「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第一(「愛憐詩篇」時代)」 利根川の岸邊より
利根川の岸邊より
こころにひまなく詠嘆は流れいづ
その流れいづる日のせきがたく
やよひも櫻の芽をふくみ
土(つち)によめなはさけびたり。
まひる利根川のほとりを步めば
二人步めばしばなくつぐみ
つぐみの鳴くに感じたるわが友のしんじつは尙深けれども
いまもわが身の身うちよりもえいづる
永日の嘆きはいやさらにときがたし
まことに故鄕の春はさびしく
こらへて山際の雪消ゆるを見ず。
我等利根川の岸邊に立てば
さらさらと洋紙は水にすべり落ち
いろあかき魚のひとむれ
くねりつつ友が手に泳ぐを見たり。
――室生犀星氏に――
[やぶちゃん注:初出は大正三(一九一四)年五月号『創作』。以下に示す。
利根川の岸邊より
こゝろにひまなく詠嘆は流れいづ、
その流れいづる日のせきがたく、
やよひも櫻の芽をふくみ、
土(つち)によめなはさけびたり。
まひる利根川のほとりを步めば、
二人步めばしばなくつぐみ、
つぐみの鳴くに感じたるわが友のしんじつは尙深けれども、
いまもわが身の身うちよりもえいづる、
永日の嘆きはいやさらにときがたし、
まことに故鄕の春はさびしく、
ここらへて山際の雪消ゆるを見ず。
我等利根川の岸邊に立てば、
さらさらと洋紙は水にすべり落ち、
いろあかき魚(いさな)のひとむれ、
しねりつゝ友が手に泳ぐを見たり。
(室生犀星氏に)
以下、「習作集第九巻」の初期形を示す。
利根川の岸邊より
こゝろにひまなく詠嘆は流れいづ
その流れいづる日のせきがたく
やよひもはや櫻の芽をふくみ
土(つち)によめなはさけびたり
まひる利根川のほとりを步めば
二人步めば鶇どりしばなくつぐみ
つぐみの鳴くに感じたるわが友のしんじつは尙深けれども
いまも我身の身うちよりもえいづる
永日の嘆はいやさらにときがたし
まことに故卿の春はさびしく
こゝらへて遠山の雪消ゆるを見ず
我等利根川の岸邊に立てば
さらさらと洋紙は水にすべり落ち
いろあかきいさなのひとむれ
我が手に
しねりつゝ友が手に泳ぐを見たり、
(室生犀星氏に)
以上から、底本の十一行目の「こらへて山際の雪消ゆるを見ず。」は「ここらへ山際の雪消ゆるを見ず。」が正しい(「此處(ここら)經(へ)て山際の雪消ゆるを見ず。」の意)ことが判る。]
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