「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 巡禮紀行 / 附・草稿詩篇
巡 禮 紀 行
きびしく凍りて
指ちぎれむとすれども
杖は絕頂(いただき)にするどく光る
七重の氷雪
山路ふかみ
わがともがらは一列に
いためる山峽(はざま)たどる。
しだいに四方(よも)を眺むれば
遠き地平を超え
黑き眞冬を超えて叫びせんりつす
ああ聖地靈感の狼ら
かなしみ切齒(はがみ)なし
にくしんを硏ぎてもとむるものを
息絕えんとしてかつはしる。
疾走(はし)れるものを見るなかれ
いまともがらは一列に
手に手に銀の鈴鳴りて
雪ふる空に鳥を薰じ
涙ぐましき夕餐(ゆふげ)とはなる。
[やぶちゃん注:底本では大正三(一九一四)年十月とし、初出は翌大正四年一月発行の『異端』とする。筑摩版全集でも同じく同誌の一月号とする。初出を以下に示す。標題の「順禮」も含めて誤字・誤植と思われるものは総てママ。
順禮紀行
きびしく凍りて、
指ちぎれむとすれども、
杖は絕頂(いただき)にするどく光る、
七重の氷雪、
山路ふかみ、
わがともがらは一列に、
いためる心山峽(はざま)たどる。
しだいに四力(よも)を眺むれば、
遠き地平を超え、
黑き眞冬を超えて叫びしんりつす、
あゝ聖地靈感の狼ら、
かなしみ切齒(はがみ)なし、
にくしんを硏ぎてもとむるものを、
息絕えんとしてかつはしる。
疾走(はし)れるものを見るなかれ、
いまともがらは一列に、
手に手に銀の鈴鳴りて、
雪ふる空に鳥を薰じ、
涙ぐましき夕餐(ゆふげ)とはなる。
――一九一四、一〇――
これには、編者注があって、『十七行目は「鈴なりて」「鈴ふりて」の兩樣に記した草稿がある』としつつ、『他の草稿も勘案して』校訂本文は『「鈴ふりて」と訂した』とあった。そこで、筑摩版全集の『草稿詩篇「拾遺詩篇」』にある、「巡禮紀行(本篇原稿三種五枚)」を以下に電子化する。歴史的仮名遣の誤りや「×」はママ。□は底本の判読不能字。
聖地巡禮紀行
きびしく凍りて
指ちぎれんとすはすれども
わが杖はいたゞきにするどく光る
七重の氷雪
山路ふかみ
わがともがらは一列に
いためる心一途をはざまをはしるたどる。
ああともがらはいたゞきにとほく
しだい
よもをながむれば
わがともがらはいたゞきに
しだいによもをながむれば
地平をこえに×
みよみよいま地平その牙をとぎふくみ
やぶ 朧齒がみ鳴らし
×疾くきたれるものは狼なり行しきたるものは
餓えし狼ら
いのり哀しみ
黑き眞冬をこえてひとびとさけびしんりつ震慄す、
地平にあらはれ
にくしんをやぶり硏ぎて來れるものを
靈感至烈の飢狼ら畜類ら
息絕えんとしてかつはしる
ひとああわがともがらはいたゞきに
ああわが手に銀の杖鳴りて→を鳴らし ふり鳴りて
雪ふる空に淚 魚鳥を薰ずじ
淚ぐましき一念をもて
眞冬をこゑて
ひそかに十字をきりあ げ ぐる、
光る氷を かみ 喰みくだく
一念無想の瞳をとづる
飢えもこゞゑも しだい ひそかにかたる
いま 名殘の瞳をとづる、
淚ひそかに十字をきりむすびしつつ
いまはや
淚ぐましき夕餐とはなる。
聖地巡禮
巡禮紀行
きびしく凍りて
指ちぎれんとすれども
板杖はいただきにするどく光る
七重の氷雪
山路ふかみ
わがともがらは一列に
いためる心、山路はざまたどる。
あ みよ、疾行しきたるものは飢えし狼
しだいによもを望むれば
遠き地平をこゑ
疾行し黑き具冬をこえてさけび□震りつす
地平 ああ靈 智 感の 北光 極光を
ああ□靈惑智の狼ら微光飢慾の狼
至烈
みよ北 極地聖地靈感の狼
[やぶちゃん注:以上の「ああ」及び「みよ」の二行は「至烈」の下方に並置。]
いの 哀しみ哀しみはがみなし
飢えかつえ
にくしんの金屬をもとめて疾行しを硏ぎてもとむるものを
息絕えんとしてかつはしる、
ああ、→みよ わがみよともがらはいたゞきに
みよやわが手に銀の枝鳴りわたりて
空雪ふる空に鳥を薰じ
淚ぐましき夕餐とはなる、
以上から、私は底本は初出だけではなく、草稿をも参考したのではないかと思う。それが強く疑われるのが、七行目の「いためる山峽(はざま)たどる。」で、これは初出も「いためる心山峽(はざま)たどる。」である。されば、これは小学館の編集者は草稿二種をも参考にした際、「心」が孰れも下方の削除部分に含まれると判断した結果ではあるまいかと思うのである。しかも、この「心」の除去は必ずしも詩篇を意味不明のものにするよりも、一見、前の「わがともがらは一列に/いためる山峽(はざま)たどる。」と、意味上の躓きを齎さないかのように読めてしまうからである。しかし、「心」がないと「いためる」は「損(いた)める山峽(はざま)」ということになり、「ともがら」の心境を、少なくとも直には示さない点で(但し、暗示的感知は可能である)、やはり「心」は必要である。]
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