「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第一(「愛憐詩篇」時代)」 ぎたる彈くひと 附・自筆原稿版初期形及び草稿断片
ぎたる彈くひと
ぎたる彈く
ぎたる彈く
ひとりしおもへば
たそがれは音なくあゆみ
石造の都會
またその上を走る汽車 電車のたぐひ
それら音なくして過ぎゆくごとし
わが愛のごときも永遠の步行をやめず
ゆくもかへるも
やさしくなみだにうるみ
ひとびとの瞳は街路にとぢらる。
ああ いのちの孤獨
われより出でて徘徊し
步道に種を蒔きてゆく
種を蒔くひと
みづを撒くひと
光るしやつぽのひと そのこども
しぬびあるきのたそがれに
眼もおよばぬ東京の
いはんかたなきはるけさおぼえ
ぎたる彈く
ぎたる彈く。
[やぶちゃん注:初出は大正三(一九一四)年十一月号『鈴蘭』。底本の「詩作品年譜」にそう明記されてある。ところが、筑摩版全集の本篇は、校訂本文下の本来は初出形をそのままに載せる位置の末尾には、『掲載誌未入手のため、右は小學館版「萩原朔太郞全集第一卷」、昭和十八年九月刊』によった』ものが載せてある。これは今、私が使用している底本の親本であり、恐らくは、今、使用している底本は、それをコンパクトにしつつ、さらに増補した(推定)遺稿詩群の一冊として新たに出版されたものと考えられる。さて、そうすると、以上の形が、普通に考えれば、初期形ととれる(則ち、小学館版が編集された際には、雑誌『鈴蘭』の当該号が確認出来たということである)。しかし、重要な注記がまだ続き、校訂『本文の各行に付した讀點は、著者自筆原稿に從った』とあることである。されば、ここでは、謂わば、私が筑摩版全集で疑問に思っている(歴史的仮名遣誤りや、奇体な異体字・俗字・噓字及び踊り字を徹底的に正字にしたりしていること)校訂本文版が、実は初期形原稿版としてそれを採用し得るという、特異的な事態がここに発生しているのである。されば、それを――本詩篇の初期形原稿版――として、以下に示すこととする。
ぎたる彈くひと
ぎたる彈く、
ぎたる彈く、
ひとりしおもへば、
たそがれは音なくあゆみ、
石造の都會、
またその上を走る汽車、電車のたぐひ、
それら音なくして過ぎゆくごとし、
わが愛のごときも永遠の步行をやめず、
ゆくもかへるも、
やさしくなみだにうるみ、
ひとびとの瞳は街路にとぢらる。
ああ いのちの孤獨、
われより出でて徘徊し、
步道に種を蒔きてゆく、
種を蒔くひと、
みづを撒くひと、
光るしやつぽのひと、そのこども、
しぬびあるきのたそがれに、
眼もおよばぬ東京の、
いはんかたなきはるけさおぼえ、
ぎたる彈く、
ぎたる彈く。
「ああ いのちの孤獨、」の感嘆詞の後に読点はないのはママである。また、筑摩版全集第三巻の『草稿詩篇「拾遺詩篇」』の中に「ぎたる彈くひと」に本篇の原稿が、
○
ぎたる彈く、
ぎたる彈く、
ひとりし想(も)へば、
たそがれは音なくあゆみ、
石造の都會、
またその上を走る汽車、電車の、たぐひ、
それら音なくして過ぎ行くごとし、
わが愛のごときも、
永遠の步行をやめず、
み空に工場の煙ながれゆきかひ、
魚肉のにほひ、
まだ知らぬ食慾をいざなふたはかれ、
ゆくもかへるも、
やさしく淚にうるみ、
ひとびとの瞳(め)は街路にとぢらる、
という草稿断片が載る。最後に編者注があって、『本篇には以下の原稿は殘っていない。別の一枚は冒頭五行のみの斷片である』とある。]
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