「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 純銀の賽 / 附・草稿
第三(『月に吠える』時代)
純 銀 の 賽
みよわが賽(さい)は空にあり
空は透靑
白鳥はこてえぢのまどべに泳ぎ
卓は一列
同志の瞳は愛にもゆ
みよわが賽は空にあり
賽は純銀
はあとの「A」は指にはじかれ
緑卓のうへ
同志の瞳は愛にもゆ
みよわが光は空にあり
空は白金
ふきあげのみづちりこぼれて
わが賽は魚となり
卓上の手はみどりをふくむ。
ああいまも想をこらすわれのうへ
またえれなのうへ
愛は祈禱となり
賭博は風にながれて
さかづきはみ空に高く鳴りもわたれり。
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。底本巻末の「詩作品年譜」では、大正三(一九一四)年八月三十一日の制作年月日を示し、大正三年十月の『地上巡禮』を初出とする。筑摩版全集でも「拾遺詩篇」に同雑誌同月号を初出として載る。初出形を示す。
純銀の賽
みよわが賽(さい)は空にあり、
空には透靑、
白鳥はこてえぢのまどべに泳ぎ、
卓は一列、
同志の瞳は愛にもゆ、
みよわが賽は空にあり、
賽は純銀、
はあとの「A」は指にはじかれ、
綠卓のうへ、
同志の瞳は愛にもゆ。
みよわが光は空にあり、
空は白金、
ふきあげのみづちりこぼれて、
わが賽は魚となり、
卓上の手はみどりをくむ。
ああいまも想をこらすわれのうへ、
またえれなのうへ、
愛は祈禱となり、
賭博は風にながれて、
さかづきはみ空に高く鳴りもわたれり。
―八月三十一日―
本篇とは、第三連の最後が異なる。しかし、これは筑摩版の方が正しいようである。「含む」ではイメージとしてはおかしいとは言えぬものの、どうも前との連関が悪く、「汲む」ですんなりと読める。
また、筑摩版全集の『草稿詩篇「拾遺詩篇」』に「坑夫の歌」と題した本篇の草稿とする『本篇原稿一種一枚』とあるものが載る。以下に示す。誤字・脱字・歴史的仮名遣の誤りはママ。
坑夫の歌
ああ、いまも思ひを凝らす我のうヘ
またえれなのうヘ
トバクは白金の祀禱となり風にながれ
愛は祈禱となり宴は光る魚となり
さかづきは高く高く空に合さる
靑み空に高く玻璃はあはさる
み空に玻璃は鳴りもわたれり
[やぶちゃん注:以上二行は並置。]
すゞしくも君にぬぐはる、
淚は
おんきみの脣(くち)にぬぐはる、
[やぶちゃん注:以上の後半の前後は二行並置。]
みよ 見よ、いま、かゞやく空 に より賽は投げられ
みよ空いまわが賽は空にあり
その銀は魚となり
その銀はいさなとなり
尾ひれきらめき
てえぶるは水をたぎらす
水をたぎらす綠卓のうヘ
するどく落ちて破るゝもの
純銀の賽のやぶるもの
ああ ああたゞたゞわが瞳のみそれを知る
えれなよ
わが君よ
[やぶちゃん注:以上二行は並置。]
いまぞ靑空に向ひて破璃を鳴らせよ
[やぶちゃん注:また、編者後注によれば、この『「わが君よ/いまぞ靑空に向ひて破璃を鳴らせよ」は線でかこまれている』ともある。]
えれなよ
ああわが賽はすでに投げられ
そのするどさに肢體は やぶれ きゝづき 額は足はきゞつき
ああ瞳は光にめしひ
ああはや床に晶玉やぶれ
わがああはやトバクは風にながれて
さかづきは空に光れり「ちゝら」と靑空に鳴りもわたれり。
最後に編者注があり、『本稿下欄に次の記載がある』として、以下を示す。
えれなよ
瞳は光にめしひ
そのするどさに足 やぶれ きゞゝき
床に晶玉やぶれて
見よいま空上より賽は高くなげられ、
えれなよ
ああわが春はいたく投げられ
2そのするどさに瞳はめしひ
3足 肉やぶれ額きゝづきやぶれ
4床に晶玉やぶれつれども
5はやわがトバクは風に流れて
さかづきはちちとに靑空に鳴りもわたれり、
後注に、以上の下欄の記載については、『行頭の數字は著者の附したもの』とある。]
« 曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 白猿賊をなす事 | トップページ | 「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 交歡記誌 / 附・草稿 »