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2021/10/08

曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 鍾馗

 

[やぶちゃん注:甚だ読み難いので、あまり真剣には判断せず、それっぽいところで段落を成形して、ブツ切りにした。漢字を捜すのに時間がかかり、しかも何となく不審に思って途中で原本に当たってみたりして、本文電子化だけで二時間近くかかり、甚だ疲弊して厭になったので、本文電子化だけでやめにする。無論、漢籍の引用が多く、私には不明な箇所も多々あるが、ともかく、この一条に関しては、食指も動かず、イヤになったのだから、仕方がない。悪しからず。そもそもが、始動時に私ははっきりと言っている。『全篇は長いので、例の如く、私の神経症的な注を附していると、転生しても終わらないだろうからして、原則、私がどうにも意味が分からず、躓いて動けなくなった箇所にのみ限定して附すこととする』と。それを初めて実行に移しただけのことである。一部の原本影印のリンクだけでも私はやった甲斐があったと思っている。なお、「鍾馗」については、私の電子化注では一番古いもので、「耳嚢 巻之十 滑稽才士の事」、一番新しいもので、『小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (13ー2) 「摸稜案」に書かれた女性の犯罪心理 二』に、ちょっぴり注してある。]

 

戌 月 兎 園         輪  池

   ○鍾 馗

 鍾馗を辯ぜし書、「升菴文集」七・「脩類草木日知錄」・「通雅」・「正字通」等、皆人の知る所なり。淸の逍翼が「陔餘叢考」に至りて、詳悉せり。その要を取りて、こゝに記す。

 六朝古碣に、「鍾馗」二字あり。「是、唐人にあらず。」といへり。

 「北史」、魏、『堯喧、本名、鍾葵。字、辟邪【「湧幢小品」に、「鍾」を「終」に作る。】。』。

 おもふに、「葵」字、傳へ訛る。提鬼之說、こゝにおこれり、といふ。

 其餘、

『宗慤妹、名鍾葵。』【沈括が「筆談」には、「葵」を「馗」に作る。】。

『魏文帝時、揚鍾葵、又張袞之孫。白澤、本名、鍾葵、于勁亦字鍾葵。』。

『孝文時、頓邱五、李鐘葵。』【「正字通」には、「馗」に作る。然れども、喬鍾葵の類、悉皆、「馗」に作りたれば、信じがたし。】。

『北齊武成時、官右宮、鍾葵。』。

『後主緯時、慕容鍾葵。』。

『隋煬時、喬鍾葵。』。

『隋宗室處絹之父、名鍾葵。』。

 又、別に、殷鐘葵あり。唐の時、「王武後、有將、張鍾葵。」など、かぞへたてたれども、「六朝古碣」と「沈括筆談」二・鍾馗の外は、みな、「葵」の字を書きたれば、おのづから、別なるが如し。

 さて、「天中記」、「唐逸史」を引きたる、明望の夢に入りし終南山の進士鍾馗の外、唐に張鍾馗といふ有り、

『龍飾淨土文言、唐張鍾馗殺雞爲ㇾ縈。忽見一人緋衣驅群雞來叫云、啄々四畔上啄兩目。流血受大痛苦。』

と、みゆ。

 これ、「王武後が將」とは、おのづから、別人にて、賤民とみえたり。

 さらば、まさしく「馗」の字を書きたる、六朝以來、四人なれども、淨土文のごとき人も、しらざる賤民に、同名有る時は、猶、幾人も有るべきなり。

 然るに、多く、鍾馗は、名か、字なるを、進士のみ、鍾は姓、馗は名なるべし。たゞ、これを異なりとす。

 要するに、「六朝に、鍾馗ある。」と、きく。「唐に、はじまるに、あらず。」といひ、「張說が畫、鍾馗を□[やぶちゃん注:底本の判読不能字。]する表、開元に先立ちて有り。」と、いひて、鍾馗、夢に入る事を、疑ふ。

 又、「唐逸史」、世に傳はらざれば、諸儒、疑ひて、妄誕とす。

 按ずるに、宋の郭若虛が「圖畫見問志」【「佩文畫譜」に引く。】に、

『吳道子畫。鍾馗衣藍衫。鞹一足。眇一目。腰笏[やぶちゃん注:底本は「笥」だが、「中國哲學書電子化計劃」の原本影印本の当該部で視認して特異的に訂した。]巾首而蓬髪以左手捉ㇾ鬼。以右手 [やぶちゃん注:底本は「扶」であるが、同前で訂した。]其鬼。自筆跡遒勁。實繪事之絕格也。』

とみえ、「正字通」に、

『宋禁中舊有吳道子。所ㇾ畫鍾馗。卷首唐人題云、「明皇開元講武驪山還宮上不懌[やぶちゃん注:底本は「忄」+「畢」であるが、「中國哲學書電子化計劃」の「正字通」の影印本の当該部の視認した感じ、及び、中文サイトの「古今文字集成」の「馗」にある当該部の電子化から、これを採用した。]痁佐夢大鬼。」。』。

 「制」に、『鬼命吳道子畫之。』など、みえたれば、明皇、吳道子に畫かせられし事は、實なり。又、土上老君、明皇の夢に入りて、眞容の所在を告げしかば、「夢眞容勅」を碑に建てられしも、開元中の事なれば、邊士の夢に入りし、類推して、しるべし。

[やぶちゃん注:以下、「有るべし。」まで、底本では全体が一字下げ。]

 「終葵」、「鍾馗」、同、音通とはいへども、「終葵」と名付けしは、「搥」の義を用ひ、「鍾葵」と名付けしは、「鍾」は「祭器」の義、「葵」は「百菜の長」といふ義を用ひしも、しるべからず。「大鍾」を姓となさば、「馗」は「九逵」の義にても有るべし。

 然るを、拐顧散人、幽明に通ずる事、あたはずして、たゞ目前の端直をいふにより、夢の跡を破して、鍾馗をも『「槌」の義なり』とす。實に然るべきや、予は荷擔しがたし、といふ。

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