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2021/10/19

曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 狐の祐天

 

[やぶちゃん注:段落を成形した。]

 

   ○狐の祐天

 文政三庚辰年[やぶちゃん注:一八二〇年。]の秋、大傳馬町二丁目、きせる問屋升屋善兵衞といふものゝ娘【年十八、名は「ゑい」。】に、祐天僧正のゝりうつり、此むすめ、俄に六字の名號をかき、名をば、則、

「祐天」

と、かきて、花押まで、少しもたがはざれば、

「名號を書きて貰はん。」

「十念を、うけん。」

「昔、羽生村の累女を得脫させし僧正の、再び來らせ給ひし。」

とて、愚痴無智の老若男女、升屋が門に、市をなせり。

 此むすめ、名號をもかき、十念をも出だせど、來り給はぬ時は、常の娘にて、平日に、かはること、なし。

「此娘の、かきたる名號なり。」

とて、元飯田町藥店小松三右衞門より、もたせこしたり。

 ひらきみれば、表裝は赤地の錦にて、いと立派に仕立たる絹地の竪物に、

  南 無 * ※ 位 佛    祐 天 ★

[やぶちゃん注:「*」と「※」は崩しでよく判らぬ字であり、「★」は華押なれば、画像で示す。

「*」(「彌」であるべき字)は ↓

Mi_20211019164501

「※」(「陀」であるべき字)は ↓

Da

祐天の華押とする「★」は ↓

Yutenkaou

である。祐天の華押の本物を捜したが、見当たらない。見つけたら、示す。]

かくのごとく、「彌陀」の二字、たがへり。これを借り得て、南畝翁に見せけるに、折ふし、酒宴の時なりけり。

「貴き名號なれば、今、腥き口にては、親鸞ならば、貪着は有るまじけれど、祐天には、ちとは、ふむきなり。」

とて、口そゝぎて、一軸をひらき、よくよく見られて、

「此『彌陀』の二字をかへたるは、まさしく狐狸のわざならん。憚りて、わざと、かく書きたがへしものなるべし。口そゝぎて、やくなき事をしたり。」

など、いひつゝ、又、盃をかたぶけて例の口、とく、

 祐天がのりうつりたる名號のひかりをみたの二字にこそしれ

 此娘の沙汰、

「あまりに、いぶかしき事なり。」

とて、大傳馬町名主馬込氏、みづから、升屋かたへゆきて、委しく聞き糺し、夫より、娘に面會して、さまざまに詮議して、問ひつめければ、是非なく、本性をあらはしたる處、狐のつきたるに相違なければ、馬込、いよいよ、きびしく問答し、つめて、此きつねを退けたりとぞ。

 此娘に「きつね」をつけたる事は、此升屋の後家なるもの、上州より、年々、來て、滯留せる絹商人彌三郞といふ者と密通して、此「絹うり」のたくみなるよし。

 此事、既に露顯に及びければ、絹賣は出奔しけり。

 後家をば、親里へ預け、娘「ゑい」をば、親類方へ引きわたし、當主、幼年なれば、事、落着まで、是迄の通り、支配人持とせり。これ、皆、馬込のはからひなるよし。

 此頃、馬込の取沙汰、よく、

「宿老は、かく有りたきものなり。」

と、人々、いひあへり。

 これにつけても、名號を、一度、見られて、

「狐狸のわざ。」

と、はや、さとられし南畝翁の先見、明らかなりと、いふべし。

 狂詠に、「名號のひかりをみたの二字」と「しれ」とは、もとより貴き彌陀の二字なれば、その光りにおそれて、書きかへたれば、則、『此二字にて、怪しきものゝ所爲なるをしれ』と、よまれしものなるべし。

[やぶちゃん注:現在の東京都中央区日本橋大伝馬町(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。江戸最大の繊維問屋街として知られた。ここでも「絹商人彌三郞」で親和性がある。

「祐天」江戸最強のゴースト・バスター祐天上人(寛永一四(一六三七)年~享保三(一七一八)年)。浄土宗大本山増上寺第三十六世法主にして大僧正。陸奥の人。号は明蓮社顕誉。徳川綱吉・家宣らの帰依を受けた。ここでも「昔、羽生村」(はにふむら)「の累女」(かさねぢよ)「を得脫させし僧正」とあるように、当該ウィキに、『祐天の奇端で名高いのは、下総国飯沼の弘経寺に居た時、羽生村(現在の茨城県常総市水海道羽生町)の累という女の怨霊を成仏させた累ヶ淵の説話』「死靈解脫物語聞書(しりやうげだつものがたりききがき)」で、『この説話をもとに多くの作品が創作されており、曲亭馬琴の読本「新累解脫物語」や、『三遊亭円朝の怪談』「眞景累ヶ淵」(この「しんけい」は「神経」に通わせた洒落である)『などが有名である』。この「死霊解脱物語聞書」は実は江戸で最も流行った怪談で、知らぬ者はいなかった。筆者は殘壽(ざんじゅ)という僧で、彼は祐天上人の直弟子の浄土宗の説教僧と考えられている。元禄三(一六九〇)年板行である。私は、人に江戸怪談では何がお薦めかと聴かれると、第一にこの「死霊解脱物語聞書」を挙げるのを常としている。一九九二年国書刊行会刊の「江戸文庫 近世奇談集成(一)」で読んだ時には、読み終わるが惜しいほどに感激したものであった。いつか、電子化したい。

「元飯田町」(もといいいだまち)は現在の千代田区富士見一丁目及び九段北一丁目

「南畝翁」大田南畝。

「貪着」(とんぢやく(とんじゃく))拘ること。

「やくなき事」「益無き事」無益で、つまらないこと。

『此娘に「きつね」をつけたる事は、此升屋の後家なるもの、上州より、年々、來て、滯留せる絹商人彌三郞といふ者と密通して、此「絹うり」のたくみなるよし』というよりもだな、この弥三郎……恐らくはかあちゃんの後家に飽きてしまい、この「ゑい」(多分「榮」か「衞」であろう)に手をつけたんだろうぜ……されば、こそ、神経症かヒステリーになった彼女が「狐憑き」を無意識に演じたと考えた方が、遙かに信じられるってえもんだぜい!

「宿老」江戸時代、町内の年寄役を、こう呼んだ。]

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