「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第一(「愛憐詩篇」時代)」 歡魚夜曲
歡 魚 夜 曲
光り蟲しげく跳びかへる
夜の海の靑き面をや眺むらむ
あてなき瞳遠く放たれ
憩らひたまふ君が側へに寄りそへるに
浪はやさしくさしきたり
またひき去る浪
遠き渚に海月のひもはうちふるへ
月しらみわたる夜なれや
言葉なくふたりさしより
涙ぐましき露臺の椅子にうち向ふ
このにほふ潮風にしばなく鷗
鱗光の靑きに水流れ散りて
やまずせかれぬ戀魚の身ともなりぬれば
今こそわが手ひらかれ
手はかたくあふるるものを押へたり。
ああかの高きに星あり
しづかに蛇の這ひ行くごとし。
[やぶちゃん注:十三行目「戀魚」はママ。最後の初期形参照。初出は大正二(一九一三)年十一月号『創作』。まず、初出形を示すが、既に「秋日行語」で述べた通りの、あり得ない不幸な雑誌社側の校正編集ミスが生じている。
歡魚夜曲
光り蟲しげく跳びかへる
夜の海の靑き面をや眺むらむ
あてなき瞳遠く放たれ
息らひたまふ君が側へ寄りそへるに
浪はやさしくさしきたり
またひき去る浪
遠き渚に海月のひもはうちふるへ
月しらみわたる夜なれや
言葉なくふたりさしより
淚くましき露臺の椅子にうち向ふ
このにほふ潮風にしばなく鷗
鱗光の靑きに水流れ散りて
やまずせかれぬ歡魚の身ともなりぬれば
今こそわが手ひらかれ
手はかたくあふるるものを押へたり。
ああかの高きに星あり
……………
しづかに蛇の這ひ行くごとし
父母の慈愛戀しやと歌ふなり。
四行目「息らひたまふ君が側へ寄りそへるに」及び十行目「淚くましき露臺の椅子にうち向ふ」はママ。に「秋日行語」で一部を引用したが、再掲すると、筑摩版全集には、『雜誌發表の際の最終行「父母の慈愛戀しやと歌ふなり。」は同時發表の「秋日行語」の最終行を誤って印刷したものと推定される。作者加筆の雑誌が殘されているので、それに基づきこの行を抹消、また十三行目の「歡魚」を「戀魚」と訂した。但し、十七行目の「……………」は、作者によって抹消されているがそのままのこした』という、何とも奇体な処理が施されているのである。何故、十五点リーダを抹消する手入れがあるのに、やらなかったのかは、後に示す初出形にそれがあるからに過ぎないのであって、私はその校訂本文を肯ずることが出来ない。朔太郎の決定稿では「……………」はナシなのだ。それに基づいて以下に独自に再現する。
歡魚夜曲
光り蟲しげく跳びかへる
夜の海の靑き面をや眺むらむ
あてなき瞳遠く放たれ
息らひたまふ君が側へに寄りそへるに
浪はやさしくさしきたり
またひき去る浪
遠き渚に海月のひもはうちふるへ
月しらみわたる夜なれや
言葉なくふたりさしより
淚ぐましき露臺の椅子にうち向ふ
このにほふ潮風にしばなく鷗
鱗光の靑きに水流れ散りて
やまずせかれぬ戀魚の身ともなりぬれば
今こそわが手ひらかれ
手はかたくあふるるものを押へたり。
ああかの高きに星あり
しづかに蛇の這ひ行くごとし。
次に初期形である「習作集第九巻」のものを以下に示す。
戀魚夜曲
ひかり蟲しげく跳び代へる
夜の海の靑きおもてをや眺むらむ
あてなき瞳遠く放たれ
息(す)らひたまふ君が側へに寄りそへるに
浪はやさしくさし來り
またひき去る浪
遠き渚に海月のひもはうちうるへ
月しらみ渡る夜なれや
言葉なく二人さし寄り
淚ぐましき露臺の椅子にうち向ふ
このにほふ潮風にしばなく鷗
鱗光の靑きに水流れちりて
やまずせかれぬ歡魚の身ともなりぬれば
今こそわが手ひらかれ
手はかたくあふるゝものを押へたり
あゝかの高きに星あり
……………
しづかに蛇の這ひ行くごとし
(一九一三、五、鎌倉ニテ)
「息(す)らひ」「うちうるへ」はママ。前者は「やす」のルビの脱字、後者は「うちふるへ」の誤記。なお、上記初出形の底本の筑摩版全集では、『卷末の目次では「歡魚夜曲」との題名を附している』とある。いろいろ言いたいことはあるが、萩原朔太郎の手入れ本の現物を見られない以上、勝手な推論に過ぎなくなるのでこれでやめておく。
なお、これは鎌倉の海岸のロケーションといい、やはり「秋日行語」で述べた、仮想された「エレナ」との、夜の如何にも幻想的なランデヴーの物語詩である。「海月」(くらげ)の「ひも」(紐)が「うちふるへ」(打ち顫へ)るのが、いい。]
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