曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 鶴の稻 供大人米考
○鶴の稻 輪 池
この稻は、十數年前に奧州白河領に、鶴のくはへ來て、おとしゝ稻穗なり。これをうゑて、種、とりて、こゝにも、つたはりしを、淺草、關氏の園中に、うゑて、みのりしなり。穗の長さ九寸ばかり、粟粒、凡、八十五、六、七。粒の長さ三分五厘、廣さ一分二厘ほどあり。或人の、「もち米なり。」といひしほどに、やがて、ねり、試みしが、至りて、淡味なり。「これは、朝鮮の種なるべし。」と、いひあへり。
平田篤胤曰、「藁、よはくて、用に堪へざれば、異國の產なる事、明かなり。」と、いへり。西敎寺曰、「鶴は、朝鮮より、わたる、と聞き及べり。さて、かくばかり大粒なる米をみし事は、あらず。もしは、「慈恩傳」にみえし『大人米』なるべきか。」と、いへり。按ずるに、「慈恩傳」にも、『大人米は、烏豆より、大なり。』と、みえたれば、いかゞあらん。高田與淸曰、「駿河國に『米官』といふあり。『いにしへ、異國より渡りし。』とて、烏喰豆よりも、大なる米を、神體とせり。これ、『大人米』なるべし。」と、いへり。
[やぶちゃん注:「西敎寺」不詳。
「慈恩傳」「大慈恩寺三藏法師傳」。唐の釋慧立撰になる玄奘三蔵の伝記。
「大人米」以下の「大唐西域記」に出る「摩揭陀國」(マガダ国:紀元前四一三年から紀元前三九五年に、ガンジス川下流域(現在のビハール州附近と北ベンガル相当)に位置した国で、古代インドにおける十六大国の一つ。ナンダ朝のもとでガンジス川流域の諸王国を平定し、マウリヤ朝のもとでインド初の統一帝国を築いた。王都はパータリプトラ(現在のパトナ))に於いて、上流階級が食し、僧侶らに特別に与えられた高級な米の一種らしい。後に出る「獨供國王及多聞大德。故號供大人米。」(獨り、國王及び多聞(たもん)・大德(だいとこ)に供さる。故に號づけて「供大人米(きやうだいじんまい)」といふ。)や「王及知法者預焉。」(王及び法(ほふ)を知れる者のみ預れり。)がその証左である。日本語で詳しく記されたデータに行きあうことが出来なかったのでそれ以上は判らない。悪しからず。
「高田與淸」(ともきよ 天明三(一七八三)年~弘化四(一八四七)年)は国学者。本姓は小山田。後に高田家の養子となった。漢学を古屋昔陽に、国学を村田春海に学んだ。考証学に通じた蔵書家として知られ、「群書捜索目録」を編纂した他、知られた考証随筆である「松屋筆記」や、「擁書漫筆」・「十六夜日記残月鈔」などの著作がある。
「米官」これは「米宮」(よねのみや)の誤り。現在の静岡県富士市にある米之宮浅間神社(よねのみやせんげんじんじゃ)のこと。当該ウィキによれば、『旧社司錦織氏の古記録によると、天武天皇の白鳳四年に勅使である大江長元がこの地を訪れ、祭祀を行ったことから始まるという』。『往古は』一寸八分(五・四センチメートル)の『米粒を御神体とした万民に米食の服田を与え恵み給う神として「米之宮」を称し、大同年間』(八〇六年~八〇九年)『に噴火した富士山を鎮めるため、山霊の木花開耶姫命を勧請して浅間神社になったという』。『また』、『江戸後期の「駿河国新風土記」では、祭神を「駿河国神名帳」に列する正三位浅間第八御子神、浅間第十八御子神に比定しており、「八」と「十八」を合せると「米」になることから「米之宮」と称されるようになったと記載されている』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「烏豆」「烏喰豆」この二種の表記から一番親和性があるのは大豆(マメ目マメ科マメ亜科ダイズ属ダイズ Glycine max )の品種の一種で、豆の外皮が黒いものである。「がんくいまめ」で、「雁喰豆」の表記もある。]
○供大人米考
「西域記」八初曰、『摩揭陀國周五千餘里。城少居人。邑多編戶。地沃壤。滋稼穡。有異稻種。其【頭書。「其」、恐「奇」誤。】粒麤大。香味殊越。光色特異。彼俗謂之供大人米。』。
「慈恩寺三藏傳」三【十三左。】、『大人米一斤。其米大於鳥豆。作飯香鮮。餘米不及。唯摩揭陀國有此秔米。餘處更無、獨供國王及多聞大德。故號供大人米。』。
「續高僧傳」四【廿右。】曰、『大人米一斤。大人米者。秔米也。大如烏豆。飯香百步。惟此國有。王及知法者預焉。
「新唐書」二百廿一上【十九左。】曰、『摩揭陀國。一曰摩伽陀。本中天竺屬國。環五千里。土沃宜稼穡。有異稻。巨粒。號供大人米。』。
[やぶちゃん注:「稼穡」(かしよく(かしょく))は穀物の植付けと取り入れ。「滋」は「うるほふ」か。
「麤」「そにして」と読んでおく。これは玄米ではなく、文字通りの「黒い米」のことであろう。
「秔米」粳米(うるちまい)のこと。]
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