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2021/10/02

曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 貞享四年官令

 

[やぶちゃん注:実際には前の「婦女產石像」とセットであるが、内容が無関係であり、前者は非常に私が惹かれたため、今回は分離した。貞享四年は一六八七年。所謂、過去に出された「生類憐れみの令」(徳川綱吉の将軍在任中に波状的に出されたもので、一つの法令ではない。宝永六(一七〇九)年一月十日に徳川綱吉は「はしか」で死去し、早くも十日後の一月二十日に「生類憐みの禁」は解かれた。詳しくはウィキの「生類憐れみの令」を参照されたい)でも、特に大事にされた犬についての幕府通達の追記である。]

 

    附 錄

 嚮に[やぶちゃん注:「さきに」。]文寶子の「犬別帳」に附けて、予がしるしおけるもの二條を「耽奇漫錄」に附錄せしに、このごろ篚底[やぶちゃん注:「ひてい」。但し、「筐底(きやうてい)」に同じ。]をさぐりて、又、一、二條を得たり。よりて、又、こゝに錄す。

[やぶちゃん注:『嚮に文寶子の「犬別帳」に附けて、予がしるしおけるもの二條を「耽奇漫錄」に附錄せし』国立国会図書館デジタルコレクションの「耽奇漫録」原本のこちらから当該部(正確には「元禄八年犬毛付帳」で「耽奇漫録」第十五集(文政八(一八二五)年六月十三日を示すクレジットが目次にある))が読める。この丁の左から後が海棠庵の附記である。頭の「一」の後は一字空けた。二行目以降は、底本では一時下げとなるが、無視した。読み難いので、触書の切れる部分に「*」を入れた。]

 

貞享四年卯四月の御達

    覺

一 捨子有之候はゞ、早速不及屆、其所の者、いたはり置、直に養候歟、又は、望の者、有之候はゞ可遣。急度可及付屆事。

一 鳥類・畜類、人に疵付候樣成儀は、只今迄の通可相屆。其外、「ともくひ」、又は、おのれと痛煩候計にては、不及屆、隨分致養生、主有之候はゞ、返可申事。

一 無主犬、頃日は食物給させ不申樣に相聞候。畢竟、食物給させ候へば、其人の犬の樣に相成、已後まで六か敷事と存、いたはり不申と相聞、不屆に候。向後、左樣に無之樣、可相心得事。

一 飼置候犬、死候はゞ、支配方へ屆候樣に相聞候。於前條無之者、向後、箇樣之屆、無用事。

一 犬計に不限、生類、人之慈悲之心を元といたし、あはれの義、肝要の事。

  卯四月

   *

元祿八年亥[やぶちゃん注:一六九五年。]十二月廿一日、御渡し捨犬の子、御吟味御書付。

    覺

小石川馬場近邊、屋代越中守組美濃部彌兵衞、門外に、去る十八日之夜、近き頃、生れ候體の白毛の子犬二疋、捨置候。此度、町中之犬共、御吟味之上、犬小屋へ被遣之候。然上は、左樣之儀、兼而有之間敷處、犬捨候段、不屆候間、急度、可被致僉議候。組支配等、有之向には、其むきむきにて致僉議、捨候もの相知候樣に可被致候。後日に、脇より相知候はゞ、可爲越度もの也。

 十二月廿一日

  乙酉八朔         海案庵謄寫

[やぶちゃん注: ウィキの「犬小屋(江戸幕府)」によれば、この『幕府が設置した犬を収容する施設』は、『「御用屋敷」「御囲(おかこい)」「御犬囲」とも呼ばれ』、『特に中野に造られた犬小屋は「中野御用御屋敷」とも呼ばれた。犬小屋に収容された犬や、村預けされた犬』『は、当時の史料・記録に「御犬(おいぬ)」と記されており、野犬か飼犬かを問わず、犬小屋に収容され』ると同時に、『幕府管理の犬となり、将軍の権威を帯びた「御犬」となった』。『犬小屋の広さは、中野は』十六『万坪、大久保がおよそ』二万五千坪、『四谷の犬小屋は』一万八千九百二十八坪七合だった、とある。以下、ウィキの「生類憐れみの令」から、捨て犬の関連の触れや事件・処分を拾っておく。

・貞享四(一六八七)年四月十一日、触れで「捨て子は届けなくてよい。望むものにあげてよい。金銭は不要。」、「鳥類・畜類を人が傷つけたら届けなさい。『とも食い』や、自ら痛みわずらう時は届けなくてよい。」、「主なき犬、居つかないように食べ物をやらないのは不届き。左様にしてはならない。」、「飼い置いた犬が死んでも、別条なければ届けなくてよい。」、「犬に限らず、生類、人々、慈悲の心を元としてあわれむことが肝要である。」と出る。

・元禄元(一六八八)年八月二十七日、留守居番与力山田伊右衛門、門外に子犬が捨ててあったのを、養わず、追放

・元禄八(一六九五)年十月二十五日、本郷菊坂(文京区)の旗本屋敷辻番八兵衛、溝に捨てられた子犬を、別の屋敷脇に捨てる。「母犬が来る所に置いた。」と弁明したが、「養わず、不届き。」と牢舎の上、十一月二十五日、浅草で斬罪獄門同僚と思われる辻番四人も追放された。

・元禄九(一六九六)年二月七日、新材木町(日本橋堀留町)の半兵衛、子犬を絞め殺し、大伝馬町の孫右衛門手代二人の名を書いて、捨て、捕まる。孫右衛門への恨みによる犯行であった。二十六日、浅草で。これはかなりあくどい刑事犯で、この処刑は腑に落ちる。

・元禄一〇(一六九七)年十月十三日、青山宿での捨て犬の件で、近藤登之介組同心二人、伊東出羽守辻番人、追放。]

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