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2021/10/02

曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 九姑課

 

[やぶちゃん注:「九姑課」(きうこか)は草を用いた中国の民間で流行った卜筮(ぼくぜい)法(本文の「雜占」)である「九姑玄女課」の略称か、或いはそれを変形させものの名と思われる。冒頭の枕部分は全体が一字下げ。元末明初の学者陶宗儀撰になる「輟耕録」の巻二十からの引用は行頭からで、以下の美成の後書が改行せずに続いているのもママ。書の影印本が「中國哲學書電子化計劃」のここから見られるが、美成の引用とは異同がある。それと校合し、脫字は《 》で補った。

 

   ○九姑課

上古、卜筮ありてより以來、世に、雜占、ことに多し。鷄卜・碁卜・響卜・鳥卜の類、猶、少からず。吾邦もまた、いにしへ、太占(フトマニ)の卜を始として、竃輪(カマワ)の米占(ヨネウラ)などいふ多かり【これらの類、和漢には、いと多し。集錄して一卷となさんことをおもへど、いまだ、その稿を脫せず。】。今、左に記す「九姑課」も亦、雜占の類のみ。

「鐵耕錄」云、『吳楚之地。村巫、野叟、及、婦人、女子輩、多能卜九姑課。其法、折草九莖、屈ㇾ之爲十八。握作一束《祝》而呵ㇾ之[やぶちゃん注:底本吉川弘文館随筆大成版では「握」を上の「十八」の下に配しているが、美成或いは編者の誤りと考え、かく書き換えた。]。兩兩相結。止留兩端已而抖開、以占休咎。若續成一條者、名曰「黃龍儻仙」。又穿一圈者、名曰「仙人上馬」。圈不ㇾ穿者、名曰「蟢窠落地」。皆吉兆也。或紛錯無緖。不ㇾ可分理、則凶矣云々』[やぶちゃん注:美成は以下を中略している。原本を再現する。]《又一法曰、「九天玄女課」、其法、折草一把、不計莖數多寡、苟用算籌亦可。兩手隨意分之、左手在上、竪放。右手在下、橫放。以三除之。不及者、爲卦。一竪一橫、曰「大陽」、二竪一橫、曰「靈通」、二竪二橫、曰「老君」、二竪三橫、曰「太吳」、三竪一橫、曰「洪石」、三竪三橫、曰「祥雲」、皆吉兆也。一竪二橫、曰「太陰」、一竪三橫、曰「懸崖」、三竪三橫、曰「陰中」、皆㐫兆也。》愚意、俗謂「九姑」、豈卽「九天玄女」歟。「離騷經」云、『索璚草[やぶちゃん注:原本は「璚茅」。]以筵篿兮、命靈氛爲餘卜。』。注曰、『璚草[やぶちゃん注:同前で「璚茅」。]靈草也。筵小破竹也。楚人《名「結草」。》折ㇾ竹以卜曰。據此、則亦有所本矣。』。』。予、曾て、戲れに、この「九姑課」を試み、兒輩に授けて、消日の具に充しむ。しかれども、猶、うゐまなびの兒童等が、此文のみにては、とみにえさとるまじく思ひ、今、こゝに、その詳なるさまを記す。所謂、老婆心、切にこそあれ。

 

Kyuukoka1

 

[やぶちゃん注:図一。総て底本よりトリミング補正した。右キャプションは、

「草ノ莖、九本ヲ、二ワニ、マゲテ、

 コレヲ握ル。そのサマ ※ カクノ如シ

で、「※」部分は画像を参照。以下、指示線の先にあるキャプションは底本では活字になっており(但し、ひらがなはカタカナではあるまいか?)、そのまま示すと(読点は少し追加してある)、

   *

此ところを、掌もて、す。願ひ・望みのことを祈りて、さて、息を吹かけて後、二本づゝ結びつけ、終に、あまる二本をば、むすばずして、のこし置く。これをもて、左右へ引きわくるに、吉兆なれば、左の三樣になるなり。あしき時は、何かわからぬ、こくらがりたるもの、いで來るなり。

   *

「こくらがりたるもの」というのは、「こんがらがっいる物」の意であろう。]

 

Kyuukoka2

 

[やぶちゃん注:前のキャプションの「左の三樣」の図である。上から、名称が、

「黃龍儻仙」

「仙人上馬」

「蟢窠落地」

である。]

 

  文政八年乙酉八朔     山崎美成記

[やぶちゃん注:「鷄卜」(とりうら)は鶏(にわとり)を闘わせ、その勝負によって吉凶を占うもの。南方熊楠の夫人松枝さんは、田辺のこの占いで知られた闘鶏神社の宮司田村宗造の四女である。「平家物語」などによれば、「治承・寿永の乱」(源平合戦)の折り、「新熊野権現」と称して湛増が田辺別当となっていたが、彼は社地の鶏を紅白二色に分けて闘わせ、白の鶏が勝ったことから、源氏に味方することを決し、熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣したという話で有名な社である。なお、かの武蔵坊弁慶はこの湛増の子とも伝えられる。

「碁卜」遊戯としての碁自体の起原は、古代中国の卜占から始ったものである。

「響卜」(ひびきうら)か。但し、ネットの中文辞書を見るに、これは所謂、「辻占」のことで、辻に立って行き交う人の言葉を以って占いをすることのように書かれてあるから、或いはこれで「ことうら」或いは「こゑうら」と読んでいるかも知れない。

「鳥卜」(とりうら)か。これは鳥の鳴き声や飛翔状況(止まった枝の方向・飛ぶ方角など)を観察して、それらをもととして吉凶を占うものを言う。また、正月に小鳥の腹を裂いて、穀物が胃の中にあるかどうかで年占(としうら)をしたともされる。なお、これは古代エトルリアや古代ローマに於いても、公に置かれた官職として「アウグル」(ラテン語:Augur)という「鳥卜官(ちょうぼくかん)」があった。当該ウィキを見よ。

「太占(フトマニ)」本邦独自の古代卜占の一種で、「布斗麻邇」とも「太兆」とも書く。記紀には伊弉諾命・伊弉冉命が国土生成の折り、いかにして良き子を得ることができるか問うたところ、天つ神が太占によって占って教えてくれたとみえる。その方法は、「古事記」の「天岩屋戸」の段に『天香山の眞男鹿(まをしか)の肩を内拔きに拔きて、天香山の天波波迦(あめのははか)を取りて占合(うらない)まかなはしめて』とあるように、鹿の肩甲骨を波波迦(ははか)(樺桜(かにわざくら)。上溝桜(バラ目バラ科ウワミズザクラ属 又は サクラ属ウワミズザクラ Padus grayana 或いは Prunus grayana )の古名という)で焼き、そこに生じた割れ目の模様で占うものであった(主文は平凡社「世界大百科事典」に拠った)。

「竃輪(カマワ)の米占(ヨネウラ)」思うに、これは現在でも本邦の各地に残っているその年の農事の吉凶を占う粥占のことではないか? 竹筒に米を入れて、竃の湯の中に入れ、それを割って粥の状態を見て占うものである。

『「鐵耕錄」云……』訓読を試みる。底本の返り点には不審があるので、必ずしも従っていない。終りの辺りは意味がよく判らない。悪いが、私は占い自体には全く興味がないので、判る努力はしない。悪しからず。

   *

 吳楚の地は、村巫、野叟、及び、婦人・女子の輩、多く卜(ぼく)の「九姑課」を能(よ)くす。其の法、草九莖を折りて、之れを屈(ま)げ、二十八に爲す。握りて一束に作(な)し、祝(はふ)りて、之れに呵(か)し[やぶちゃん注:「息を吹きかけ」か。]、兩兩(ふたつなが)ら相ひ結い、兩端を止め留む。已にして抖(ふる)ひて開き、以つて休咎[やぶちゃん注:「吉凶」に同じ。]を占ふ。若し、續(つらな)りて一條と成るをば、名づけて「黃龍儻仙(わうりゆうたうせん)」[やぶちゃん注:「儻」は「優れている」の意。]と曰ふ。又、一圈を穿てるをば、名づけて「仙人上馬」と曰ふ。圈、穿たざるをば、名づけて「蟢窠落地(きさうらくち)」[やぶちゃん注:「蟢」は足の長い蜘蛛の意。]と曰ふ。皆、吉兆なり。或いは紛錯(ふんさく)して緖(むす)ぶこと無く、分理するべからざれば、則ち、凶なり。又、一法に曰はく、「九天玄女課」あり。其の法、草を折りて、一たび把(と)る。莖の數の多寡を計らず。苟しくも算籌用ふも亦、可なり。兩手、意に隨ひて、之れを分け、左手は上に在り、竪(たて)に放(お)く。右手は下に在り、橫に放く。三を以つて、之れを除き、及ばざる者、卦と爲す。一竪一橫(いちじゅいちわう)は「大陽」と曰ひ、二竪一橫は「靈通」と曰ひ、二竪二橫は「老君」と曰ひ、二竪三橫は「太吳」と曰ひ、三竪一橫は「洪石」と曰ひ、三竪三橫は「祥雲」と曰ふ。皆、吉兆なり。一竪二橫は「太陰」と曰ひ、一竪三橫は「懸崖」と曰ひ、三竪三橫は「陰中」と曰ふ。皆、㐫兆なり。愚、意(おも)ふに、俗の謂ふ「九姑」は、豈に卽ち「九天玄女」か。「離騷經」に云はく、『璚茅(きつち)[やぶちゃん注:原本の表記に替えた。以下同じ。]を索(なはな)ひて、以つて筵篿(えんたん)[やぶちゃん注:丸い淡竹(はちく)製の入れ物。]に(の)ぶるに、命、靈氛(れいふん)、餘すところの卜と爲す。』[やぶちゃん注:意味不明。易の判じたところの表現であろう。]。注に曰はく、『「璚茅」は靈草なり。「筵」は小さき破竹なり。楚人(そひと)、「結草」と名づく。竹を折るを以つて「卜」と曰ふ。此の據るところは、則ち亦、本(もと)とせる有るなり。』と。

   *]

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