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2021/10/11

「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第一(「愛憐詩篇」時代)」 (無題)(われの故鄕にあるときは)

 

  

 

われの故鄕(ふるさと)にあるときは

市(いち)びとのうしろゆびさし

ちちははの哀しみしげく

あはれまた家を出でんと

利根川の岸邊に立てば

はつ霜の磧のなかに

いろ赤き草の實光る。

 

[やぶちゃん注:底本の「詩作品年譜」では、『遺稿』とし、制作年を推定で大正三(一九一四)年とする。これは筑摩版全集では、第三巻の「未發表詩篇」に掲載されてある。同内容だが、読点が打たれてあるので、以下に示す。

 

  

 

われの故鄕(ふるさと)にあるときは、

市(いち)びとのうしろゆびさし、

ちちははの哀しみしげく、

あはれまた家を出でんと、

利根川の岸邊に立てば、

はつ霜の磧のなかに、

いろ赤き草の實光る。

 

 なお、さらに調べると、筑摩版全集の『草稿詩篇「未發表詩篇」』に『○われの故鄕にあるときは(本篇原稿二種三枚)』としつつ、以下を掲げる(ここで言っておくと、同全集のこの場合の「二種」というのは、採用する価値がないものを含めての謂いである)。

   *

 

  

 

われのふるさとにあるときは

市びとのあざけるときうしろ指さし

ちちはゝの哀むときにみしげく

われ一人

あはれまた家をいづればでんと

利根川の岸邊にきたりに立てば

はつ霜の磧のなかに、

利根川も白くこほりて

霜枯れし畑のうへに雀

うすゆき 磧の中に

いろ赤き草の實をつむ光る、

 

   *

「磧」は「かはら」で河原に同じ。]

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