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2021/10/07

「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第一(「愛憐詩篇」時代)」 秋

 

  

 

白雲のゆききもしげき山の端に

旅びとの群はせはしなく

その脚もとの流水も

しんしんめんめんと流れたり

ひそかに草に手をあてて

すぎ去るものをうれひいづ

わがつむ花は時無草の白きなれども

花びらに光なく

見よや空には銀いろのつめたさひろごれり

あはれはるかなる湖うみのこころもて

燕雀のうたごゑも消えゆくころほひ

わが身を草木の影によこたへしに

さやかなる野分吹き來りて

やさしくもかの高きよりくすぐれり。

 

[やぶちゃん注:底本の巻末の「試作品年譜」の制作年月日を大正二(一九一三)年九月とクレジットしている。但し、それは決定稿であることが以下の習作集のクレジットであることが判る。初期形は八月二十三日である。初出は同年十月号『創作』。初出形を示す。三行目の「しんしん」「めんめん」は孰れも後半が踊り字「〱」である。

 

  秋

 

白雲のゆきゝもしげき山の端に

旅びとゝの群はせはしなく

その脚もとの流水も

しんしんめんめんと流れたり

ひそかに草に手をあてゝ

すぎ去るものをうれひいづ

わがつむ花は時無草の白きなれども

 

花びらに光なく

見よや空には銀いろのつめたさひろごれり

あはれはるかなる湖うみのこゝろもて

燕雀のうたごゑも消えゆくころほひ

わが身を草木の影によこたへしに

さやかなる野分吹き來りて

やさしくも、かの高きよりくすぐれり

            (大正二年九月)

 

二行目の「ゝ」は雑誌の誤植であろう。筑摩書房全集では、『「習作集第八卷」』『の「秋」』『參照』とある。以下にその「秋」を示す。九行目は途中の詩句候補を二種、並置して示してある。それぞれを《 》で括って挿入した。こちらでは踊り字「〱」は、「めんめん」のみに用いられてある。

 

  秋

 

白雲のゆきゝもしげき山の端に

旅びとの群はせはしなく

その脚もとの流水も

しんしんめんめんと流れたり

ひそかに草に手をあてゝ

すぎ去るものをうれひいづ

我つむ花は時無草の白きなれども

花びらに、光なく

見よや空には《秋のぎんいろ》《ぎんいろのつめたさ》ひろごれり

あはれはるかなる湖うみのこゝろもて

燕雀のうたごゑも消え行くころほひ

わが身を草木の影によこたへしに

さやかなる野分吹き來りて

やさしくも

かの高きよりくすぐれり

       (大正二年八月二十三日)

               四萬山ニテ

 

編者注で『題名の右下にS.Sと記されている』とある。

「時無草」「ときなしぐさ」と読むか。但し、こういう名の草は存在しない。一般には室生犀星の「抒情小曲集」の詩「時無草」に於ける犀星の造語とされているようである。国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」の埼玉県立久喜図書館の「室生犀星の詩「時無草」の〈時無草〉とは、どのような花か知りたい。」という質問に対しての答えとして、『室生犀星記念館に問い合わせ、「植物の固有名ではなく犀星のイメージによるもの」との回答を得る。根拠は、『日本近代文学大系 39』「時無草」注の「『時無草』は時節はずれに芽吹いた草」との記述と、補注の「『詩集』(『抒情小曲集』)目次には『たとえば三寸ほどの緑なり』とある」との記述による』とある。犀星の「抒情小曲集」は大正七(一八一七)年刊であるが、その詩篇は明治四二(一九〇九)年から明治四五・大正元(一九一二)年の間に創作された詩群であり、私は全集を持たないので、犀星の「時無草」の初出が何時であるかは判らぬものの、室生犀星記念館が明言するからには、犀星が最初に造語として使ったものの可能性が高く、その詩篇を見た萩原朔太郎が流用したということになろうか。この「秋」のクレジットは絶妙で、この大正二年の四月頃に萩原朔太郎は『朱欒(ザンボア)』に載った犀星の詩作品群に感動して手紙を送って以来、終生、変わらぬ友人となっている。因みに、実際に朔太郎が犀星に逢ったのは、翌大正三年二月のことで、筑摩版萩原朔太郎全集の年譜によれば、初会の際の犀星に対する朔太郎の印象は、『田舍書生といったふうで、胡散臭いやつが來た、という感じであった』とある。朔太郎は詩篇の清新さから、勝手に美少年を想起していたものと思われる。それが、あの無骨なな感じを与えるゴッツい顔の犀星だったのに、初対面では、内心、失望したもののと思われる。

「四萬山」群馬県吾妻郡中之条町にある四万(しま)温泉周辺をかく言ったもの。年譜によれば、この年の八月上旬に朔太郎は四万温泉の積善館(グーグル・マップ・データ)に滞在していた。但し、滞在中に発病し、父の見舞いを受けている。]


 

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