「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第一(「愛憐詩篇」時代)」 述懷 (「春日詠嘆調」の草稿)
述 懷
ああいかなればこそ
きのふにかはるわが身のうへとはなりもはてしぞ
けふしもさくら芽をつのぐみ
利根川のながればうばうたれども
あすはあはれず
あすのあすとてもいかであはれむ
あなあはれむかしの春の
みちゆきのゆめもありやなし
おとろへすぎし白雀の
わがゆびさきにしみじみとついばむものを。
――滯鄕哀語篇――
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。「つのぐむ」は「角ぐむ」で、草木の芽が角のように出始めることを言う。「白雀」スズメのアルビノ。底本の「詩作品年譜」では、『遺稿』とし、推定で大正三(一九一四)年とする。この詩篇、本文が、現在、「春日詠嘆調」と題するものと、ほぼ相同で、恐らくは、その失われた草稿かと推定される。「春日詠嘆調」は大正三年五月『時代』に発表されている。以下にその初出を示す。
春日詠嘆調
ああいかなればこそ、
きのふにかはるわが身の上とはなりもはてしぞ、
けふしもさくら芽をつぐのみ、
利根川のながれぼうぼうたれども、
あすは逢はれず、
あすのあすとてもいかであはれむ、
あなあはれむかしの春の、
みちゆきの夢もありやなし、
おとろへすぎし白雀の、
わがゆびさきにきてしみじみとついぼむものを。
「つぐのみ」「ついぼむ」はママ。渡辺和靖氏の論文「萩原朔太郎の不安――『月に吠える』後半の課題(二)」(『愛知教育大学研究報告』一九九四年二月発行所収・PDFでダウン・ロード可能)の「⑵ 『月に吠える』公刊への道」の中で、この「春日詠嘆調」を採り上げられ、以下のようにその執筆過程と制作年代を推定されておられるので、以下に引用する(コンマを読点に代えた。〈 〉は筑摩版全集の抹消字を示す記号)。
《引用開始》
冒頭の二行は、「習作集第九巻」の後半部分に配列された、大正三年四、五月頃に制作されたと推定される、未発表の作品「みちゆき後扁[やぶちゃん注:上にママ注記。]」に見える、「あゝいかなれば〈ぞ〉こそ、われら/〈いかなればこそ〉/きのふに変る身の上とはなりもはてしぞ」(同第2卷、501頁)というフレーズと、ばぼ共通する。さらに、「みちゆき後扁」は、「あきらめられずこのことばかり」「よべどもせんなききのふの生活も/あまりなるに/はやはや君をかへさしめよと」と、失われた恋への未練を綿々と歌うというテーマにおいて、「春日詠嘆調」と共通している。
また、「習作集第九巻」で「みちゆき後扁」より少し前に配され、『創作』大正三年五月号に揭載された、末尾に「(室生犀星氏に)」の付記のある「利根川の岸辺より」も、「春日詠嘆調」と類縁の深い作品である。利根川の川辺を歩くという全体の構図が共通するほか、「やよひもはや桜の芽をふくみ」が「けふしもさくら芽をつのぐみ」と共通している。また、「こゝろにひまなく詠嘆は流れいづ」という冒頭の一行に見える「詠嘆」の文字は、「春日詠嘆調」という題名そのものと共通する。[やぶちゃん注:中略。]ちなみに、「みちゆき後扁」には、「(詠嘆調)」という副題が付されており、この三篇が同一のモチーフによって結ばれていることは疑いない。
「述懐」と題する「春日詠嘆調」の草稿には、「――叙情詩集、滞郷哀語扁[やぶちゃん注:上にママ注記。]ヨリ――」の付記がある。[やぶちゃん注:中略。]朔太郞が「滞郷哀語扁」の總題を使用したのは、大正三年三月に『上毛新聞』に発表した「春の来る頃」「早春」「鉄橋々下」の三篇と、同年十月号の『アララギ』に発表した「畑」の、計四篇である。「春日詠嘆調」は、そのスタイルやリズムにおいて、「畑」よりも、『上毛新聞』揭載の三篇と類縁が深い。以上の考察から、「春日詠嘆調」は、大正三年の前半に制作された旧作であると推定される。
《引用終了》
以下、渡辺氏の挙げた、筑摩版全集第三巻の『草稿詩篇「拾遺詩篇」』の中にある「春日詠嘆調 (本篇原稿二種二枚)」を挙げる。御覧の通り、最初は無題で、後半のそれははっきりと「述懷」という題が明記されている。不審な錯字・脫字・清音・歴史的仮名遣の誤りは総てママである。
○
ああいかれはこそきのふにかはる
きのふにかわるわが身のうへとはなりもはてしぞ
けふしもさくら芽をつぐのみ
利根川のながれぼうぼうたれども
あすはあはれず
あすのあすとてもいかであはれむ
あなあはれやぶれしむかしの春の
みちゆきのゆめもありやなし
おとはてしみさろへすぎし雀の子白雀の
わが餌葉をばゆびさきに羽蟲などついばむものをしみじみと光れるついばむものを。
述懷
――敍情詩集、滯鄕哀語扁ヨリ――
ああいかなればこそ、
きのふにかはるわが身のうへとはなりもはてしぞ、
けふしもさくら芽をつぐのみ、
利根川のながれぼうぼうたれども、
あすはあはれず、
あすのあすとてもいかであはれむ、
あなあはれむかしの春の、
みちゆきのゆめもありやなし、
おとろへすぎし白雀の、
わがゆびさきにしみじみとついばむものを。
以上から、底本の本篇は、この最後に示した原稿を元に整序したものと推定出来る。]
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