「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 土地を掘るひと
土地を掘るひと
土地(つち)よりめざめ
土地を掘る
土地を掘るひと
土地に立つ
空は綠金
土地は白金
いんさん
いんさん
利鎌ぞ光る
けぶれる空に麥ながれ
農夫は一列
種子は一列
いんさん
いんさん
土地(つち)を掘るひと涙をながす。
[やぶちゃん注:底本によれば、推定で大正三(一九一四)年作とし、『遺稿』とある。老婆心乍ら、「利鎌」は「とがま」と読む。筑摩版全集では、「習作集第九卷(愛憐ノート)」に以下のようにある。誤字(「堀」)はママ。最後の読点もママ。
土地を堀る人
土地よりめざめ
土地を堀る
土地を堀るひと
土地に立つ
空は綠金
土地は白金
いんさん
いんさん
利鎌ぞ光る
けぶれる空に麥ながれ
農夫は一列
種子は一列
いんさん
いんさん
土地を堀るひと淚をながす、
本篇は詩集「月に吠える」の「雲雀料理」パートの本編の頭に置かれている「感傷の手」と親和性がある。私の『萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 雲雀料理(序詩)・感傷の手』を見られたいが、そこで注した通り、「感傷の手」は初出形が『詩歌』大正三(一九一四)年九月号で、詩篇末に『――一九一四、八、三――』のクレジットがあるから、本篇の推定年も無理がないと思われる。「つち」というルビが気になるが、これは、思うに、同じ詩集の同パートの二つ後の『萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 苗』で、「土地」に「つち」のルビを振っているを知っている本底本の小学館の編集者が、それを受けてサーヴィスで添えたものではなかろうかと推定するものである。「とち」ではイメージが違う。ここは確かに「つち」でなくてはなるまい。]
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