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2021/10/16

只野真葛 むかしばなし (43)

 

 父樣、仙臺へ御立とて、荷物をからげて居(をり)し時、

「今、木挽町で、藝者が、きられた、きられた。」

と、人々、いひさわぎし故、からげかけて、男ども、行てみしが、切ころされて、かた息に成、たふれてゐし所を見て來りしが、町人に、其藝者故(ゆゑ)、身を仕廻し人、有。其家の居候に成て、藝者の三味線箱かつぎに成て、下人のごとく、草履直しなどして、つかへしを、母も娘も、うるさがりて、いろいろ、あしくせしを、いきどほりて、湯から出がけを追かけて、ころびし所をきりしよしなり。こんなことはいくらも有ものなれど、いかゞしたることにや、大評判と成て、「はやりうた」にも、洒落本も、うるさきほど、いでゝ有し。「おとよ」といふ女なり。

 仙臺の旅宿には、かの鑄錢(《ゐ》せん)を願(ねがひ)し町人、ねがひのうへ、宿をせしたりしとぞ。

[やぶちゃん注:父工藤平助は藩命によって仙台藩に赴き、貨幣の鋳造や薬草調査等を実施し、一時期は仙台藩の財政をも担当したという(当該ウィキに拠る)。但し、以下に出る還俗は、或いはこれよりも早かったと思われ(さればこそ医師ではない全く異なる財政方面での活動も出来たと考えられる)、真葛の記憶に前後の齟齬がある気もする。]

「料理上手、一たいの服よく、江戶、はづかし。」

と被ㇾ仰し。其内、わけて御感じ被ㇾ成しは、雪ふり、寒夜、御下りのおそかりしこと有しに、亭主、留守にて有しを、歸りて

「御膳の仕度、何々ぞ。」

と聞しに、妻、

「何々。」

と、こたふれば、

「それは。にくさりに成て、いくまじ。いで。」

とて、白かゆに、田樂いだし上(あげ)たりしが、

「扨。腹うけ、よかりし。」

とて、度々、仰出られて御ほめ被ㇾ遊し。其料理は、御下(おした)のもの[やぶちゃん注:下男。供人(ともびと)。]に、くはせたりし、とぞ。

 御供は樋口司馬と、安兵衞といひし新參者なりしが、この安兵衞、

「つとめがら、よろしき。」

とて、御下り早々、大人役に仰付られしが、廿二にて有し。御目がね程有て、よき人なりしが、おしきかな、中年より、らい病やみいでゝ、つかいがたく、髮をそり、「じやうゑん」と名をかへて、草津の湯治場にて、淺間山のやけぬけし頃は、草津に有て、ちかく見物せしよし、委細そのさまを書(かき)て、奧に、

  信濃なる大めしがまのにひこぼれ上州ものはあびて往生

と書付て有し。草津は風上にて有し故、見物に、よかりし、とのことなり。

 ワ十四のとし[やぶちゃん注:安永五(一七七六)年。]、「はしか」はやりて有しが、其年あたりや、東屋を立られしは。

 仙臺より、御下り、間もなく、還俗、仰付られし。

[やぶちゃん注:父平助は安永五(一七七六)年頃に仙台藩主伊達重村により、還俗蓄髪を命ぜられ、それ以後、安永から天明にかけての時期、多方面に亙って自由に活躍するようになった。]

 其頃、又々、地面、御かりたし、御普請被ㇾ遊しが、攝津守樣、御のぼり被ㇾ遊て、普請びらき早々、いらせられし。

[やぶちゃん注:「攝津守樣」不詳。当代の先代藩主伊達重村は陸奥守である。]

 庭の櫻、御覽、御大名方よりも、數々、被ㇾ下て有し。出羽樣よりは、「淺黃ざくら」、是は、めづらしきのみにて、花、よろしからず。周防樣より被ㇾ下し「大ざくら」、勝(すぐれ)てよかりしが、おそく被ㇾ下し故、角(すみ)にうゑしを、「すみの櫻」とて、もてはやしたりし。「ひさるせ」の印にて大きな猿をそへて被ㇾ下し。其外、たかき、いやしきをいはず、櫻をおくられし中に、賀茂季亮、其頃は市右膳とて、

「かすかなりしが、人數(にんず)に、いらん。」

とて、三尺ばかりの山ざくら、花が、所々に、一、二輪、有(ある)に、

  色なしと人なとがめそさくらばな散けふことのゆゝしくてこそ

と斷書(ことわりがき)をして、付たり。三島自寬、吉兵衞といひしが、ことさらに、まねかれぬを、ふくづみて、文(ふみ)、有。詞書は、おほへず[やぶちゃん注:「覺えず」であろう。]。

 「とへとしもいはぬにもへば君がやの櫻は八重に咲にや有るらん

 春もむなしく」[やぶちゃん注:鍵括弧は底本のママ。]などや有けん。父樣、かへしはおぼへねど、趣向ばかりは、人に御はなし被ㇾ遊し故、おぼヘし。今其心をもておぎなはゞ、

  しるしらぬ・おしなべて・花を尋ねてとふやどをよそに見すぐす君よあやしき

【是等の、そのうち、よろしきを、とるべし。】[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]

といふやうなことなりし。今おもひよりて書けば、よくもしらべず。かへしの哥、まさりしと御じまん被ㇾ成しかば、かくにはあらじ。

[やぶちゃん注:「出羽樣」不詳。

「周防樣」以前の「むかしばなし (7)」の考証では、岩見浜田藩藩主で周防守であった松平康定(延享四(一七四八)年~文化四(一八〇七)年)を同定候補とした。

『「ひさるせ」の印にて』「さる」は以下の「猿」に「去る」を掛けているようだが、意味不明。平助は医師だから「やまひさる」(病ひ去る)など考えたが、「せ」が続かぬ。「世」?

「大きな猿をそへて」「日本庶民生活史料集成」では『大きなくゝりさるをそへて』である。本物の大きな日本猿では大迷惑だから、ここは庚申信仰に習合した三猿信仰辺りから生じた紐で吊るした猿の作り物の「くくり猿」(猿ぼぼ・身替わり申(さる))を桜の枝に吊るしてあったとなら、腑に落ちる。ご存知ない方のために、グーグル画像検索「くくり猿」をリンクさせておく。

「賀茂季亮」「市右膳」なんだか妙に似たような名の人物で同時代人に、歌人・国学者・古典学者にして京都賀茂別雷(上賀茂)神社の祠官であった京生れの賀茂季鷹(かものすえたか 宝暦四(一七五四)年~天保一二(一八四一)年)がいる。彼は平助や真葛と昵懇だった村田春海と親しかった。本姓は山本で、「右膳」を名乗った。「亮」・「市」と「鷹」・「本」は妙に崩すと似ている気がする。

「三島自寬」江戸日本橋の幕府御用の呉服商にして国学者・歌人・能書家。「むかしばなし (6)」や同「(28)」で既出既注。]

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