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2021/10/11

「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第一(「愛憐詩篇」時代)」 ぎたる彈くひと 附・自筆原稿版初期形及び草稿断片

 

  ぎたる彈くひと

 

ぎたる彈く

ぎたる彈く

ひとりしおもへば

たそがれは音なくあゆみ

石造の都會

またその上を走る汽車 電車のたぐひ

それら音なくして過ぎゆくごとし

わが愛のごときも永遠の步行をやめず

ゆくもかへるも

やさしくなみだにうるみ

ひとびとの瞳は街路にとぢらる。

ああ いのちの孤獨

われより出でて徘徊し

步道に種を蒔きてゆく

種を蒔くひと

みづを撒くひと

光るしやつぽのひと そのこども

しぬびあるきのたそがれに

眼もおよばぬ東京の

いはんかたなきはるけさおぼえ

ぎたる彈く

ぎたる彈く。

 

[やぶちゃん注:初出は大正三(一九一四)年十一月号『鈴蘭』。底本の「詩作品年譜」にそう明記されてある。ところが、筑摩版全集の本篇は、校訂本文下の本来は初出形をそのままに載せる位置の末尾には、『掲載誌未入手のため、右は小學館版「萩原朔太郞全集第一卷」、昭和十八年九月刊』によった』ものが載せてある。これは今、私が使用している底本の親本であり、恐らくは、今、使用している底本は、それをコンパクトにしつつ、さらに増補した(推定)遺稿詩群の一冊として新たに出版されたものと考えられる。さて、そうすると、以上の形が、普通に考えれば、初期形ととれる(則ち、小学館版が編集された際には、雑誌『鈴蘭』の当該号が確認出来たということである)。しかし、重要な注記がまだ続き、校訂『本文の各行に付した讀點は、著者自筆原稿に從った』とあることである。されば、ここでは、謂わば、私が筑摩版全集で疑問に思っている(歴史的仮名遣誤りや、奇体な異体字・俗字・噓字及び踊り字を徹底的に正字にしたりしていること)校訂本文版が、実は初期形原稿版としてそれを採用し得るという、特異的な事態がここに発生しているのである。されば、それを――本詩篇の初期形原稿版――として、以下に示すこととする。

 

 ぎたる彈くひと

 

ぎたる彈く、

ぎたる彈く、

ひとりしおもへば、

たそがれは音なくあゆみ、

石造の都會、

またその上を走る汽車、電車のたぐひ、

それら音なくして過ぎゆくごとし、

わが愛のごときも永遠の步行をやめず、

ゆくもかへるも、

やさしくなみだにうるみ、

ひとびとの瞳は街路にとぢらる。

ああ いのちの孤獨、

われより出でて徘徊し、

步道に種を蒔きてゆく、

種を蒔くひと、

みづを撒くひと、

光るしやつぽのひと、そのこども、

しぬびあるきのたそがれに、

眼もおよばぬ東京の、

いはんかたなきはるけさおぼえ、

ぎたる彈く、

ぎたる彈く。

 

「ああ いのちの孤獨、」の感嘆詞の後に読点はないのはママである。また、筑摩版全集第三巻の『草稿詩篇「拾遺詩篇」』の中に「ぎたる彈くひと」に本篇の原稿が、

 

  

 

ぎたる彈く、

ぎたる彈く、

ひとりし想(も)へば、

たそがれは音なくあゆみ、

石造の都會、

またその上を走る汽車、電車の、たぐひ、

それら音なくして過ぎ行くごとし、

わが愛のごときも、

永遠の步行をやめず、

み空に工場の煙ながれゆきかひ、

魚肉のにほひ、

まだ知らぬ食慾をいざなふたはかれ、

ゆくもかへるも、

やさしく淚にうるみ、

ひとびとの瞳(め)は街路にとぢらる、

 

という草稿断片が載る。最後に編者注があって、『本篇には以下の原稿は殘っていない。別の一枚は冒頭五行のみの斷片である』とある。]

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