「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 孝子實傳――室生犀星に―― / 附・原草稿
孝 子 實 傳
――室生犀星に――
ちちのみの父を負ふもの
ひとのみの肉と骨とを負ふもの
ああ なんぢの精氣をもて
この師走中旬(なかば)を超え
ゆくゆく靈魚を獲(え)んとはするか
みよ水底にひそめるものら
その瞳はひらかれ
そのうろこは凍り
しきりに靈德の孝子を待てるにより
きみはゆくゆく涙をながし
そのあつき氷を蹈み
そのあつき氷を喰み
そのあつき氷をやぶらんとして
いたみ切齒(はがみ)なし
ゆくゆくちちのみの骨を負へるもの
光る銀絲の魚を抱きて合掌し
夜あけんとする故鄕に
あらゆるものを血まみれとする。
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。底本では大正三(一九一四)年十一月作とし、翌大正四年一月発行の『詩歌』初出とする。筑摩版全集でも「拾遺詩篇」に同月号初出として、初出を以下のように示す。踊り字「〱」(五行目の「ゆくゆく」の後半のみ。後の二箇所は使用していない)は正字化した。太字は同前。
孝子實傳
――室生犀星に――
ちゝのみの父を負ふもの、
ひとのみの肉と骨とを負ふもの、
あゝ、なんぢの精氣をもて、
この師走中旬(なかば)を超え、
ゆくゆく靈魚を獲んとはするか、
みよ水底にひそめるものら、
その瞳はひらかれ、
そのうろこは凍り、
しきりに靈德の孝子を待てるにより、
きみはゆくゆく淚をながし、
そのあつき氷を蹈み、
そのあつき氷を喰み、
そのあつき氷をやぶらんとして、
いたみ切齒(はがみ)なし、
ゆくゆくちゝのみの骨を負へるもの、
光る銀絲の魚を抱きて合掌し、
夜あけんとする故鄕に、
あらゆるものを血まみれとする。
――十一月作――
しかし、同全集は、注記で、『十六行目の銀絲は、殘っている自筆原稿に』『「銀綠」』とある旨の記載がある。煩を厭わず、それを修正したものを以下に掲げておく。
孝子實傳
――室生犀星に――
ちゝのみの父を負ふもの、
ひとのみの肉と骨とを負ふもの、
あゝ、なんぢの精氣をもて、
この師走中旬(なかば)を超え、
ゆくゆく靈魚を獲んとはするか、
みよ水底にひそめるものら、
その瞳はひらかれ、
そのいろこは凍り、
しきりに靈德の孝子を待てるにより、
きみはゆくゆく淚をながし、
そのあつき氷を蹈み、
そのあつき氷を喰み、
そのあつき氷をやぶらんとして、
いたみ切齒(はがみ)なし、
ゆくゆくちゝのみの骨を負へるもの、
光る銀綠の魚を抱きて合掌し、
夜あけんとする故鄕に、
あらゆるものを血まみれとする。
――十一月作――
「いろこ」が「うろこ」になっているのが不審ではあるが、これは小学館版編者の消毒と考えてよく、初出誌からの採録と考えられる。
なお、同全集の「未發表詩篇」に同全集が、ただ一言、『別稿にもとづき附した』として、その別稿を示していないという呆れた注記(恐らくは、この注で次に示す草稿を指す)で、「室生犀星に ――十月十八日、某所にて――」と勝手に題名を記した以下の詩篇が草稿と考えられるので、以下に示す。誤字・歴史的仮名遣の誤りはママ。ここでは、題名はなしで、無題扱いとする。実は二〇一三年に、一回、これは電子化しているが、正字表記が不全であるので(エディタ編集で公開しために全体の改稿が容易でないので修正は諦めた)、新たに零から起こした。
*
○
ああ遠き室生犀星よ
ちかまにありてもさびしきものを
親肉身をこえてしんじつなる我の兄
しんじつなる我の兄
君はいんらんの賤民貴族
魚と人との私生兒
人間どもの玉座より
われつねに合掌し
いまも尙きのふの如く日々に十錢の酒代をあたふ
遠きにあればいやさらに
戀着せち日々になみだを流す
淚を流す東京麻布の午後の高臺
かがふる怒りをいたはりたまふえらんだの椅子に泣きもたれ
この遠き天景の魚鳥をこえ
狂氣の如くおん身のうへに愛着す
ああわれ都におとづれて
かくしら痴禺とはなりはてしか
わが身をくゐて流涕す
いちねん光る松のうら葉に
うすきみどりのいろ香をとぎ
淚ながれてはてもなし
ひとみをあげてみわたせば
めぐるみ空に雀なき
犀星のくびとびめぐり
めぐるみ空に雀なき
犀星のくびとぶとびめぐり
淚とゞむる由もなき
淚とゞむる由もなき。
*
同全集校訂本文では「人間どもの玉座より」を「人間どもの玉座なり」(初版への差し込みで修正している。以下の草稿参照)、「かがふる」は「たかぶる」、「痴禺」は「痴愚」としている。
また、『草稿詩篇「未發表詩篇」』に、「室生犀星に」と標題する『(本篇原稿二種二枚)』(初版は『一枚』とするが、後の投げ込みで訂正している)とある、本詩篇の現存するプロト・タイプの原原稿が存在する。以下に示す。誤字・歴史的仮名遣の誤りは総てママ。「□□」は底本の判読不能字。
*
遠き室生犀星におくる
―― とある日 午後の 詠嘆 ――
――ある日ある日にはかにふと哀しくなりて――
十月十八日巡禮詩社にて
――十月十八日、巡禮詩社某所にて――
友よ
許してくれ
ああ遠き室生犀星よ
にくしんをこゆて
誠實なるわれの兄
その きみは 人魚 三體の瞳
君こそはいんらんの賤民貴族
君は魚と人との私生兄
雀人間のどもの玉座なり
われいねに合掌し
[やぶちゃん注:底本編者は「いねに」は「つねに」の誤字とする。]
いまもきのふのごとく君日々に葉十錢の酒代をあたふ
遠きにあればいやさらに
戀着せるに淚をながす
淚を流す東京麻布の午後のヹランダ高臺に
たかぶる怒りをい□□りたはりたまふ
やさしくはぐゝむおんあいえらんだの椅子
に泣きもたれ
齒光りこの遠き天景の魚鳥をこゑ
愛はつゝましく人と 兄 兄と母とを禮拜す狂氣のごとくおん身のうへを禮拜す
ああきわれ都にきたりにおとづれて
かくしも痴禺とはなりはてしか
このみよやいちねん光る笹の葉うらに
松のうすきみどりばのいろ香をとぎ
わが身をくいて流涕す
空氣のうへに 火の見をこゑ空めぐるみ空はに雀なき
犀星のくびとびあがり
めぐるみ空に雀なき
犀星のくびはわれを呼ぶとびめぐり
ああ手をもて顔を蓋へども
涙とゞむるよしもなき、涙とゞむるよしもなき
ああわれ都にいできたり
かくも痴禺とはなりはてしか
兄よしんじつ我れをば許せかし
ああ戀しきわが兄上犀星よ
兄 淚をながす 椅 ヹランダの
おん念一路の椅子のうヘ
もろ手を顔に押しあてゝ泣けるなり
きみ
懺悔無量のわがこゝろ
聲をしのびて
けふ は も 半は 泣 きける泣 けるなり、
聲をしぬびて泣けるなり、
*
なお、他に筑摩版全集の『草稿詩篇「拾遺詩篇」』に、以上とはまた別物である「孝子實傳」の草稿として以下の草稿一篇が載る。
*
孝子傳の第一人
(犀星ニ)
はるかに來り
われひとの父を負ふもの
肉と骨を負ふもの
我と汝の精氣をもて
ああこの師走なかばをこえ
氷をわり魚をえんとはするか
ゆくゆく氷魚を獲んとはするか
氷をわりふみ、氷をわり、
肉 血 み にまみれ
いたみはがみなし
ひとの子の父を負ふものら
手にかたく銀綠の魚を抱きて
みよ二人長き道路に血まみれとなる座し
その光る手は血まみれとなる、
*
以上には編者注があり、『この』草稿『詩は四百字詰原稿用紙の右下に書かれているが、左上部にはペン畫の落書と「女の足の詩人/ブツチヤギン/プーシキン」「ひとの父を」の文字がある。また右上部には、次の四行がある。』として、
*
師走をすぎ
いのりはわれの上肩にあるものあり
透靑木々のもみぢば立をすぎて
木々のもみぢば木ぬれをそめ
*
とある。この「女の足の詩人/ブツチヤギン/プーシキン」というのは、サイト「RUSSIA BEYOND 」日本語版の、アレクサンドラ・グゼワ氏の記事「女性たちは国民詩人プーシキンをいかにインスパイアしたか?」に、流刑後に出逢ったマリア・ラエフスカヤ(ナポレオン戦争の英雄でプーシキンを庇護したニコライ・ラエフスキー将軍の令嬢。「エフゲニー・オネーギン」のヒロインであるタチアナ・ラーリナのモデルになったともされる)に『熱を上げ、彼女に叙事詩『ポルタワ』を捧げたという説もあ』り、『プーシキンは、若き日の海岸での恋の戯れについて思い出しながら、『エフゲニー・オネーギン』のなかで、「彼女の足に接吻する波をうらやむ」と書いたのだ、という』とあって、
《引用開始》
私はなんと波をうらやんだことか、
それらは次々に駆け寄っては、
愛し気に彼女の足元に寝転ぶ!
私はなんとその時、波といっしょに
可愛い足に接吻したかったことか!
《引用終了》
という詩篇が載っている。これを指すか。]
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