「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第一(「愛憐詩篇」時代)」 (無題)(わがよろこびは身うちより) /「上京當日」の幻の別稿か?
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わがよろこびは身うちより
銀の小針をぬきすつる
いさみて行けば淺草や
鋪石路(しきいしみち)に落つる日は
灯(ともし)もゆるごとく烈しかり
橋の酒場の磨かれし
玻璃の扉ひらくとき
わが身につらき故鄕は
いまぞ消えさるごとくなり
ひとり酒場に眼を伏せて
君戀しやと唄ふなる
消え去るものを哀しみて
はるかに都へ來つれども
またも涙をせきあぐる
はるばる鳥のすぎ行ける
都の空は茜さす
[やぶちゃん注:底本では出典を『ノオト』とするのみで制作年を示さない。ただ、この詩篇、中間部の「ひとり酒場に眼を伏せて/君戀しやと唄ふなる/消え去るものを哀しみて/はるかに都へ來つれども/またも涙をせきあぐる」の五行を抜いて詰めると、「習作集第九巻」にある「上京當日」(添え題「都に來りて」)と、表記を問題にしないなら、ほぼ相同に近い。以下に示す。
上京當日
(都に來りて)
わがよろこびは身うちより
銀の小針をぬきすつる
いさみて行けば淺草や
舗石路に落つる日は
灯燃ゆる如く烈しかり
橋の酒場の磨かれし
玻璃の扉を開くとき
我身につらき故卿は
いまぞ消えさる如くなり
はるばる鳥のすぎ行ける
都の空は茜さし。
この前後の強い相似性から、本詩篇は「上京當日」の、既に原稿は失われた、初期形或いは別草稿或いは推敲形と考えてよい。さらに、この標題と添え題から、これは萩原朔太郎が成人して上京、長期に滞在したその時の印象を(恐らくは後に)詩篇に創り上げたものと推定される。その最初の長い上京は、朔太郎数え二十六歳の明治四四(一九一一)年一月二十九日に始まる東京放浪である(同年三月から四月中旬の間で前橋に帰った)。この後は翌明治四十五年二月十六日から七月二十五日であり、「習作集第九巻(愛憐詩篇ノート)」の書写年代が大正二年九月から、ほぼ翌年十二月頃とされるのとは近いのであるが、仮に後者が実際の創作時期であるにしても、そのカルチャー・ショックの喜悦や、内的な故郷喪失の孤独感は前者の初期体験にこそ相応しい。]
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