「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第一(「愛憐詩篇」時代)」 山頂
山 頂
かなしければぞ
ながめ一時にひらかれ
あがつまの山なみ靑く
いただきは額(ひたひ)に光る
ああ 尾ばな藤ばかますでに色あせ
手にも料紙はおもく
夏はやおとろへ
絕頂(いただき)は風に光る。
――吾妻にて――
[やぶちゃん注:底本「詩作品年譜」に制作年を大正三(一九一四)年八月とし、『遺稿』とする。しかし、初出があり、筑摩版全集で大正四年一月号『銀磬』とある。以下に示す。
山頂
かなしければぞ、
眺め一時にひらかれ、
あがつまの山なみ靑く、
いただきは額(ひたひ)に光る。
ああ 尾ばな藤ばかますでに色あせ、
手にも料紙はおもたくさげられ、
夏はやおとろへ、
山頂(いただき)は風に光る。
――一九一四、八、吾妻ニテ――
筑摩版年譜によれば、この八月、前に出た四万温泉の積善館に避暑し、八月十三日に前橋に帰っている。因みに、私は七年前に、これを電子化注していたのを、すっかり忘れていた。そこで私は、『この前年辺りに永遠のエレナ(馬場ナカ)との悲恋が始まっている。この詩には、その陰鬱な影が落ちているように私には思われ、またそのイマージュは後の「月に吠える」の「淋しい人格」後半部分の淵源のようにも思えるのである。』と記している。思わず、「ああ! 嘗ての私は、今より、もっと鋭敏な感覚を持っていたなあ!」と独りごちた――
なお、筑摩版全集の『草稿詩篇「拾遺詩篇」』の最後に詩稿は挙げずに、『山頂 (本篇原稿一種二枚)』として、『本篇原稿は清書原稿で、二行目が「ながめ」、六行目が「おもし、」、八行目が「絕頂(いただき)」となっている。』とあったが、それとも違う。]
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