「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 蝕金光路 / 附・別稿その他(幻しの「東京遊行詩篇」について)
蝕 金 光 路
―エレナに與ふ―
かくしもわが身のおとろへきたり
肉身を超えて涅槃に入るか
その空さへも靑らみ
しだいに北極圈の光さしぐむ
げにかかる日の街街(まちまち)の
都をいづれにわが行くとても
往來 氷雪の峯ながれ
花鳥を薰ずる天上の
よのつねならぬ夕げしき
夕げしき
ああ われ都に疾患し
いためるまでもきみ戀ひ戀ひて
ひとりしきたり紙製の菊を摘まむと
銀座四丁目 BAZAARの窓をすぎがてに
けふの哀しき酒亂を超え
すさまじき接吻をおくりなむ
冬ならなくに金のゆきふる。
―東京遊行詩篇四―
[やぶちゃん注:底本では大正三(一九一四)年十月作とし、『遺稿』とある。「BAZAAR」(意味は観工場(かんこうば)で既注)は縦書。筑摩版全集では、「未發表詩篇」に以下のように載る。
蝕金光路
かくしもわが身のおとろへきたり、
肉身をを超えて涅槃に入るか、
その空さへも靑らみ、
しだいに北極圈の光さしぐむ、
げにかかる日の街街(まちまち)の、
都をいづれにわが行くとても、
往來、水氷雪の峯ながれ、
花鳥を薰ずる天上の、
よのつねならぬ夕げしき、
夕げしき、
ああ、われ都に疾患し、
いためるまでもきみ戀ひ戀ひて、
ひとりしきたり紙製の菊を摘まむと、
銀座四丁目、BAZAARの窓をすぎがてに、
けふの哀しき酒亂を超え、
すさまじき接吻をおくりなむ、
冬ならなくに金のゆきふる。
――東京遊行詩扁、四――
「扁」はママ。全集編者注があり、『「習作集第九卷」の無題詩(かくしも我が身のおとろへ來り)の別稿』とある。以下にそれを示す。
○
かくしも我が身のおとろへ來り
肉身を超えて涅槃に入るか
その空さへも靑らみ
しだいに北極圈の光さしぐむ
げにかゝる日の街々の
都をいづれに我が行くとても
往來氷雪の峯ながれ
花鳥を薰ずる天上の
よのつねならぬ夕げしき
夕げしき
ああわれ都に疾患し
いためるまでも君戀ひ戀ひて
ひとりし來たり紙製の菊をつまむと
銀座四丁目BAZAARの窓をすぎがてに
けふの哀しき酒亂を超え
すさまじき接吻をおくりなむ
冬ならなくに金の雪ふる、
とある。
ところが、前の「未發表詩篇」の「蝕金光路」の直前に並んでいるためか、同全集編者が注記をしていないのであるが(たとえ最初は通して読んだとしても、検索する際には見落とす者もおり(私がそうである)、甚だ不親切と私は思う)、実はそこの「晩景 ――エレナに與ふ」という詩篇が載っており、これはこの「蝕金光路」の草稿であることは疑いないのである。以下に示す。脱字・読点の欠損などは総てママ。
晩景
――エレナに與ふ――
靑らみしだいに、
北極圈の光を感ず、
東京市中いづこを行くも、
街頭 氷ながれ、 を氷山のながれをはざまに鳥嗚も
都をいづれ都をいづれわが行くも
往來往來、都に氷山のながれ峯光り
その またいただきに花鳥のけはひを薰ずる夕げしき
金の粉雪(こなゆき)さんさんたり、
さめざめとふる金の雪
[やぶちゃん注:以上の二行は並置残存。]
ああ、かくてしもわが身のおとろへ、
肉身をこえて涅槃に入るか、
まづ けふいと遠くよりわがれの手をのべ、
ひとへに愛人の乳房をまさぐる、
しんじつひとへに君におよぶのゆふまぐれ、
┃このこの浅草に紙製の菊をつみ、
┃いまいま哀しき十月をこえて、
[やぶちゃん注:「┃」は底本では繋がっている。二行が並置残存であることを示す編者の附したもの。以下も同じ。]
紙製
┃ひとしきたり の菊をつまむと
┃ 早咲
┃銀座四丁目觀工場の窓をこえよりすぎて
[やぶちゃん注:以上の二行(中途の二字熟語の並置を含む)は並置残存。]
はげしきすさまじき接吻をおくらむ、
われらの指凍る。
――東京遊行詩扁、四――
(東京遊行詩扁一、二、三の三扁は十二月地上巡禮十二月號にあり、)
最後の注記は萩原朔太郎自身の覚え書きであるのだが、どうもおかしい。調べて見ても、『地上巡禮』の発表詩篇に「東京遊行詩篇」の当該番号の詩篇は見当たらないからである。困って、いろいろ調べてみたところが、渡辺和靖氏の論文『萩原朔太郎「東京遊行詩篇」考』(『愛知教育大学研究報告 人文・社会科学編』二〇〇五年三月発行。「愛知教育大学学術情報リポジトリ AUE Repository」のこちらでPDFでダウン・ロード出来る)で疑問が氷解した。渡辺氏に考証によれば、この朔太郎の覚書は誤りで、『地上巡禮』は『詩歌』の誤りであると断じておられ(コンマは読点に代えた)、『これは朔太郎が送稿後、まだ雑誌が刊行される前の段階で記憶が不確かなまま、「十二月」と書き、さらにう』ろ『覚えで、「地上巡礼十二月号」』(実際には両作ともに大正四年一月号初出である)『と書き改めたものと考えられる。いずれにしろ「遠景」が「東京遊行詩篇 一」であり、「狼」が「東京遊行詩篇 二」であることは疑いないだろう。そして「東京遊行詩篇 三」とは、おそらく、その付記は見られないが、「遠景」「狼」と同時に『詩歌』1915年1月号に掲載された、末尾に「――十一月作――」の日付のある「孝子実伝――室生犀星に――」であると推定される』とあって、目から鱗なのであった。
なお、この詩篇の草稿が同全集の『草稿詩篇「未發表詩篇」』に載る。以下に示す。誤字・歴史的仮名遣の誤りは総てママである。
*
晩景
――エレナに送る――
靑らみしだいに、
北北極圈の光を感ず薰ず
ここのいづこを行くも
街頭、氷ながれ
金のこなゆきさんさんたり
ああ、かくてわが身の涅おとろへ
肉身をこえて涅槃を感ずに入るか
遠くまづわが手をのべ
えれひとへに愛人の乳をまさぐる
いのりいつしんにしんぢつきみよきたれの祀願におよぶの夕まぐれ
この遠き東京に菊をつみ
いま哀しき十月をこゑて
はげしき切吻をおくらむ
われらの指こほる
*
なお、この「遠景」は詩集「月に吠える」に「かなしい遠景」と収録されているものであり(私のブログの『萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 かなしい遠景』参照)、「狼」は詩集「蝶を夢む」の冒頭に配されたもの、「孝子実伝――室生犀星に――」は本底本で『「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 孝子實傳――室生犀星に―― / 附・原草稿』で電子化注済みである。「狼」のみ私は電子化していないが、渡辺氏の論文のなかで示されているので、そちらを見られたい。同論文は幻しの萩原朔太郎の「東京遊行詩篇」シリーズの創作過程と発展的消滅を語って余すところがない、必見の論文である。
さらに調べると、筑摩版全集の『草稿詩篇「未發表詩篇」』に、同一の二行断片(全集では『蝕金光路 (本篇原稿二種三枚)』としつつ、ただ以下の二行を掲げる(再度言うが、ここで全集が「二種」というのは校訂本文で採用して決定稿と勝手に判断した上記の稿を含めての意である)。
*
いためるまでも君戀ひ戀ひて、
ひとりし來たり紙製の菊を摘まむと、
*
まあ、さても、本篇もまた、永遠のファム・ファータル「エレナ」詩篇の一つである。]
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