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2021/10/13

只野真葛 むかしばなし (41) / 「二」~了

只野真葛 むかしばなし (41)

 ヲランダより根付の中に入(いれ)て、角《つの》にて引たる蟲のやうなる、蛇の樣なもの、はじめて、わたりし事、有。

 

Baneganngu

 

ちゞみたる所はこの樣にて、引のぶれば、一間餘[やぶちゃん注:一メートル八十二センチメートル越え。]に成、なげだせば、

「ぶるぶる」

と、うごきなどして、氣味わるく、又、めづらしき物なりしを、御工夫にて、ろくろ引に被ㇾ成しこと、有し。常八など、日々、來て引たりし。今も、其形の物、折々、見かくることあり。

[やぶちゃん注:思うに、小さな頃に欲しかった(結局、言い出せなかった)バネで出来た階段などを自ずと繰り返し降りて行く玩具の「スリンキー(Slinky)」(リンク先は当該ウィキ)みたようなものの小型のもので、根付に接続して可働するものらしい。底本からトリミングした。]

 龍尾車なども、御くふうにて有しを、常八、覺て、公儀御用に立(たて)しことも有し。

[やぶちゃん注:「龍尾車」水を低い位置から上へ引き揚げるための装置。螺旋形に削った軸を、木製の円筒の中に内側がよく密着するように挿し入れておき、それを上で回転させることで、管に入った水を螺子(ねじ)の回転に沿って引き揚げるもの。サイト「大地への刻印」の「水を汲む、揚水具」を参照されたい。挿絵画像がある。]

 引染のかみ、御くふう被ㇾ遊しはじまりは、ある人、唐紙を、「一まる」、進物にせしが、いくらつかひても、へらざりしより、思召なりしと被ㇾ仰し。「一まる」とは、一本とて、一包ヅヽにしたるを、唐より渡りしまゝの「ひつ」なり。後に、きせるの相御覽被ㇾ成、よく當りしは、御ぞんじなるべし[やぶちゃん注:この一文、意味全く不明。]。

[やぶちゃん注:「引染」染色模様をつけた飾り紙。

「ひつ」不詳。「筆」記用の紙?]

○築地は毛利兵橘と申(まうす)三百石とりの旗本衆の地にて有し。むかふは稻葉樣御やしき、地主は左隣、右隣は外の人の地なりし。此右隣、角屋敷にて、南うけ[やぶちゃん注:南向きか。]、しごくよき所なれども、

「鬼門なり。」

とて、明地にて有し。其故は、きらいて、人のすまぬことなりし。

[やぶちゃん注:「毛利兵橘」同姓同名の人物について、円城寺健悠氏の記事で『「毛利兵橘」について』があるが、この人物の後裔か?]

 百つぼの地一面に御ふしん被ㇾ成し故、庭なけれど、南のかたに、大(おほ)あき地有(ある)故、ひろびろとしてよかりしなり。少しの山などは、奧より、むかふに見へしとぞ。それを内田玄松樣といふ派きゝの[やぶちゃん注:「日本庶民生活史料集成」版では『はばきき』とあり、これと並べると、奥医の中でも相応の力(「派」閥として有意に「利(き)き」=勢力)を持った、という意味でとれそうだ。]奧醫、五百坪の内、二百坪ばかり、かりうけて、普請せられ、すまはれし。其折、餘り庭なし故、隣の地を三尺通(どほり)、かり入被ㇾ成しと聞し。かんじんの見はらしよき奧の垣ぎわ[やぶちゃん注:ママ。]へ、二階づくりの藏をたてられ、富士のかはりに、白壁を見るごとく成し。

[やぶちゃん注:「内田玄松」江戸医学館の幕末の調合藥役に「内田玄勝」の名を見出せはする。

「派きゝ」「日本庶民生活史料集成」版では『はばきき』とあり、これと並べると、奥医の中でも相応の力(「派」閥として有意に「利(き)き」「幅利き」(勢力))を持った、という意味でとれそう無きはする。]

 是は、ワなど、生れぬ先なるべし。

 奧の庭は、むかふへ三間[やぶちゃん注:五・四五メートル。]ばかりにて、橫四間[やぶちゃん注:七・二七メートル。]ばかり有し所へ、八重紅梅一本【しごく見事にて、花おほく咲(さき)たり。實は、ひとつも、ならざりし。】[やぶちゃん注:底本に『原割註』とある。]「ずばい桃」と梨一本、有し。此三本の木、いづれも勝(すぐれ)たる物なりし。梅は、花、たぐひなく、春海が、

 春雨にひもとく梅のくれないはふりすてゝこそ色まさりけり

と、よみしを見ても、おもひいでらるゝやうなりし。桃は、味、勝て、よく、夏桃にて、世にめづらしき時、じゆくす故、賞翫せられたり。梨は勝たる水梨、殊の外、あまく、少しも口中に、のこるものなく、雪をくう[やぶちゃん注:ママ。]やうに、齒[やぶちゃん注:「に」の脱字か。]、もろし。後、終に、このごとき梨を食(くは)ず。其三本の木と、こなたの日ざし戶に、物ほし棹を懸たりしをおもひば[やぶちゃん注:ママ。]、庭の間數(けんすう)しらる。

[やぶちゃん注:「ずばい桃」バラ目バラ科サクラ亜科モモ属モモ変種ズバイモモ Amygdalus persica var. nectarina 。皆さんご存知の、ネクタリン(Nectarine)のことである。

「春海」「只野眞葛 いそづたひ」で既注の、国文学者で歌人の村田春海(はるみ 延享三(一七四六)年~文化八(一八一一)年)。]

 「さかい垣」は、わり竹にて、それに付(つけ)て、一重《ひとい[やぶちゃん注:ママ。]》の山吹を、

「ひし」

とうへて有し。中は花檀にて、草花、かれこれ、有し。ならびの明地を、少々、御かりㇾ遊て藥園に成て有し[やぶちゃん注:レ点位置はママ。「御かり被ㇾ遊」の脱字(誤植)であろう「日本庶民生活史料集成」では『ㇾ被遊』でまたまたおかしなことになっている。]。後に庭中に大槐《ゑんじゆ》の木有しは、やはりその藥園に有しまゝなり、

 地主の毛利と裏あはせに、龜井樣とて、二、三萬石の小大名有し。其家老の名、嶋田傳八といひし、父樣と同年にて、殊の外、くわうくわうとして[やぶちゃん注:この歴史的仮名遣ではピンとくる形容動詞がない。「かうかう」ならば、「皞皞」で「心が広く、ゆったりとしているさま」でしっくりくる。]、よき人、大御懇意にて有し。其隱居夫婦、かの鬼門やしきの角をかりて、

「どうで隱居の身故、長命のぞみなし。」

とて、普請して引こしたりしが、手ぜまにて勝手よく、さて、きれいの家なりし。小家の家老はくり合よく[やぶちゃん注:底本にママ注記有り。]ものにて、藝者・役者・角力取など、日ごとのやうに出入して、にぎやかにて有し。ばゞ樣につれられて、二、三度も行しをおぼへたり。

 庭は、色々のうつくしき木草をうゑ、よきたのしみの福隱居なりしが、三、四年住て、死去、

「其家を、ほごすも、おしゝ。」

とて、傳八、引うつりて、すみしが、「三日ぼうづ」といふ病はやりて、人、おほく死したりし時、傳八も喉がはれしと聞しが、三日目に、ころりと死去、父樣、大病にて、樣子御覽被ㇾ成かね、大ちからおとしにて有し。

[やぶちゃん注:「三日ぼうづ」これは、成人では、高齢では重症化することがしばしばある風疹(風疹ウイルスによる急性熱性発疹性感染症)、一般に日本では「三日ばしか」と呼ばれるそれではあるまいか。私も教員になった翌年年初に生徒に移されて(当時、多数の生徒が罹患して欠席していた)罹患し、出勤停止となり、当時数万円したγグロブリンを打たれ、採点した学年末テストは焼き捨てるように医師に言われ、終業式の日に間に合い、出勤したところ、生徒たちから「タネ無し」と揶揄された。顔の右頰の上に今も瘢痕が残る。]

 其庭に有ししだれの八重、ひどふ見事なりしを、ばゞ樣、隱居不幸の時分、かたみに御もらひうゑられしが、うゑかひ時、あしくて、つかざりし。

 是に見ごりて、又、すむ人なく、明地にて有しを、玄松樣ばかりは、いよいよ、さかんにつとめられしが、地主のかたへ相談有て、かへ地をいたし、其地を内田の屋敷にせられたりし。其地に地守の家來【追考、此地守のたちしは、内田の地に成しよりは、六七、年前にて有し。】[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]、夫婦ものにて、子なきが、年久しくすみて有し。夫婦とも、しごく、りちぎものにて、菜園《さえん[やぶちゃん注:ママ。]》をして野菜をうり、亦《また》、樽拔の柿なども、手前にてして、うりなどして有しが、ワどもあそび所にて、日ごとに行しを、かく成て、家、ほごし、たち行(ゆく)が、かなしくて、なきて有し。八ッばかりの時なりし。明地の時分、紺屋の張場《はりば》などに、かして有し時は、手間取(てまとり)ども、かへると、行て、しゐしをひろひしに、一反張るほどは、たちまち、ひろい[やぶちゃん注:ママ。]て有し。

[やぶちゃん注:「樽拔の柿」「樽柿(たるがき)」のこと。渋柿の渋抜き法の一つで、また、この方法で渋抜きした柿のこと。本来は、酒の空樽を用い、酒樽に残っているアルコール分を利用して渋を抜いていた。渋の主成分である水溶性のタンニンは、アルコールにより不溶性となり、味覚に渋味を感じなくなる。

「手間取」手間賃で一時的に雇われた者。

「しゐし」「伸子・籡」の音変化(表記に「しいし」もあり、ブレが見られる)で、本来は「しんし」と読む。洗い張りや染色の際に織り幅の狭まるのを防ぎ、一定の幅を保たせるように布を延ばすための道具。両端に針がついた竹製の細い棒で、これを布の両端にかけ渡して用いる。そこに布地の一部が切れて付いていたものであろう。]

 島田の隱居庭の角へ、ちいさき稻荷の宮を作、散錢を揚て、信心せしは、鬼門をいむためなるべし。其宮を、玄松殿、こぼちて、川へながしやり、散錢六百文ほど有りしをとりて、折釘をかはせ、家の内、所々へうたれしとぞ【急死のまぎれ、家ばかり引て、「いなりの宮」迄は片付(かたづけ)ざりしなり。】[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]。

 それより有しに、玄松殿、殊の外、淫亂と成て、女ども十人餘、めしたきかけて[やぶちゃん注:意味不明。]有しを、のこらず、手を付られしとて、下々、ひやうばんなりし。

[やぶちゃん注:真葛は稲荷の祟りと暗に言いたいようである。]

 奧方の一腹に、十人餘、子達、有しが、惣領は、十八、九にて、外へかた付(づけ)、嫡男十五とおぼへし。次には、「とし子」なるべし。おなじ「よはひ」のやうな子たちなりし。女三人、男七人ばかり、有しやうなり。

 父樣、手習の師にて、淸書、持(もち)てこられしを覺たり。梨の木の下の所に路地有て、兩〆りにして、行かよひて有し。しごく、心やすく成されて有し。

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