「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第一(「愛憐詩篇」時代)」 郊外
郊 外
かしこに煙の流るる
空はつめたくして
草はあたたかに萠えたり
手はくみて步めども
よそゆきの着物のにほひ佗しきに
秋はうららに落きたり
日南に樹木の愁ひちらばふ
晝餉どき
停車場のほとりに出で
わづかなる水をたうべしに
工人の居て
遠き麥畑を指させり。
[やぶちゃん注:「晝餉どき」は「ひるげどき」であろう。底本の「詩作品年譜」に制作年月日として大正二(一九一三)年九月二十四日をクレジットする。初出は大正二年十一月号『創作』。以下に初出形を示す。
郊外
かしこに煙の流るる
空はつめたくして
草はあたたかに萠えたり
手はくみて步めども
よそゆきの着物のにほひ佗しきに
秋はうらゝに落ち來り
日南に幹木の愁ちらばふ
晝餉どき
停車場のほとりに出でゝ
わづかなる水をたうべしに
工人の居て
遠き麥畑を指させり
(一九一三、九二四)
「九二四」はママ。初期形の「習作集第九巻」の「郊外」を以下に示す。
郊外
かしこに煙のながるゝ
空はつめたくして
草はあたゝかに燃えたり
手はくみて步めども
よそいきのきものゝにほひ佗しきに
秋はうらゝに落ち來り
日南に樹木の愁ちらばふ
晝餉どき
停車場のほとりに出で
わづかなる水をたうべしに
工人の居て
遠き麥畑を指させり
筑摩版全集では注記して、『七行目の「幹木」は未詳』とし、『題名の右下にSSと書かれている』(初出誌『創作』を指す)とある。これによって、底本の「樹木」は編者による改変であることが判る。
さて、確かに、「幹木」という熟語は見慣れない熟語ではある。しかし、それを「樹木」とする底本は根拠に欠くと言わざるを得ない。
寧ろ、「灌木」の誤字(萩原朔太郎はかなり噓字を多用する)とする方が遙かに腑に落ちるし、また、外に、種としての「肝木(かんぼく)」マツムシソウ目レンプクソウ科ガマズミ属セイヨウカンボク変種カンボク Viburnum opulus var. sargentii が存在する。当該ウィキその他によれば(引用符内はウィキのもの)、同種は北海道及び本州の中部地方以北に分布する落葉広葉樹の小高木で、樹高は二メートルから七、八メートルほどになる。樹皮は暗灰褐色で厚く、成長するにつれて、『縦に割れ目が入ってくる』(不規則な剥離と表現する記載もある)。『小枝は赤褐色で』、『毛はなく、枯れた枝先がよく残っている』。『葉は枝に対生し、形は広卵形で』三『裂するのが特徴で、他の似た種との区別がしやすい。葉の先端は尖り』、『縁は全縁になる』。『花期は』五~七月につき、『白色の小さな両性花のまわりに大きな』五『枚の装飾花が縁どる。秋に赤い実をつける。冬になっても』、『赤い果実や果序の柄はよく残っている』とあり、さらに、『材は白色で香気があり、日本では』古くから『楊枝や房楊枝の材料として使われてきた』経緯があり、『また』、『枝葉を煎じた液は止血効果があるとされ、切り傷や打ち身を洗う民間薬として利用されてきた』。『「肝木」の和名は、薬用として用いられた歴史に由来するとも推定されている』とあって、朔太郎がこの木を指していないという断定も出来ない。作詩は秋であり、赤い実のそれは、本詩篇の表現によく馴染むと言うことも可能である。
また、筑摩版全集は総てに於いて、校訂本文では、「日南」を誤字と断じたらしく、「日向」に改変してしまっている。しかし、小学館「日本国語大辞典」の「ひなた」(見出し漢字表記は「日向」)を見ると、例文として尾崎紅葉の「多情多恨」が引用されており、そこには『お種と保との不断着が魚を開いたやうに日南(ヒナタ)に並べて干してある』とある。さらに俳人飯田蛇笏は、この「日南」の語が好みで、句集「靈芝」では、四句に「日南」の語を用いている(ルビはない)。私はブログ・カテゴリ「飯田蛇笏」で「靈芝」を分割で総て電子化注しているが、総てを示すと、「明治四十年(十句)」(ここの注で「ひなた」と訓じていると私は判断したので読まれたい)・「昭和六年(四十一句) Ⅱ」・「昭和七年(七十二句) Ⅷ」・「昭和九年(百七句) Ⅻ」である。これらから、「日南」を「日向」の誤字と考えることは無理であると断言出来るのである。]
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