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2021/10/30

「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 (無題)(快活な女學生の群れは)

 

  

 

快活な女學生の群は

うら悲しき半白の老人をとりかこみて校庭の隅に立てり

かくもうららかなる春の日ざしにそもこの人々は何事を語れるや

「心の淸きものは幸なり」

 

この快活な娘たちと

窮屈な老人とは何を話すのか

今日もまた

うららかなる運動場の隅で

ちよいと芝草の芽をつむやうないたづらから

この娘たちは成人します

 

さて娘たちも娘たち

日ざしに涙ぐむまで居れよ

だれにでもしんせつにせよ

誘惑を怖れよ

ああ あなたがたの白い手をあげられ

淸きことばと潔き仕事にまごころをもてつくされよ

學問を勉强せよ

ちちははに從順なれ。

 

[やぶちゃん注:底本では推定で大正三(一九一四)年の作とし、『遺稿』とある。しかし、筑摩版全集では、「未發表詩篇」に翌年大正四年を示す「――一九二五、四――」のクレジットを打つ詩篇の後に(因みに当時萩原朔太郎は満で二十八・二十九歳であり、「老人」ではない)、以下のように出る。漢字の表記はママ。

 

 

 

快活なる女學生と群は

うら悲しき半白の老人とは運働場の隅に きたれり 立てり、をとりかこみて立てり、校庭の隅に立てり、

かくもうらゝかなる春の日ざしにそもこの人々は何事を語れるや

「心の淸きものは幸なり」

 

この快活な娘たちと

窮屈な老人とが話を した しました して居 ます、 るのです、 は何を話すのか

今日もまたうらゝかなる運働場の隅につどひてきて

あるうらゝか→高等→ある地方の女學校のせまい運働場の隅で

私たちは それはちよいと芝草の芽をつむやうによな心ばえいたづらから

この娘たちは成人します

さばれ老人の校長よ

油斷をしなるな

またさて娘たちも娘たち

日ざしに淚ぐむまで居れよ

だれにでもしんせつにせよ

誘惑を怖れよ

ああ、あなたがたの白 い手をあげられ

淸きことばと潔(いさぎよ)き仕事にまごころもてつくせよされよ

しんじつあるものはつねに克たん

學問を勉强せよ

いつしんちゝはゝに從順なれ

 

さて、これは全くの推理に過ぎないが、この大正三~四年時には、朔太郎はマンドリンに熱中していた時期であった。確認出来たわけではないが、或いはその演奏会を女学校で催すこともあったのではなかったか。本底本のそれは、以上の草稿を杜撰も整序し損なったもののように思われる。正直、私には、萩原朔太郎の詩としては、特異点の、読みたくないレベルの辛気臭い詩篇である。]

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