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2021/10/02

曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 夷言粉挽歌

 

[やぶちゃん注:標題は「えぞことばこなひきうた」と訓じておく。古代中国の祭りの名。飲食の神に感謝する祭り。「膢日」(らうじつ)の「膢」は古代中国の祭りの名で飲食の神に感謝する祭りである(本邦の新嘗祭相当)。大修館書店「廣漢和辭典」を引いたところ、昔の中国の各地で、一年のてんでばらばらな時期にこの「膢」という祭事が行われていたことが判った。その中に、冀州(きしゅう)地方(現在の山西・遼寧・河北・北京・天津・フフホト(呼和浩特)・ウランチャブ(烏蘭察布)等七つの省市の広域相当)で、陰暦八月一日の朝に行ったものがあり、『たのも。たのみ。』とあった。この第八集の「兎園会」は海棠庵邸で八月一日に行われている。「粉引歌」は底本では二段組だが、一段で示した。歌部分は全体が二字下げであり、歌詞の和語部分は均等配置がされているが、再現していない。また、上人の号であるが(底本は『弁瑞』)、以下に示す「蝦夷地大臼善光寺」の公式サイト内でも「辯」と「辨」の二種が使用されているため、私の好きな硬質の「辯」を採用した。]

 

膢日兎園           輪   池

   ○夷言粉挽歌

蝦夷地大臼善光寺上人は、智德のほまれ高く、靈嚴寺中に旅宿ありしうちも、都下の信者、步をはこびて歸依せしに、往四の期、定めありて、こゝにて遷化あり。人々、擧りて、惜みあへり。「其、夷地に住まれし時、『粉引歌』を作りて夷人を敎化ありし。」とて、その歌をうつし贈りし友、あり。かたはらに夷言を譯しあるも、めづらしければ、うつし奉るものなりし。

   粉 引 歌

念佛上人ユホウンシンハイナ

 是や人々

タハアンウタレ

 敎を聞よ

エハカシユカス

 早い遲いか

トナシモイシカ

 一度は死ぬぞ

アリシユイライナ

 死ぬがいやなら

ライホコハナキ

 念佛申せ

ネンブウキカン

 申す人なら

キクルネヘキネ

 いつなん時に

センハラヤツカ

 假のからだの

ウヽセネトハチ

 死たるとても

ライハネヤツカ

 蟬の脫がら

ヤアキセイヘシ

 捨つるがごとく

ヲシヨウコラチ

 月も日も

チコブアフレハ

 死せざる國ヘ

シヨモライコタレ

 往て生れて

ヲマンセカトハ

 心のまゝに

ヤヱラムアユネ

 妻や小供が

エマチホホタレ

 かあいぞならば

ヲマツフハネチキ

 共に念佛

ウトラネレフツ

 申すがよいぞ

キイチキヒリカ

 此世は必ず

タレムシリカタ

 災難受けず

シヨモヤイホムシユ

 後世は分

ムシリホツハユ

 淨土に生れ

アヲラムトクテ

 一つ蓮の

シネツフユフイナ

 臺に乘て

カシケタオヽハ

 永く樂しみ

ヲホソノヌヤッネ

 死ぬことぞなし

シヨモライルネネ

右一則、檜山坦島、予におくる所なり。此上人の事を、誓願寺にとふに、「名は辯瑞、文政七年十一月頃、遷化せしを、火葬しければ、舍利、多く、出現せし。」といへり。

[やぶちゃん注:「蝦夷地大臼善光寺上人」浄土宗大臼山(おおうすざん)道場院善光寺。北海道伊達市にある。当該ウィキによれば(タイトルは「有珠善光寺」とあるが、寺の公式サイトの表記に従った)、『伝承によれば、平安時代の』天長三(八二六)年、『比叡山の僧であった円仁(慈覚大師)が胆振国有珠郡に堂宇を建て』、『自ら彫った本尊阿弥陀如来を安置したことが寺の開基とされている。室町時代、コシャマインの戦いの際に』被災し、『一時』、『荒廃した』とあり、下って、文化一四(一八一七)年、『辨瑞上人がお経をアイヌ語に翻訳して布教』とある。しかし、公式サイトの「歴史・沿革」には、文化一一(一八一四)年に当寺第三世『辨瑞(べんずい)が浄土宗の教えを分かり易く歌にしてアイヌ語に訳して説いた「念仏上人子引歌(ねんぶつしょうにんこひきうた)」(国指定重要文化財)を作り、鉦を叩き』、『踊りながら広めた。他にも念仏の利益を説いた「結縁同行蓮華講中勧化和譚(けちえんどうぎょうれんげこうちゅうかんげわだん)」(国指定重要文化財)がある。アイヌ人には』、『米などを支給して周り』、『「ネンプチカムチ」と呼ばれ親しまれた』とある。また、同じ「宝物館」のページには、まさにこの「念仏上人子引歌 版木」が写真入りで載っており、第三『世住職辯瑞がお念仏の教えを説くために詠んだ歌。アイヌ民族への布教のためにアイヌ語のルビが振ってある。鉦鈷を叩き節をつけて歌い、踊りながら布教された。これを』四『世住職辯定が版木にしたもの』で、天保参(一八三二)年製とある。

「往四の期」(わうしのき)と読んでおくが、「往四」は「住四」の誤りかも知れない。古代インドの社会的な規範を記した聖典「マヌ法典」に「四住期」(しじゅうき)という認識があり、これは人生を「学生期(がくしょうき)」・「家住期(かじゅうき)」・「林住期(りんじゅうき)」・「遊行期(ゆぎょうき)」の四期に分けて、それぞれの階梯に於ける規範に即した生き方をすることで幸福な人生を送れるとするものである。詳しくは、家族葬の会社「ファミーユ」のサイト「Coeurlien(クリアン)」のこちらを見られたい。

「檜山坦島」不詳。酷似した同時代人に国学者檜山坦斎(ひやまたんさい 安永三(一七七四)年~天保一三(一八四二)年)がいる。書画の知識が深く、鑑定に優れており、馬琴も息子興継の友人として親交があった渡辺崋山と親しかった。裏千家の千柄菊旦(ちがらきくたん)に学び、茶人としても知られた。著作に「花押譜」「皇朝名画拾彙」などがある。

「誓願寺」京都市中京区新京極通にある浄土宗西山深草派総本山深草山誓願寺か。

「文政七年」一八二四年であるが、同年は閏八月があり、「十一月」は十一月十日で一八二五年になる。]

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