「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 遍路道心 / 現在知られた「習作集第九卷(愛憐詩篇ノート)」の「遍路道心」とは別原稿と推定される
遍 路 道 心
きのふにかはるわれの身のうヘ
ゆびはゆびとて十字をきりし
手にも香華(かうげ)はおもたくしをれ
いちねん供養の山路をたどる
ああ道心の秋の山みち
こほろぎの死は銀を生み
つめたく岩魚(いはな)はしりて
遠見(とほみ)に瀧みづのすだれを掛く。
この山路ふかみ
日のぼるれども光を知らず
いちねん供養の坂みちに
われただひとり靑らみて
絕え入るまでも目を閉づる。
絕え入るまでも目を閉づる。
[やぶちゃん注:底本では制作年を大正三(一九一四)年九月九日と限定し、『遺稿』とする。筑摩版全集では、「習作集第九卷(愛憐詩篇ノート)」の中に、同義題名と判断出来る非常によく似た一篇を見出せる。以下に示す。誤字・歴史的仮名遣の誤りはママ。
偏路道路心
いかなればこそ
きのふにかわる我の身のうヘ
ゆびはゆびとて十字をきりし
手にも香華は重たくしほれ
いちねん供養の山路たどる
ああ道心の秋の山路
こほろぎの死は銀を生み
つめたく岩魚はしりて
遠見に瀧水のすだれを懸く
この山路ふかみ
日のぼるれども光を知らず
いちねん供養の坂路に
われたゞ一人靑らみて
絕え入るまでも瞳をとづる
絕え入るまでも瞳をとづる。
しかし、これ、比較して見ると、細かな部分で表記の異同が異様に多い。誤字・歴史的仮名遣・踊り字は補正(三ヶ所ある)としても、尋常ではなく、神経症的に、ある、のである。以下の前の頭の数字は削除を含めた上記のノート版の行数を指し、後者は本篇のそれである。
3「きりし」→2「切りし」
4「重たく」→3「おもたく」
5「山路たどる」→4「山路をたどる」
6「山路」→5「山みち」
8「岩魚」《ルビなし》→7「岩魚(いはな)」《ルビあり》
9「瀧水」→8「瀧みづ」
9「懸く」→8「掛く。」《漢字の相違と句点の有無》
12「坂路」→11「坂道みち」
13「一人」→12「ひとり」
14「瞳」→13「目」
14「とづる」→13「閉づる。」《漢字の相違と句点の有無》
15「瞳」→14「目」
14「とづる。」→13「閉づる。」
もある(十三箇所で、先の補正箇所を含めると、実に十六箇所にも及ぶ)。これは、いっかな、いい加減な編集者でもやらかしようのないものであり、本篇は現在知られている「習作集第九卷(愛憐詩篇ノート)」と同じものを起こしたものとは、到底、思えない代物であるのである(なお、筑摩書房版全集では、校訂本文で「日のぼるれども光を知らず」を「日のぼれども光を知らず」と消毒している)。これは、今は失われた別な草稿によるものと考えるのが自然である。]
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