曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 變生男子
[やぶちゃん注:発表者は文宝堂。標題は「へんじやうなんし」と読む。但し、仏語の原義のそれは「變成男子」が正しい。女から変じて男になることで、女子は五障があって、如何なる修行や布施などを行っても、成仏が困難とされていたところから、仏が慈悲の力を以って、あるいは修験者が修法の力によって、女子を男身に変えるなどということさえ行なわれた。原始仏教時代から存在した男尊女卑の思想で、釈迦でさえある時にはそれを述べている(但し、別に男女は平等とも言ってはいる)。通常は、仏法堅固な女性が亡くなった後に、今一度、男性に転生した上で、同じく帰依を怠らなければ、次の世では往生成仏が出来るという思想である。以下、語り物であるので、段落を成形した。]
○變生男子
文政二卯年[やぶちゃん注:一八一九年。]四月の記。
神田和泉橋通り[やぶちゃん注:この南北附近であろう(グーグル・マップ・データ)。]にすめる經師屋の隱居善八といふ者、旅ずきなれば、年中、處々をあるきてたのしみとせり。
一昨丑年より、上方筋へゆき、大坂より、大和路にかゝりける時に、むかふより、十五、六ばかりなる娘、只ひとりにて急ぎ來りけるか[やぶちゃん注:ママ。]、善八の前へ程なく近づきたる所にて、氣絕して、倒れたり。
善八も、通りがげにて、驚き、懷中より、藥を出だしあたへて、かれこれ、介抱しければ、やうやく、いき出できて、目を開き、心つきたるさまなりければ、猶も、「さゆ」などあたへて、
「扨、御身は、いづかたの人にておはするぞ。供もつれず、わかき人のひとりありき、所のものとも見えず。いかなる事か。」
と尋ねければ、此娘、まづ、一禮をのべて、
「わらは事は、かどわかされて、大坂へつれらるべきを、さまざまと、手だていたし、今朝、よきをりをうかゞひ、走り出でたる故、心もつかれ、思はず、氣をうしなひ、はからずも、そなた樣の御介抱に預りたる事、忝し。何とぞ、此上の御慈悲に、わらはが宅迄、送り給はれかし。」
と賴みければ、善八も不便に思ひ、
「住所は何方ぞ。」
と問ひければ、勢州津の驛にて、紺屋なりし。
善八は、いそぐ旅にもあらねば、
「送り遣すべし。」
とて、追手も氣づかはしければ、すぐに駕籠にのせ、取りいそぎつゝ、いせの津の紺屋何がし方へ、つれゆきければ、兩親をはじめ、家内のものども、よろこぶこと限りなく、娘は始終を、くはしく、物がたりて、大恩人の善八なれば、
「しばらく、此方に逗留し給へ。」
とて、日ごとに、あつく、もてなしける。
善八も、いつまでとゞまりても、はてのなければ、家内の者に暇を乞ひしに、人々、名殘を借み、
「今、しばし。」
と、とゞめけれども、はや、支度などしければ、娘は猶更、
「何となく、わかれをしく、わらはも、何とぞ、御禮のため、一たびは江戶へも下りたき。」
よしを、兩親にねがひければ、
「いづれ、一兩年の内に、親父同道にて、くだり可申。」
とて、厚く謝しけり。娘は、ふと、心つきたるさまにて、
「此度、思はず厚き御介抱うけしも、前世の御緣こそ有りつらめ。わらはも、そなた樣の御恩わすれぬ爲、何とても御所持の内、一品、たび給へ。それを、朝夕、そなた樣と思ひ、後世をも願ひ申したし。」
と、いひければ、善八も旅さきの事にて、外に持ちたる品もなく、懷中の守りに入れ置きし淺草觀世音の御影を取り出だし、
「これを進上すべし。隨分、信心し給へ。」
とて、娘にあたへ、暇乞ひして、伊勢を立ち出で、去寅年【文政元年。】、四月、江戶へ歸りけるに、留守中に新婦(ヨメ)懷胎にて、男子、出生し、則、善八歸宅の日、七夜にあたりければ、善八も、大きに悅びける。
されども、此出生の小兒、每日、泣きて、少しも、やむ時なく、其上、左りの手を握りつめて、いか樣にすれども、ひらかざるよしを、善八にかたりければ、
「そは、いかなる事やらん。まづ、孫を、いだき、みん。」
とて、小兒を善八の膝にいだきとれば、今まで泣き入り居たるが、卽座に止み、又、握りつめたる左の手をも、善八、何となく、ひらかせたれば、忽、ひらきたり。
その、ひらきたる掌の上に、物、あり。
「何ならん。」
と取り出だしみれば、觀音の御影なり。
みなみな、奇異の思をなし、驚きければ、善八、つくづく考へ見るに、
『此御影は、全く、いせの津にて、娘にあたへし御影なり。』
と、甚、いぶかしく思ひ、家の内の者にも、道中にて、かの娘に出であふたる始末、
「しかじか。」
と、かたりきかせ、其後、いせへも書狀を出だしければ、右の返書、六月十四日に着しければ、早速、ひらき見るに、
「かの娘は善八にわかれてより 間もなく その年の五月末に病死したる」
よしを告げ來りければ、いよいよ不思議に思ひ、
「しからば、此小兒の男子なるも、右の娘の再來、實に變生男子も、ひとへに大悲の御利益ならん。」
と、是より、猶も深く信心しけるとぞ。
[やぶちゃん注:以下、底本では全体が一字下げ。]
右の產婦に服藥をあたへし淸水の御醫師福富主水老の直物語なるよし、友人利鄕といへるもの、語りけるまゝ、こゝに記し出だしぬ。