「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 (無題)(快活な女學生の群れは)
○
快活な女學生の群は
うら悲しき半白の老人をとりかこみて校庭の隅に立てり
かくもうららかなる春の日ざしにそもこの人々は何事を語れるや
「心の淸きものは幸なり」
この快活な娘たちと
窮屈な老人とは何を話すのか
今日もまた
うららかなる運動場の隅で
ちよいと芝草の芽をつむやうないたづらから
この娘たちは成人します
さて娘たちも娘たち
日ざしに涙ぐむまで居れよ
だれにでもしんせつにせよ
誘惑を怖れよ
ああ あなたがたの白い手をあげられ
淸きことばと潔き仕事にまごころをもてつくされよ
學問を勉强せよ
ちちははに從順なれ。
[やぶちゃん注:底本では推定で大正三(一九一四)年の作とし、『遺稿』とある。しかし、筑摩版全集では、「未發表詩篇」に翌年大正四年を示す「――一九二五、四――」のクレジットを打つ詩篇の後に(因みに当時萩原朔太郎は満で二十八・二十九歳であり、「老人」ではない)、以下のように出る。漢字の表記はママ。
○
快活なる女學生との群は
うら悲しき半白の老人とは運働場の隅に きたれり 立てり、をとりかこみて立てり、校庭の隅に立てり、
かくもうらゝかなる春の日ざしにそもこの人々は何事を語れるや
「心の淸きものは幸なり」
この快活な娘たちと
窮屈な老人とが話を した しました して居 ます、 るのです、 は何を話すのか
今日もまたうらゝかなる運働場の庭隅につどひてきて
あるうらゝか→高等→ある地方の女學校のせまい運働場の隅でで
私たちは それはちよいと芝草の芽をつむやうによな心ばえいたづらから
この娘たちは成人します
さばれ老人の校長よ
油斷をしなるな
またさて娘たちも娘たち
日ざしに淚ぐむまで居れよ
だれでにでもしんせつにせよ
誘惑を怖れよ
ああ、あなたがたの白い きい手をあげられ
淸きことばと潔(いさぎよ)き仕事にまごころもてつくせよされよ
しんじつあるものは惡つねに克たん
學問を勉强せよ
いつしんちゝはゝに從順なれ
さて、これは全くの推理に過ぎないが、この大正三~四年時には、朔太郎はマンドリンに熱中していた時期であった。確認出来たわけではないが、或いはその演奏会を女学校で催すこともあったのではなかったか。本底本のそれは、以上の草稿を杜撰も整序し損なったもののように思われる。正直、私には、萩原朔太郎の詩としては、特異点の、読みたくないレベルの辛気臭い詩篇である。]
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