曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 蝦夷靈龜 蝦夷靈龜考異
[やぶちゃん注:段落を成形した。主文は海棠庵関思亮であるが、馬琴が、自分の知っている話とかなり違いがあるため、馬琴自身が、ブイブイと途中に五月蠅く「考異」(同じ事件を異った話と比較して考えたこと)を裁ち入れているために、甚だ、話のリズムが悪くなっている。馬琴のそれを太字にしたので、最初は、そこを飛ばして読んだ方が私はいいと思う。]
○蝦夷靈龜
江戶坂本町小村屋平四郞といふもの、松前東蝦夷地アツケシ【松前城下より行程四百里ばかり。】といふ場所、受負人にて、手代惣助といふもの、當文政八年乙酉[やぶちゃん注:一八二五年。]正月に、はやく松前へ渡海してけり。
[やぶちゃん注:「アツケシ」現在の北海道釧路総合振興局厚岸町(グーグル・マップ・データ)。
以下の一段落は底本では、全体が一字下げ。]
考異に云、「アツケシは三千石目運上請負の獵濱なり。又、惣助は平四郞が子にて、松前へ渡り、蝦夷地へ往來するものとぞ。手代には、あらず。」。
おなじく四月よりアツケシヘ赴きて、漁獵の事、よろづ、手くばりしてをりしに、六月にもなりければ、漁事、いそがはしく、日に日に、蝦夷人、うちまじりて、網をおろしなどする程に、あるとき、彌三郞とて、獵事の頭取をするもの、惣助が許に來て、
「今日の漁獵は、殊によき勝利したり。濱邊に出て、見給へ。」
といふ。
[やぶちゃん注:以下同前。]
考異に云、「アツケシは、春三月ごろより、漁獵をすなり。大龜を獲たるは、四月ごろといふ[やぶちゃん注:グレゴリオ暦では同年四月一日は五月十八日。]。且、彌三郞は、この漁場をあづかるものにて、所謂、支配人なり。是、惣助がためには老僕なり。
「いかなるものを得しやらん。」
とて行きて見れば、長さは弐間にあまり[やぶちゃん注:三メートル六十四センチメートル超。]、橫幅一丈餘もあらんとおぼしき大龜【龜といへど、鼈の類にて、方言に「トツキ」といふものなり。】の網にかゝりてあり。
[やぶちゃん注:「鼈」スッポン(爬虫綱カメ目潜頸亜目スッポン上科スッポン科スッポン亜科キョクトウスッポン属ニホンスッポンPelodiscus sinensis 。しかし、スッポンは海には棲息しないから、ここは単に水産の大亀の謂いであろう。]
濱邊にあぐるには、五人、十人のちからに、かなふべくもあらねば、船を引く「ろくろ」といふものにて、からくして、引きあげたり。
[やぶちゃん注:以下同前。]
考異に云、「この大龜は俗にいふ「海坊主」「正覺坊」の類にあらず。又、常陸の海よりあがる「浮木」の類にもあらず。全體、脂膏[やぶちゃん注:「あぶら」。]多く、且、『その甲のへりを、細工にも、つかふ。』といふ。又、云、「『トツキ』は、五、六尺のもの、たゝみ弐疊敷ばかりなるは、をりをり、網にかゝることあり。さばれ、如此、大きなるは、稀に得がたし。」とぞ。おもふに黿の類なるべし。」。
[やぶちゃん注:「海坊主」「正覺坊」カメ目ウミガメ科アオウミガメ亜科アオウミガメ属アオウミガメ Chelonia mydas の異称。
「浮木」条鰭綱フグ目フグ亜目マンボウ科マンボウ属マンボウ Mola mola の異称。
「トツキ」不詳。いかにもな印象だが、アイヌ語ではないようである。
「黿」音「ゲン」。これはアオウミガメ或いはマルスッポン(スッポン亜科マルスッポン属マルスッポン Pelochelys cantorii )を指すので、話が判らぬ。他の作品を見ても、個人的印象だが、馬琴は水産生物にはちょっと踈い感じがする。他のウミガメはウミガメ科アカウミガメ亜科アカウミガメ属アカウミガメ Caretta caretta ・潜頸亜目ウミガメ上科オサガメ科オサガメ属オサガメ Dermochelys coriacea ・ウミガメ科タイマイ属タイマイ Eretmochelys imbricata がいるが、アオウミガメも含めて、三種とも分布域が温帯から熱帯域を主分布とする。しかし、ウミガメの行動範囲は流動的であるから、あってもおかしくない。オサガメは甲羅が発達せず、甲羅を細工に使うという点で除外される。鼈甲材料とされるアカウミガメが一番の候補であり、実際、ネットで検索すると、海水温の上昇のせいか、最近では北海道でしばしばアカウミガメが網に掛かったり、保護されたりしている記事が、複数、確認出来る。]
よく見るに、その頭も、又、ふたかゝへもありぬべし。この龜、惣助を見て、淚を流しつゝ、哀を請ふありさまなれば、惣助、つらく思ふやう、
『かくまで巨大なる龜の、いくばく、年を歷しやらん。「龜の齡は萬歲を保つ」としも聞くものを。さらば、又、このものも千載を經しものにこそ。』
と、おもふに、そゞろに、かはいくおぼえて、さて、龜にむかひ、いふやう、
「汝は齡の長からんを、殺さんことの不便さよ。この濱は、ちかきころ、としどしに、不獵のみにて、わがうへ[やぶちゃん注:私の立場上。]、いたく、仕合[やぶちゃん注:「しあはせ」。]わろし。汝、助命のめぐみをおもうて、海のさち、あらせんや。」
と、さながら、人にものいふごとく、おもひ入りつゝ說き示すに、龜は、いよいよ、淚をながし、首(カウベ)をあげて、
「キヽ。」
と、なく。
そのさま、こゝろ得たるごとし。
『さては。はや、聞きわきたりな。さるにても、不思議なれ。』
と思ふに、不便[やぶちゃん注:「ふびん」。]、いや、まして、又、
「しかじか。」
と說き示せば、龜も亦、かうべをもたげて、
「キヽ。」
と、なく。初のごとし。
これにより、惣助は、彌三郞に、よしを告げて、
「放ちやらん。」
と、いひけるを、彌三郞、從がはず。
「あの龜の油をしぼらば、三十金にもなりぬべし。甲も又、二十金にはなるべきを、放ちやるべきことかは。」
と、うち腹立て、爭ふにぞ、惣助、かさねて、
「大なる漁獵を業にすなるものが、はつかなる金の爲に。助けやらんと思ひしものを、殺さんは、不便なり。」
といふを、彌三郞、聞きあへず、
「あの龜より、ちひさきを、さきの年に得たりしときだに、云々[やぶちゃん注:「しかじか」。]の利のありけるに、ふたゝび、得がたき大龜を得て、又、捨つるは、えうなし。」とて、從ふ氣色、なかりしかば、惣助が、又、いはく、
「まづ、あの龜をよく見て、後にともかくもせよかし。」
とて、さらに、兩人、つれ立ちゆきて、龜に向ひて、はじめのごとく、
「しかじか。」
と說き示すに、龜のありさま、又、同じ。
彌三郞も、此體たらくに、あはれみの心おこりて、
「放ち給へ。」
と、いひしかば、惣助は、よろこびて、
「後々のしるしに。」
とて、甲のはしを少しけづりて、又、かの「ろくろ」もて、卷おろさせ、そがまゝ、はなちつかはしければ、龜は海底にしづみつゝ、凡、十町ばかり[やぶちゃん注:千九十一メートル。]にして、波の上に浮きあがり、こなたに向ひて、かうべを動かし、又、沈みつゝ、はるかの沖にて、浮きあがること、始のごとく、忽、みえずなりしとぞ。
[やぶちゃん注:以下同前の字下げ。ただ、かなり長い(太字終了まで全部)ので、改行を加えた。]
考異に云、「アツケシの濱、近年、不獵にして、三千石目の運上に引きあはず。これにより、請負人は、借財なども、多くいで來しかども、
「今年は、よき獵、あらんか。明年は仕合のなほらんか。」
とて、からく、とりつゞきたれども、この兩三年、いよいよ、小獵なるにより、
『とてもかくても、この乙酉の年を限に、弗と[やぶちゃん注:「ふつと」。]やめん。』
と思ひゐたり。
かくて、惣助、ある日、獵場を見𢌞りしに、支配人彌三郞が云、
「けふは、よきトツキ【大龜の方言。】がかゝりて候。これまで稀に網に入りしは、五、六尺のものなるに、それには五倍のものにこそ。」
といふ。
惣助は濱邊にゆきて、件の龜をよく見るに云々【この間は、この本文に、いへるがごとし。】。
さて、立ちかへり、又、彌三郞にいふやう、
「われ、今行きて、『トツキ』を見たるに、實に大きなることは、實に未曾有のものなり。しかれども、われは、彼を助けて、放ちやらん、と思ふなり。」
といふ。
彌三郞、驚きて、その故を問へば、惣助、答ふること、本文のごとし。
彌三郞、又、いはく、
「人を見て、『キヽ。』となくは、いづれの『トツキ』も、みな同じ。よく思うても見給へかし。向に[やぶちゃん注:「さきに」]得たる『トツキ』どもは、五、六尺四方なりしすら、あぶらを絞り、甲を賣れば、三十金、或は四、五十金になるものありけり。さるをあの『トツキ』は、その五倍なるをもて、二百金か。よくせば、二百五十金にもなるべし。近年、不獵にして、借財も多かるに、大金になるべきものを、放ちやることや、ある。おん身のごとく、女らしき『あはれみ』の心をもてせば、いかでか、あの『トツキ』のみならんや。凡、網に入る魚を、みな、はなちやるべきや。まことに沙汰の限りなり。よう、みづから、思ひね。」
と、たしなめしを、惣助、かさねて、
「否。わが思ふよしは、しからず。もろもろの魚を網するは、わが渡世なれば、何とも思はず。汝も亦、よく思ひみよ。けふの網は、あの『トツキ』をとらん爲に、あらず。しかるに、わがほりする[やぶちゃん注:「我が欲(ほ)りする」。]魚は入らずして、思ひもかけぬ『トツキ』のかゝりしは、これ、『から網』[やぶちゃん注:「空網」。]に異ならず[やぶちゃん注:「ことならず。」]。よしや、あの『トツキ』が、百金、二百金になりたればとて、それにて、生涯をすぎらるゝにも、あらず。大獵をなすものゝ、さのみ、小利を貪ることかは。」
といふに、彌三郞、なほ、從はず。
惣助、又、いはく、
「われは、理もなく、思慮もなく、只、何となく、あの『トツキ』を、いと不便に思ふなり。そは、とまれ、かくもあれ、いざ、われと、もろともに、ふたゝび、ゆきて見よ。」と、いふに、彌三郞は、爭ひかねて、うちつれだちて、ゆきて見るに云々。これよりすゑは、本文にしるされしが如し。
扨、その次の日より、漁獵の得もの、いと多く、これまでに、十倍せり。例歲の荷物、高三千石目に過ぎざりしに、今年は八千石目に餘りし、となん。秋は漁獵もなき場所なるに、思ひの外に得ものあり。その上、松前より使船の都合よく、十二分の利を得たり。
これ、全く、惣助が慈愛の陰德より、忽、陽報ありしものか。
彼[やぶちゃん注:「かの」。]惣助も、この冬は、江戶に歸る、となん。なほ、面談せば、くはしきはなしも、あらんかし。
[やぶちゃん注:同前。]
考異に云、「『獵得八千石目に及びし』と云ふは、方便のこと葉にて、そは秋中[やぶちゃん注:「あきうち。]、二、三ケ月に得たる利なり。實は此四月のころより、九月に至りて、二萬石目の利を得てければ、これまでの借財を貲ふて[やぶちゃん注:「あがなふて」。]、猶、あまりありし、とぞ。凡、一萬石めは、金三千五百兩なり。かゝれば、二萬石めは七千兩なり。かゝれば、その借財をつくなふて、猶、あまりありし事、さもありぬべく思ふかし。
[やぶちゃん注:以下は、底本では全体が二字下げ。]
右野作、「異龜」の編、予が聞きしと、異同あり。彼此、みな、傳聞によるのみなれば、是非を、いづれと、定めがたし。しかれども、予が聞きし趣は、いさゝか、具なるに[やぶちゃん注:「つぶさなるに」。]似たれば、先夕、席上において、海棠庵主に、「しかじか。」と告ぐるに、「さらば、わが書に追記してよ。」と、いはるれば、もだしがたくて、燈下に禿筆を把りて、蛇足の說をなすにこそ。○再、いふ、「龜をはなちて善報を得たるもの、昔より、和漢に多かり。予、その故事の抄錄ありといへども、博雅の諸君、素よりよくしることならんを、こゝに贅すべくも、あらず。但、ちかごろ仙臺のちかきわたりで、このアツケシの大龜の事と、よく相似て、なほ、異なるものがたり一條、眞葛が「磯づたひ」といふ草紙に見えたり。餘紙なきをもて、これ又、贅せず、といふ。
乙酉十月廿四日 著作堂痴叟追記
[やぶちゃん注:はいはい、馬琴はん! 贅せんでええんやて! わてが、電子化注してますよってな! 「磯づたひ」は!(「磯づたひ」=ブログ・カテゴリ「只野真葛」横書電子化注附/一括縦書PDF版=私の個人サイト「鬼火」内電子テクスト・ページ「心朽窩旧館」内の「磯づたひ」を読まれたい)。]
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