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2021/10/19

曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 佐久山自然石

 

  ○佐久山自然石

 

Sakuyamasizenseki

 

[やぶちゃん注:底本からトリミング補正した。キャプションは、

南無日蓮大菩薩

と、

野州那須郡佐久山箒川出現御影

である。薬師如来三尊像の脇侍(脇侍を言う時には主尊と同じ向きになって左右を言う)の日光・月光菩薩の配置に従うなら、向かって右手(左脇侍)が日輪であり、左手(右脇侍)が月輪である。]

 

野州佐久山【福原家采地。】中町にすむ、「住吉や爲八」といふもの、當文政八年乙酉[やぶちゃん注:一八二五年。]の四月のころ、おのれが裏なる地面に、「鯉の魚溜を作る。」とて、まはりの石垣に用ふる石を、ちかきほとりの箒川より、取り寄せける。そが中に、丸き石に、自然と、二分程も高く、佛像、現れ、左右に、日輪・月輪めくもの、あるを、見出だしたり。「奇なるものなり。」とて、同州太田原城下の日蓮宗住持に見せけるに、「祖師上人の御すがたに、違ひなし。」と驚嘆せしかば、此爲八、瘤[やぶちゃん注:「こぶ」。]の、いできありしを、立願[やぶちゃん注:「りふぐわん」。]なせしに、頓に、いえけり。是よりの後、近國より聞き傳へて、日々、參詣、群集しつ。「このごろは、いとにぎやかなり。」とて、福原家の臣原某が、右の石の搨本をおくりてかたりき。

  乙酉仲冬集初冬念三     海 棠 庵

[やぶちゃん注:「野州佐久山」栃木県大田原市佐久山(グーグル・マップ・データ)。

「魚溜」「うおだめ」と読んでおく(瀧の名で「うをどめ」と読むケースがあったが)。これは生簀、或いは、普通の池の意であろう。

「箒川」(はうきがは(ほうきがわ))は佐久山の北端を流れる。

「月輪」は仏教絡みなので「がちりん」と読んでおく。満月。

「太田原城」ここ。位置関係が判るように、下方中央に佐久山を配した(佐久山小学校の名が見える)

「搨本」(たふほん(とうほん))は拓本のこと。

「仲冬集初冬念三」「仲冬」は冬の真ん中で十一月の異称。「集」は「つどひ」で「兎園会」集会を指すものでそれが、この会は従来、各月の一日に催されているのだが、理由は判らぬが、目次によれば、十一月分の「集(つど)ひ」を、少し繰り上がって「初冬」=十月の「念三」=二十三日に行ったことを記しているものである。会場も海棠庵邸であったから、ホストとして最後に異例の発会日を敢えて記したものなのであろう。或いは、海棠庵の都合で、こうなったものだったのかも知れない。因みに文政八年十月二十三日はグレゴリオ暦一八二五年十二月七日であった。]

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