけうけうか)
人(ひと)のにくしといふことば
われの哀(かな)しといふことば
きのふ始(はじ)めておぼへけり
この市(まち)の人(ひと)なになれば
われを指(ゆび)さしあざけるか
生(うま)れしものはてんねんに
そのさびしさを守(まも)るのみ
母(はゝ)のいかりの烈(はげ)しき日(ひ)
あやしくさけび哀(かな)しみて
鐵橋(てつけう)の下(した)を歩(あゆ)むなり
夕日(ゆうひ)にそむきわれひとり
(滯鄕哀語篇より)
筑摩版全集の注に、『新聞發表の際は「夢みるひと」の筆名で』、筑摩版全集の本篇の前に掲げられた「早春」という詩篇とともに掲載されたと記されてあるので、その「早春」も掲げておく。全集の位置から、掲載はこの「早春」の方が手前にあるということであろう。歴史的仮名遣の誤りはママ。
早春(さうしゆん)
夢みるひと
なたねなの花(はな)は川邊(かはべ)にさけど
遠望(えんばう)の雪(ゆき)
午後(ごゞ)の日(ひ)に消(き)えやらず
寂(さび)しく麥(むぎ)の芽(め)をふみて
高(たか)き煉瓦(れんぐわ)の下(した)を行(ゆ)く
ひとり路上(ろぜう)に座(すは)りつつ
怒(いか)りに燃(も)え
この故鄕(ふるさと)をのがれいでむと
土(つち)に小石(こいし)を投(な)げあつる
監獄署裏(かんごくしようら)の林(はやし)より
鶫(つぐみ)ひねもす鳴(な)き鳴(な)けり
(滯鄕哀語篇より)
[やぶちゃん注:筑摩版全集初版の本詩篇の初期形表示は杜撰で、改頁に当たっている部分が行空けのはずなのだが、後のページの行空けは、下方の初出ではなされていない。後の差し込みで訂正している。]
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