「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第一(「愛憐詩篇」時代)」 ものごころ
ものごころ
ものごころ覺えそめたるわが性のうすらあかりは
春の夜の雪のごとくにしめやかにして
ふきあげのほとりに咲けるなでしこの花にも似たり
ああこのうるほひをもておん身の髮を濡らすべきか
しからずばその手をこそ。
ふくらかなる白きお指にくちをあて
やみがたき情愁の海にひたりつくさむ
おん身よ
なになればかくもわが肩によりすがり
いつもいつもくさばなの吐息もてささやき給ふや
このごろは涙しげく流れ出でて
ひるもゆうべもやむことなし
ああ友よ
かくもいたいけなる我がものごころのもよほしに
秋もまぢかのひとむら時雨
さもさつさつとおとし來れり。
[やぶちゃん注:「ゆうべ」はママ。萩原朔太郎の書き癖(彼の誤った書き癖は固執的で多数ある)。初出は大正二(一九一三)年十月号『創作』。初出形を示す。
ものごゝろ
ものごゝろ覺えそめたる、わが性のうすらあかりは
春の夜の雪のごとくにしめやかにして
ふきあげのほとりに咲けるなでしこの花にも似たり
あゝこのうるほひをもておん身の髮を濡らすべきか
しからずはその手をこそ
ふくらかなる白きお指にくちをあて
やみがたき情愁の海にひたりつくさむ、
おん身よ
なになればかもわが肩によりすがり
いつもいつもくさばなの吐息もてささやぎ給ふや
このごろは淚しげく流れ出でゝ
ひるもゆうべもやんごとなし
あゝ友よ
かくもいたいけなる我がものごゝろのもよほしに
秋もまぢかのひとむら時雨
さもさつさつとおとし來れり。
「習作集第八巻(愛憐詩篇ノート)」のものを以下に示す。
ものごゝろ
ものごゝろおぼへそめたる、わが性のうすらあかりは
春の夜の雪のごとくにしめやかにして
ふきあげのほとりに咲けるなでしこの花にも似たり
あゝ このうるほひをもて おん身の髮を濡らすべきか
しからずば その手をこそ
ふくらかなる白きお指にくちをあて
やみがたき情愁の海にひたりつくさむ、
おん身よ
なになれば かもわが肩によりすがり
いつもいつも、くさばなの吐息もてささやぎ給ふや
このごろは淚しげく流れ出でゝ
ひるもゆうべもやむごとなし
あゝ友よ
かくもいたいけなる我がものごゝろのもよほしに
秋もまぢかのひとむら時雨
さも さつさつと おとし來れり。
これら、三種の比較によって、初出形の内、少なくとも、底本の第一連の最終行「しからずばその手をこそ。」の最後の句点、「さゝやぎ」の二箇所については、底本編者による恣意的変更である可能性が頗る高いことが推察出来る。なお、言っておくと、戦前までは、ベテランを自負する校正係や植字工が、歴史的仮名遣の誤りや表現がおかしいと感じたものを、作者に無断で変えてしまうことが普通にあった。それは作家デビュー前後の投稿作品のみに限らず、既に知られた流行作家となっていても同じであった。信じられない方のために言っておくと、「校正の神様」の異名で称された神代種亮(こうじろたねすけ 明治十六(一八八三)年~昭和十(一九三五)年)がよく知られる。流行作家として引きも切らぬ状態にあった芥川龍之介は、特に彼に主作品集の校正を依頼していたが、その龍之介でさえ、彼が勝手に書き換えてしまうことを憤慨する書簡を書いている(サイト版「やぶちゃん編 芥川龍之介片山廣子関連書簡16通 附やぶちゃん注」の「■書簡7 旧全集一二三六書簡 大正13(1924)年8月19日」を参照されたい)。]
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